見出し画像

「背が高い」とは

※ページの一番下に、個人的結論(今のところ)を追記しました。
(〓〓〓〓〓〓〓〓〓の下の文です)
途中の長文は個人的備忘録として残しておきますが、思考の整理を優先で書き殴っただけの駄文ですので無視していいです。

--------------------

【注意事項】おそれいりますが、以下の条件を了承してくださる方のみを対象としています。それ以外の方は申し訳ないですが、このページを閉じてください。

・この記事の拡散、及び炎上誘導はご遠慮ください(システム上、それを防ぐことができないのは承知しておりますが、その上で)。自己分析の途中なので、文章自体が未熟で拙いです。色々突っ込んだコメントをされても、まだ脳が混乱の最中ですので、適切な反応ができません。また、良くも悪くも目立つ(注目される)のが大嫌いなのもあります。
・例の「次に背の高い人」問題において、D派の人に対して、人格攻撃と捉えられるような発言をすることは、ここでは一切禁止です(私自身が圧倒的D派のため、精神が持たない)。
・あくまでこれは私個人の独り言であり、単なる心の整理にすぎません。誰かにこの考えを押しつける意図もありませんし、D派の意見を代表するものでもありません。単なる自己分析のためだけの文章です。今後見解が変わる可能性もありますが、今は他人にとやかく言われるのがとてもしんどいので、私の思考プロセスに対して、直接完全否定するような発言は禁止です。言いたくなったら私の見えないところでお願いします。反対意見を受け入れられるだけの精神的ゆとりが今はありません。どうしてもコメントがしたい方は、できるだけ穏やかな文面で書いていただけると助かります(反応できるかどうかはわかりません)。
・現在この問題のせいで精神的にとても疲弊していますので、議論を交わせるだけの余裕がありません。よって、議論がしたい場合はTogetterまとめなりTwitterなりで、各個人でのやりとりをお願いいたします。(私はもう疲れてしまってしばらく混ざれそうにありません)D派を追い詰めるような言動はやめてください。

というか。

言葉を、凶器に使わないで。
言葉を大事に扱わない人が、いくら「言葉を大事にしろ」と言っても、全く説得力がない。
まず言葉を凶器として振りかざすのをやめてからものを言うようにしてください。

------------[本題]------------
《記述された文言から受ける印象について》
※読めばわかると思いますが一応。市販の辞書からの引用ではありません。私が個人的主観に基づいた印象を、自己分析しながら書いたものです。文法・文法用語については全く疎いので、それに対するコメントをされても、答えられない可能性が高いです。また、文脈によって意味合いが変わることはよくわかっています。あくまでこれらの文字を単独で目にした場合、直感的・反射的にどんなイメージが湧いてくるか、というのを羅列しただけのことです。

***
1.「高い」とは
→「何かを基準にして、もしくは比較して、より大きい数値をもつもの/何らかの要素・意図・条件で計測した数値・程度・度合いが、標準と比べて大きい(強い・増している)こと(より度合いが強い・より程度の差が大きい)」に対して使う(⇒相対的に認識)
(例)身長が高い→「平均的な身長より、高めの部類に属している」とみなされる

***
2.「高さ」とは

(a)基準と比べて、対象がどれだけ高い地点にあるか/基準と比べたときの対象の地点が、基準からどれだけの開きがあるか(⇒相対的に認識)
(例)富士山の高さ:3,776mm→海抜(基準面)から見て3,776mmの開きがある

(b)「寸法などの絶対値」
商品説明などによく書かれてある、サイズに関する記述「高さ○cm」は、その商品の物理的寸法が「~と比べて高いか低いかは一切関係なく」、物理的寸法の絶対値だけを表す。

***
3.「次、次に、次の」
→連続性・関連性・継続性を持った事柄を何らかの意図・要素に基づいて集めたとき(※「無作為に選出」というのも「そういう意図で」集められたもの)、先ほどとは別の物に対象(焦点)を一つずらした(移した)もの。

ただし、上下/優劣等の序列化・順位付けの意味合いは、この時点では必ずしも含まれるとは限らない。
“次”とされるものに何が来るかは、なんらかの意図がある場合が多いとは思うが、それが序列化(もしくは順位付け)されたものになる状況になるかどうか(また、その要素の上下/優劣等の判断の方向性)は、別の要素・他で補われる要素(順位を決めるための設定基準・その場の取り巻く背景など)によって決まる。

(例1)学校や会議などその他、何らかの理由で集まった(集められた)複数の人達が話し合いをするとき、発言者・発表者の順番が予め決まっていない場合、順番の決定権を持つ誰かがその場の流れで「では次(次に/次は)…そうだなあ(「次」を誰にするか思案)それでは○○さんどうでしょうか」
この場合、集められた人達の間で上下(優劣)関係があってもなくても、「次(次に/次は)」が誰になるかは、順番を決定づける(あるいは順番の方向性を誘導できる)ための「何らかの別の要素(この場合は「先生」「司会」「進行役」など)」が必要となる。

ただ、「次の人は…」の場合は、予め決められた順番がある場合が多い。
が、その順番の根拠、方向性がなんであるかは、別に定められている基準による。
発表会などで、発表する順番に前・後という概念はあるが、上下・優劣とは関係がない。

(例2)なんらかの文章の中で「次に」という文言が使われた場合、単純に「関連性のある話題の中で、別の対象に一つ焦点を移す」という概念がある。
もちろん文脈によっては「ある要素において、2番目、3番目... に位置するもの」と言う意味合いで使われる場合もあるだろうが、それは他の要素(文脈)によって意義が狭められた結果によるもの。
ただし、「“連続性”・“継続性”のある話題」の場合は、既に何らかの意図によって、何らかの要素を含む対象物(事・人)を集め、何らかの条件によって序列化されたことが前提になっている場合が多いように思うので、基本的には、その決められた順列にそって、後に来るもの(後に続くもの)が新たな対象となるのだろうと思う。
ただしここでも、順番の方向性・順位の付け方(ベスト or ワースト、等)・序列の方向は、何らかの前提条件(設定基準・背景など)が「何らかの別の要素」によって定義づけされることが必要だと思う。

***
4-1.「次点」
→ある要素を含んだ集団の中において、最も優秀とされるものに対して2番目の位

4-2.「次席」
→ある要素を含んだ集団の中において、何らかの順番で並べられたもののうち、その2番目の位(優劣や上下のどの順番で並べるかは、また別の要素で判断)

***
5.「次いで」
→ある物事の後に続いて。ある要素との関連性・連続性を途切れさせない。

------[自己分析]------
いくつかの例文を自分なりに整理してみる。

--------------------
Aの身長は150cm
Bの身長は155cm
Cの身長は160cm
Dの身長は165cm
Eの身長は170cm

この5人の中で、Cの次に背が高い人は
--------------------
ということでしたね。
どこまで分解できるかわかりませんが、やれるだけやってみます。

・「Cの次(に)」とは?
 →「身長の計測値(数字)」が並んでいる。
 →特に前提条件に関する言及がない場合は、数字の大きさ順に並べて比較するのだろう、という概念が発生(※この段階ではまだ降順・昇順の方向性は定まりません)
 →先の{3.「次、次に、次の」}で書いたとおり、身長の数値を昇順、または降順に並べ、「C(160cm)」の一つ下か一つ下の数値を指す、と判断
 →「B(155cm)」か「D(165cm)」

・「背が高い」とは?
 →「身長計測値の数字が大きいことを指す(数字が増える方向)」という概念が発生
 →「言及されたC(160cm)よりも数値が大きい(数字が増えている)人」は「D(165cm)」と「E(170cm)」

⇒《「160cm」の一つ下か、一つ下の数値》かつ《160cmより身長計測値が大きい(数字が増えている)》のは「D(165cm)」

言い方を変えれば、「次に【背が高い】人」=「【背が高い】とみなされる対象者のうち、基準となる「C(160cm)」の一つ上か、一つ下のどちらかに当てはまる人」となります。

…おそらくB派の人には何を言っているのかわからないんだろうなあ…。
『頭おかしい』とまで言われたし(根に持ってる)。

B派の人が「次に」という文言で自動的に「背の高い順(身長計測値の数字が大きい順)に並べて考える」らしいのですが、さっぱり理解できなかった。
かろうじてうっすらと法則性みたいなものは感じ取れたような気が一瞬したものの、腹落ちするのは難しい。
Bという考え方もあるよね、というところまでが限界。

とにかく、【「C(160cm)」より身長の低い】&【集団の中でも「背の低い部類」に属する】「B(155cm)」に対して、「次に」という文言があろうとなかろうと、「【背が高い】人」という文言を使うのはそぐわないのです。というかぶっちゃけ気持ち悪い。嫌悪感がものすごい。

…すみません。
感覚的にしか説明できなくて申し訳ないのですが、直感的にそう思ってしまうのです。
B派は「次に」という文言で、順位付けをしているようなのですが、私の場合は、それでは序列化の方向が定まりません(順位を決める基準の前提条件が、これだけでは不十分)。なので「次に」という文言ではなく、「背の高い人」という文言のイメージを重要視している。これが目に入った途端、私は「この集団の中で基準より身長計測値の数字が大きい人(=【背の高い人】に分類される人達)」の中からしか選べないのです。


--------------------
◆Togetterまとめのコメントで出てきた文章に対して、私の勝手気ままな反応。
「言い方を変えれば受け止め方は変わるか」の検証。

(1)「この中で一番高いのはEさん」(170cm)
⇒OK

(2)「その次に高いのはDさん」(165cm)
⇒あ、「低い」じゃないんだ。まあでもDさんはこの中では「背が高い」部類だし。まあ…そうも言えるかな。でも「その次の高さ」という言い方だったら、「Eさんより背が低いDさん」に使ってもそんなに変じゃないな。「低さ」は「数値が低いこと」に焦点があるけど、「高さ」は「数値が高くても低くても“高さ”」と言えるから?かな。

(3)「その次に高いのはCさん」(160cm)
⇒んん?? うーん…まあ…これまでの順番からすれば、そう言えなくもないけど…。でも、まあ「背が低い」わけではないけど、「背が高い」わけでもないのに、変じゃない? 「次に(背の)高い」という言葉はなんかなじまないなあ。「Dさんよりも低いのはCさん」もしくは、「Bさんよりも高いCさん」じゃないとしっくりこない。

(4)「その次に高いのはBさん」(155cm)
⇒無理。この集団の中では「背の低い人」なのに、どうして「高い」という表現を使うの?? 「Aさんの次に高いBさん」もしくは「Cさんより低いBさん」ならわかる。

(5)「その次に高いのはAさん」(150cm)
⇒無理。「一番低いAさん」じゃないと無理。

--------------------
《例題改変》

夢野さんの点数は170点
木村さんの点数は150点
山内さんの点数は160点
佐藤さんの点数は155点
近藤さんの点数は165点

(※意図的に並び順、及び対象者名を変えています。「並びを逆順にする、もしくは非連続性にすると?」と気にしてる方がいましたが、私の答えは変わらず【D(165cm)】一択でした)

Q:【この5人の中で、山内さん(160点)の次に点数が良い人は】

・「山内さん(160点)の次(に)」とは?
 →「点数に関する数字」が並べられている。
 →特に前提条件に関する言及がない場合は、数字の大きさ順に並べて比較するのだろう、という概念が発生(※この段階ではまだ降順・昇順の方向性は定まりません)
 →先の{3.「次、次に、次の」}で書いたとおり、点数の数値を昇順、または降順に並べ、「160点」の一つ上か、一つ下の数字の点数を指す、と判断
 →「佐藤さん(155点)」か「近藤さん(165点)」

・「点数が良い」とは?
 →特に前提条件に関する言及がない場合は、「テストの採点であろう」という概念が発生
 →「であれば、基準より優れているものを指すのだろう」という概念が発生
 →「山内さん(160点)より優れた点数」は「近藤さん(165点)」と「夢野さん(170点)」

⇒《「160点」の一つ上か、一つ下の数字の点数》かつ《基準の160点より優れた点数》である「近藤さん(165点)」

この場合は、「次に【点数が良い】人」=「【点数が良い】とされる対象者のうち、基準となる山内さん(160点)の一つ上か、一つ下のどちらかに当てはまる人」となります。

身長の問題と同じように、「山内さん(160点)」の名前を出された時点でそこに焦点が当たり、【「山内さん(160点)」より低い点数&この集団の中でも点数の低い部類に属する】「佐藤さん(155点)」に対して、【点数が良い】という文言で表現・言及するのが無理なのです。

--------------------
*この辺はこれまでと少し感覚が変わります。

《「辛(から)」さについて》
標準、1辛、2辛、3辛、4辛、5辛
「4辛の次に辛いのは?」⇒5辛

[自己分析]
→「4辛の次」とは?
→「4辛」の一つ上か、一つ下の段階
→「辛い」とは?
→「標準」より辛味の度合いを増やしたもの
→言及された「4辛」と比べて、より辛さの度合いが大きい方
⇒5辛

※辛味の追加は、通常、「標準」をベースとしたオプション扱い。「標準」より甘いものは、「甘口」というまた別の商品。

《「安いプラン」について》


--------------------

*この例文もまた特殊な感覚かもしれない。

Q1:『日本で富士山(3,776 m)の次に高い山は何か』
Q2:『日本で富士山(3,776 m)の次に低い山は何か』
→どちらの答えも、「日本で2番目に高い標高の山(北岳:3,193 m)」

------[自己分析]------

(Q1-a) 富士山は日本で一番高い山(この前提は一般的に広く周知されている)
 →国内で富士山より高い山はない。(※だが「日本国外の山も対象にする」という前提条件が明示されれば、「富士山(3,776 m)よりも高い標高を持つ山のうち、近似値であるもの」を回答することになる)
 →富士山の標高の数値よりも大きい数値を持った山はない(海抜から計測した数値に対して、より数字に開きのある山はない)
 →標高の数値に対して、「次(一つ別の対象に移れる方向)」は一つ
 →ではその「北岳」自体は、日常生活の上で、人々の話題になるとき、「高い山」と呼べるか?
 →「北岳」は富士山に比べれば一段階標高の数値が小さい(低い)が、国内すべての山を対象にすれば、「高い山の一つである」と見なすことは可能
 →もし「高い山/低い山」と呼ぶ(みなす)基準を、国内のすべての山の標高の平均値(or 中央値)とした場合、「北岳」の標高数値自体は高い(海抜0mから計測した数字の開き具合が他と比べて大きい)部類に属するものと見なせる。

(Q1-a') そもそも「山」という単語には、「その周辺の地域より高い標高数値を持っている対象領域」を言うのでは?
 →では「低い山」とは何を指す? 
 →日本全国の標高の平均値(or 中央値)を基準とすれば、標高の数値(海抜0mから計測した数値)が基準(平均値(or 中央値))より低い山全体に言える?
 →個人的には、「低い山」という文言を単独で使った場合、何を指すのかはっきりとしませんでした。「どこそこの○○山と比べて△△山は低い山だ」という言い方はできますが。
 →なので、もともと「山」は「高い」ものという概念が既にインプットされており、それで「山」に対して「低い」という言葉をつけるには、他に比較対象がないとしっくりこないようです。

(Q2)『日本で富士山(3,776 m)の次に低い山は何か』
 →富士山の標高の数値よりも小さい数値を持った山
 ⇒「北岳(3,193 m)」
 →…なんだけど、字面から受ける印象としては、「北岳」も充分「高い山」の範疇なのに、それに対して「低い山」という文言を使うのはちょっと語感に合わないような気がする。「富士山より低い山のうち、近似値であるもの」「富士山より一段階低い標高を持つ山は」のような言い方なら、「低い」という文言を使うことにそれほど違和感はない。だが、日常会話では堅苦しいし、まどろっこしい。

((質問言い換えたらなんか印象変わるかな…))
Q1:『日本で富士山(3,776 m)の次に高い山は何か』
→「日本の高い山」の中で、富士山から数えて高さが2番目になる山は何か

Q2:『日本で富士山(3,776 m)の次に低い山は何か』
→富士山の標高数値よりも数値が小さい山は何か

と、脳内で自動変換しているのだろうか。

--------------------
とりあえずはこんなところです。
過呼吸と吐き気が酷いので、唐突ですみませんが、ここで終わります。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
《追記:おそらく結論?》

「この集団の中で、Bさんは【背が高い人】とは言えない」
というイメージのほうが強固であるため、Bさんを「背が高い人」という文言を使って説明するのは私にはどうしても無理。


わかってもらえるかどうかわかりませんが、
「Cの次に【背が高い】と言える人」
という感じです。

あ、そうか。もしかして。
--------------------
Aの身長は150cm
Bの身長は155cm
Cの身長は160cm
Dの身長は165cm
Eの身長は170cm

この5人の中で、Cの次に背が高い人は
--------------------

「Cさんの次に背が高い人は」
 →「この集団の中で、Cさんは背が高い人である」という前提が想起される
 →「C・D・Eは背が高い人、A・Bは背が低い人」とみなす
 →「背が高いCさんの次に、背が高いと言える人は」
 →BさんはAさんよりは背が高いけど、言及されているのはCさんなので、CさんからすればBさんは「背が低い人」
 →Bさんは当てはまらないので、Dさん

【Cさんはこの集団の中では、「背が高い人」「背が低い人」のどちらとも言えない】

これが逆に、
「Cさんの次に背が低い人は」
 →「この集団の中で、Cさんは背が低い人である」という前提
 →「A・B・Cは背が低い人、D・Eは背が高い人」とみなす
 →「背が低いCさんの次に、背が低いと言える人は」
 →DさんはEさんよりは背が低いけど、言及されているのはCさんなので、CさんからすればDさんは「背が高い人」
 →Dさんは当てはまらないので、Bさん


「この5人の中で、Cの次に背が高い人は」(元の質問文)
 →Cさんは背が高い人
 →Cの次に【この人は背が高い人だ】と言える人」
 →「背の高いC」の流れを受けて、次に「背の高い」とみなされる人


なんか最初から全体的にしっくりこないなと感じていたのは、問題文の「身長(の数字)」と質問文の「背の高い人」に、言葉の印象のズレが少しあったから、ということなんだろうか?

B派は「身長(数字)」→「数による大小・序列」を重視し、その人が背が高いかどうかという相対的な印象は関係ない、と思っている?
(だから私がどんなに「Bは背が低いのに、「背の高い」という文言で表現する意味がわからない」といっても「なんでそんなこと気にするの??」になるのか)

D派は「背の高い人」→この中で「背の高い(この人は背が高い方だ)」と言える人、という相対的な認知がベースにある?のかな。
だから「背の高い人」=「身長の数値が平均より高い人」

こういうことなんだろうか?
これで私の言いたいニュアンス伝わるのかな??

この、「背の高い人」と言える(呼べる)というのは、イメージ的にはこうだ。
「○○さんという人を訪ねるように言われたのですが…」
「ああ、その人なら、あそこにいる背の高い人だよ」

ただ、これも人数が増えると、背の高さ(低さ)では、人によって受け取り方がまるで変わるので、誰かを特定するには向かない、ということなのだろう。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓
追記2

ちなみに、私の答えが正しいと言いたいのではなく、「そういう質問をされたら、直感的・反射的にどう答えるか」「そしてその思考プロセスはどうなっているのか」を掘りさげただけです。
何を対象にするのかによって、基準が変わる。
それはどうしてなのか。

今回の問題については、どちらが正しいか正しくないか存在しない。
人によって解釈が分かれる。
ということは、日本語として欠陥がある文、だと思われるので、使わない方が無難な表現なのでは。

ただそれだけのことだと思います。

(愚痴)
しっかしなんでこんなに自律神経が乱れるほど、この問題に対しての嫌悪感が消えないんだろう。(寝ても覚めてもこの問題が頭にあって、吐き気と息苦しさで予定が台無し)
今でも件のアンケートはBよりDが多い状態だけど、それとは関係なく、たぶん、悪文に対する嫌悪感なんだろうな。
解釈がわかれ、お互いがお互いの解釈を理解できなくて、そのせいで混乱が起き、分断が起こった。
日本語だけじゃなく言葉は、意思の疎通を目的にしたものなのに、使い方が悪いとトラブルの元になる。
それをまざまざと見せつけられたのが、たぶん、とてもショックだったのかもしれない。


〓〓〓〓〓〓
追記3

あと、B派の場合、この質問文が「次に背が低い人は」と言った場合は答えはDになるんだそうだ。
よりいっそう理解できない…。
Bのことがあって、その反対で背の低さ順で答えたことまではわかったけど、なんで「背が低い人」を聞いているのに、「背が高い人」を選ぶ?? 全然わからない。
「背が低い人」を聞いているのに、なんで?

「次に」があるから、ということらしいのだけど…理屈はなんとなくわかったような気はするものの、やっぱり全く語感がそぐわないので、腹落ちすることはない。生理的嫌悪感は相変わらず全然消えない。気持ち悪い。
でもB派からすれば、D派もそう見えてるので、おあいこではある。

あと、背が高い=優、もわからない。
背が高い方がいいに決まってる、ということ? なにそれ? 背の高い低いに優劣あるのって変じゃない??
背が高くて悩んでる人、背が低くて悩んでる人両方いるように、背が高い=無条件で「優」はいくらなんでも無理矢理過ぎる。
背が高い人を羨む気持ちを持つ人が多いのはわかるけど、それはあくまで主観的なものであり、優劣には関係がない。

「背が高い」=その集団で背の高い方の部類に属している
という感覚が先に立つので、「背が低い」集団に使うのはどうしても生理的に無理。

「次=劣」も全然わからない。
次点とか次席は、既に優劣がついているものを対象にした言葉だから、常に劣る方をさすことはわかるけど、それはそういう使い方をするというのが定着しただけであって、「次」自体はあくまで「別のものに視点を移した」だけにすぎない。
後に来るものが必ず劣る??
そんなのおかしい。
後から来たものが優秀かどうかは、その対象自体の一要素にしかすぎず、「次」の示すものはあくまで言及する順番でしかない。
そして、その方向性を決めるのはまた別の要素であり、今回の「背が高い」でも同様に、方向性が決定されるまでには至らない。

そもそも、正しいか正しくないか、というのは、言葉に関しては慎重になるべきだ。
「反射的にそう思ってしまう」ことで、意味や使われ方が変わっていった言葉がどんなに多いか(悪びれる、確信犯、さわり、憮然…などなど)。

もちろん、一種の寂しさはある。
(「鏤める」が「散りばめる」に取って代わられそうな勢いだとか、「仮令」が巷では「例え」表記であふれてるとか)
だけどやっぱり、言葉の本来の目的というのは、意思の疎通だ。
「これでは伝わらない」というのが明らかになった以上、それは「不適当な言葉」と認めざるを得ない。
「伝わらない」ことを他人のせいにするな。
「伝わるように思案する」ことを怠るな。
ましてや人格攻撃の道具にするなんて問題外。

D派はだいたい「なるほど、そういう考え方もあるのか」と、ある一定の歩み寄りがある人が多い印象なのに対して、B派は人格攻撃する人が出てきた。
それが、本当に、一番悲しかった。
私の気のせいではないと思うんだけど、D派は純粋に「どうして?」「へえ、なるほど」というだけの反応なのに対して、B派は「そんなことも読み取れないなんて云々」という強い言葉を使う人が多い。ちょっとその民度の差にびっくりしてしまう。

ちなみに飯間さんは個人的判断ではBを選んではいるけど、「次に背の低い人」という言い方には違和感がある模様。

そして、たらればさん界隈。

これ。まさにこれ。私はいつもこうやって、誰かの言葉を借りることでしか、伝えたいことを伝えられない。伝えようとしても、言葉が出てこないのでいつももどかしい。

すげえな、たらればさん…。ここまで懇切丁寧につきあってくれるなんて…。自律神経やられて諦めた私とは大違いだ…。知っていたけど、人間の器が違いすぎる…尊敬する。

そして、元ツイ主さんの見解。(掻い摘まんでいるので、全体はTwitterで直接確認してください)

さすがにプロの書き方はものすごくわかりやすい。

それでもまさか、飯間さんがあれだけ慎重に言葉を選んでるのに、「個人的には疑いの余地がない」を「日本語として~」と誤読する人がいるとはびっくりだよ…。絶対スレッド全部読んでないだろ…。

全然別件だけど、私の言いたいことを見事に言語化していたので。

まあだぶさん自身の戒めの意味もあるんだろうけど、でもそういうことなんだよね。
「仕方ないから俺様が馬鹿に教えてやる」的な態度ってほんとダサい。

〓〓〓
追記4

そういえば、英語の「last」は、「最後」であり「最新」というのが最初わからなかったけど、それに似た感覚なんだろうか?
「last record」的な意味合い?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?