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SURFACE 復活ライブ 「Re:Attraction」@豊洲pit①

2018.5.27(sun)

この日のライブを語るには
8年前の2010.2.13(sat)まで遡ります。

当日のみのレポ②はこちら

目の前が真っ暗になった死の宣告

8年前の2/13
恵比寿リキッドルームで行われたファンクラブライブの
ダブルアンコールで
「今日しかないと思って」
「受け入れないでください」
「僕たち解散します」
「嫌だといってくれなくては困る」
「受け入れなくていいから」

なんでこのときに限っていつもはちょこちょこしか見えない椎名さんの顔がハッキリ見えるの?
もう意味がわかんなかった。
真っ赤な顔して必死に「ほらのってこいよ!!」って言いながら
それじゃあバイバイを演奏する2人の姿

今も鮮明に覚えてます。

あの時は本当に何が起こったのかわからなくて
盛り上がれるわけなんてなくて
退場曲流れてスタッフが撤去作業を始めに来ても
ずっと動けなくて、ずっと泣いてた。

この日のライブのアンコール2曲目と追い出し曲が
「CHANGE」
だったのと、内容が内容なので
この曲全然きけなかったという人も結構いると思う。

自分はトラウマ的な気持ちに反してこの曲大好きで、
この曲が一緒に収録されてるLast Attractionの新曲4曲が本当にすごく良くて、
なんなら過去のどのオリジナルアルバムよりもこの4曲が最強だと思ってて、
なんでこんな良い曲ができるのに
こんなに後ろ向きだけど前向きな曲が出来るのに、
なんで解散なんだよって本当に意味が分からなかった。

この日はもともとファンで集まるオフ会があって
それまで参加したことのあるカラオケオフ(以後サーカラ)で会ったことない人たちもたくさんいたはずだけど
ずっとひたすら泣いてたのとやけ酒でほとんど覚えてない。
カラオケ用に主催陣が用意してくれたPVとかの映像が
完全にお通夜のそれ
だったというのだけはうっすら覚えてる。

このオフ会がなければ帰り道に山手線のサビになってただろうなと本気で思う。
そのくらいの出来事だった。


皮肉にも楽器を始めるきっかけになった解散宣言

その解散発表があってから
ある有志が「トリビュートライブをやろう」と企画してくれて
知らない人のイベントではあったけど、
サーカラの仲間内で楽器経験者がいたことから
じゃあせっかくだから出てみよう、ということになって
これがきっかけで楽器を始めた。
7/18のトリビュートライブに向けて。
3・4カ月で。
素人集団が。
今考えるとなかなか無謀な挑戦をしたと思うw

でもそんなおかげもあって
解散という出来事自体は、本人たちが言うようにまったく許してないけど、
それでもファン同士であれこれ企画したり、そういう新しい活動も始まったりして
新しい世界も始まっていった。

3月の中旬にキーボードを買って、
「シールドでミキサーやスピーカーにつながなければ音が出ない」
ということすら知らない状態で、
「よくわからないけどドラムセットも置いてある部屋があるらしい」
という公民館で、
自力でドラムセットをカートで運んだりして、
よくわからないまま、
でもテンションを一度落ち着かせたら死にそうだったからたぶんあれでよかったし
あのとき一緒にいる仲間がいて本当にありがたかった。


「ちっちゃい箱に12年間の「SURFACE」を詰め込んだら、入りきらなくて曲達が暴れちゃって溢れちゃった」解散ライブ

7月のトリビュートライブを迎える前の
2010.6.13に、国際フォーラムでSURFACEの解散ライブがあった。
あの時はみんなで勝手に色んなグッズ作ったりして
なんかちょっとお祭りみたいだった。


解散っていう決断は許さないけど
もうそうなるしかないなら、全力で楽しもうねって。


肝心のライブは、なんていうか正直
「明らかにメンタルやばくなりそうな曲は避けた」けど
「詰め込み過ぎて詰め込み切れなった」みたいな
そしてアンコールがバランスってオイオイ…っていう
すごく微妙なラストライブだったわけですがw

当時の日記には
「ちっちゃい箱に、12年間の「SURFACE」を詰め込んだら、入りきらなくて曲達が暴れちゃって溢れちゃった。 そんな印象。」って書いてあった。
やっぱりめっちゃ泣いたって書いてあったけど
正直2/13の恵比寿の記憶が強すぎて
今となってはドラムがちょこちょこはさんでくる
「ヘーイ」が一番インパクト強いくらい…(えぇ…

今考えたら、色んな意味で、きれいに終わらなくてかえってよかったのかもしれない。
綺麗に終わりすぎてたら、解散してからファンで文句言い続けるネタが減ってたし(すみません


音楽の世界に入るきっかけになったSURFACEトリビュートライブ

解散ライブの約1カ月後の2010.7.18
有志が企画してくれたSURFACEトリビュートライブがあった。
うちのバンドはほぼみんな初心者も初心者で
あの時どうやって転換とかしたんだろう?と不思議なくらい
本当に何もわかってない状態で挑んだライブだった。

SURFACEに飢えているファン仲間がたくさん見に来てくれて
本家同然に盛り上がってくれて
わーーすごいなーーわーーってひたすら思いながら演奏していた気がする。
あの時のセットリストは

1.偶然=必然
2.さぁ
3.たまり場
4.ヌイテル?
5.Re:START
6.CHANGE

だった。
1曲目でぐうひつやるとか
ソロのえぐいたまり場やるとか
同期なしでCHANGEやるとか
なかなかの度胸だと思うw
でもメンツ的にも色々こだわりのあるセトリだった。

自分としてはこの日限りのつもりでバンドを組んだし楽器も買ったから、
まさかここから8年後の今まで、バンドをやってるなんてまったく考えもしなかった。


SURFACE解散がきっかけでどんどんつながった音楽の縁。

SURFACEの解散がなければ
楽器をやろう
バンドをやろう
なんてことにはなってなかった。
SURFACEの解散がなければ、
それがきっかけで楽器を始めていなかったら、
今自分の友人関係のかなりを占めている音楽関係の人たちとつながることもなかった。

そういう意味では、SURFACEの解散も悪いことばかりじゃないかもしれない。
って思ってた。
こともあった。


「8年間でみんな色々あったよね」の辛さ。

8年前解散が発表されたとき
自分はまだ学生だった。
それから就職したり
開業したり
いろんなことがあったわけだけど。
この8年の間に
自分はSURFACEファン同士で結婚したけど
音楽仲間とのトラブルがきっかけで最終的に離婚したという経緯がある。
ちょっと一般的な離婚とはだいぶ違って、
正直これについてはいまだに
「解散がきっかけで楽器さえ始めてなければこんなこと味わわずに済んだのに」
という気持ちもあって
いつまでも消えることはないんだろうと思っている。
だから、SURFACEの解散がきっかけで楽器を始めてよかったのか悪かったのか、正直今でもわからない。

この「解散から復活までの8年」っていうのが
自分にとってはSURFACEの解散と切っても切り離せないもので、
正直ライブ中にもいろいろと考え込んでしまうこともあるし、
SURFACEくらいのキャパだとライブ会場で会いたくない人と鉢合わせる可能性もあるので
今後のライブに行くのが怖い気持ちもある。

「8年のあいだにみんな変わったよね」
「色々あったよね」
とよくいうけれど
いろいろありすぎたので
自分にとってはその言葉がすごくすごく重い。

だから、正直ライブを迎えるのが1%くらい憂鬱でもあった。


2018.01.01 0:00

自分はカウントダウンライブにはいっていなかったので
ツイッターでSURFACE再始動を知った。
その数日前から、SURFACE.netが怪しげな動きを見せていたのを誰かが見つけてきて
SUR+ARM、HEADとか右側が体のパーツになってて、
ハハーンfaceになった時に何かが…ハハーン…
と思っていたものの、
アパレル系の会社にドメインとられたんじゃないかとか
いろんな憶測が飛び交う中w
これは老害的なファン心理かと思うけど、
まだ、まだやるとしても、1夜限りとかで良いのでは…と思ってた。
解散10年とかで復活かなって。
でもいざ年が変わって再始動!って発表になったら
嬉しくないわけない。
嬉しいけど、え、本当に?みたいな複雑な
ぬか喜びにならないだろうかという不安のほうが大きい気持ちでいた。


復活ライブチケット争奪戦〜当日まで

豊洲pitのキャパが3000くらいと知って、
いやいやこれは最速先行から全力でいかないと下手したらとれないぞ…と思って全力でいった結果、
まわりはかなりの人数が落選。
とはいえなんだかんだ助け合いでおおよそ行きたい人は行けていたと思うのでよかった。
ライブが近づくにつれ
本当にSURFACEのライブがあるんだろうかという
よくわからない気持ちになっていた。

2日前くらいになると、
ツイッターのタイムラインにはSURFACEファンが少しずつ少しずつ現れて、
解散ライブがきっかけで繋がったものの
その後ほとんど見かけなかった人なども浮上してきたので、
ああ本当にSURFACEのライブがあるんだな…と妙な実感が出てきた。
昔のグッズを引っ張り出してきたり
当日のTシャツ何着て行こうかなって悩んでたり
半分同窓会みたいな不思議なかんじだった。


②に続く

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