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時の流れをはかるための朝ドラ

 シャキーン、0655、クックルン、花がっぱ、コレナンデ商会・・・令和3年度のEテレ番組放送時間は全体的に少し早い方向にシフトした。朝のEテレを時報代わりにしていた私は混乱と戸惑いがあったのだが、ちょうど保育園から小学校に上がるタイミングで生活パターンも変わったため、予想より早く適応することができた。

 一方で、私の幼少期を思い返してみると、朝はNHKおはよう日本のみで、級友たちがウゴウゴルーガの話をしているのを羨ましく思いながら、毎朝飛行機と列車の満席状況のイラストをぼーっとみていた記憶がある。朝はとことん弱いのだ。できる限り寝ていたい(今もそうだ)。

 そんな私の”朝の時報”は母が毎朝楽しみにしている「朝ドラ」だった。「朝ドラ」という言い方が最近の言い方かもしれない。「朝の連続テレビ小説」という方が当時の回想としてはしっくりくる。朝ドラ自体が放送時間を何度か変更しているものの、私の生活様式の変更もあってほぼ「OP曲を聞いて家を出る」という生活が長かったように思う。もしくはOPを聞いたら遅刻ギリギリの合図。よって、私は90年代00年代の朝ドラの曲はよく知っているけれど、ストーリを全く知らないパターンが多い。
 
 実際に朝ドラを見るようになったのは、息子を出産し、家にいる時間ができた2014年の「花子とアン」からである。正確に言うと「花子とアン」の同時期に再放送していた「カーネーション」にドはまりし、そこからずっと見続けている。
 
 7年朝ドラを見て思うことは、やっぱり中身を見たとしても朝ドラは「時報」だったということだ。話の内容が好みかどうか、好きな俳優さんが出演するかどうかといった差はあれど、結局月曜日から金曜日をいつも通りこなしていくためのルーティンワークの一環に組み込まれていくものであった。そして現在は勤務時間的に本放送、再放送共に視聴不可能な時間帯なのだが、録画したものを見る習慣が続いている。
 
 7年ほどルーティンワークとして朝ドラを見続けて気が付いたことがある。一日、1週間を整えるだけではなく、もっと大きな時の流れの中でも朝ドラが時報になりつつあるのだ。半年と長いスパンで見続ける性格上、「あの出来事はいつ頃だっただろうか」と考えるときにその時見ていた朝ドラから時期を推察できるようになってきたのだ。別居、離婚、転職といった精神的ダメージの大きな出来事も、息子の成長も、いつだったかなと考えるときになんとなく記憶をたどるための糸口になった。ちょうど年度上半期下半期に分かれていること、東京制作と大阪制作が順番にあることも含めて時期を特定しやすさを上げていると思う。
 
 1年生、2年生・・・と進級進学したあの頃に比べ、仕事を始めてからは時の流れを実感しにくいと薄々感じていたが、こんなところで年度を感じられるとは、なんだか「晴れたらいいね」を聞きながらランドセルを背負って玄関を飛び出したあの日に戻った気分になった。

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