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イザナミの悲しみの行く方

「日本的」と言われる企業経営のあり方を『古事記』というフィルターを通してみるという、ちょっと変わったテーマでコラムを連載していたことがある。それを読まれたある企業の社長の妻だと名乗るご婦人から、ご丁寧な感想をいただいた。

そのなかで、ご婦人はイザナキとイザナミの物語を読むと何ともいえないモヤモヤした気持ちになるというようなことをおっしゃっていたので、桐野夏生の『女神記』を紹介した。

この『女神記』、少々複雑な話しなのだが・・・

ヤマトの国のずっと南にある神が降臨したと言われている島で、大巫女として光の国に仕えることを使命された姉カミクゥに対して、闇の国、つまり島の死者たちを送り出すための巫女となることを宿命づけられた妹ナミマ。ナミマは島の厳しい掟によって村八分にされた一族の男マヒトと恋に落ち身ごもったことから、命をかけて島から脱出する。

しかし海上で娘を出産するとマヒトに殺される。魂となったナミマは地下にある死者の国の黄泉国(よもつくに)で、イザナミという女神と出会い、マヒトと娘が島に戻っていることを知って愕然とする。マヒトと娘に会いたい一心から、スズメバチの身体を借りて海を渡る。たどり着いた故郷の島では十数年のときが流れていて、マヒトと娘、そして姉カミクゥの、想像もしていなかった現在を知り、怒りに震える。

天の神々からヤマトの国の国土をつくることを命じられた男神イザナキと女神イザナミ。火の神の出産で大やけどを負って命を落としてイザナミは黄泉国にやってくるが、夫イザナキは迎えに来るのが遅かったうえに、見てはならないといったイザナミの姿をみて、おどろき逃げ帰えってしまう。その際、黄泉国への通路に大岩を置いて自分を閉じ込めた怒りから、イザナミは一日に千人の人間の命を奪っている。

一方、イザナギは一日に千人を殺すというイザナミに対して、一日に千五百人を生むために、永遠の命を持つ人間となって多くの女を娶り続ける。

男の野心によって娘と命を奪われたナミマ、男の思慮のなさと心ない行動によって死者の国にとどまらざるをえなかったイザナミ、二人の無念と怒りが交錯するとき、それぞれの男たちに悲劇が降りかかる。


イザナキとイザナミの物語にモヤモヤするといったご婦人から、感想とお礼のメールが届いた。本書に描かれるイザナミの物語はまさに自分の物語であり、ナミマの出身の島にいつかに行ってみたい、もちろん、ナミマの島が架空のものであることはわかっているけれど、その島に呼ばれているような気がする、とあった。

それまで本書は、男の野心によって命を奪われた女の復讐の物語に、夫によって死の国に閉じ込められたイザナミの物語が重ねられているだと思っていたのだが、ご婦人のイザナミへの深い思い入れに触れたとき、どうもそんな単純なものではないという気がしてきた。

本書のタイトルは『女神記』。改めて読み直してみると、その冒頭にはナミマの語りでこうある。

女神様の名は、イザナミ様と仰(おっしゃ)います。イザとは、「さあ、これから」と人を誘(いざな)う意であり、「ミ」とは女のことだ、と伺いました。夫となられたイザナキ様の「キ」が男を表す語だと聞けば、イザナミ様こそが女の中の女。イザナミ様が引き受けられた運命は、この国の女たちが蒙(こうむ)る運命、と申し上げても過言ではありますまい。

『女神記』(桐野夏生 角川文庫 2011年) 5ページ

物語の最後も、やはりナミマの語りで次のように結ばれる。

前にも申しましたが、まさしくイザナミ様こそが、女の中の女。イザナミ様の蒙(こうむ)られた試練は、女たちのものでもあります。
 女神を称(たた)えよ
、と私は暗い地下神殿の中で密かに叫ぶのでございます。

同 259ページ

これはイザナミという「女神」の物語であり、「女」という性そのものが辿ってきた物語なのだという。イザナミが引き受けてきた運命、蒙ってきた試練とは、どのようなものだったのか。

* * *

天上の神々に、地上世界の国土を整えるようにとの命を受けて、イザナキとイザナミは地上に降り立ち、島を産もうとするがうまくいかない。その原因を天上の神々は、女神であるイザナミが先に声をかけて交わったからだという。

神々の助言を受けて島産みに成功した二人は、次に自然現象の神々を数多く生んでいくが、イザナミは火の神を出産した際に大やけどを負う。その重症のからだから出た吐瀉物、糞、尿に神々が出現するが、ついに力尽きる。

イザナキはイザナミの遺体にしがみつき、嘆き悲しみ、泣き叫んだ後、遺体をある山に葬る。そして生まれた火の神を殺す。このとき流した涙、火の神の血しぶきや身体から、神々が出現する。

そして黄泉国へ行ってしまったイザナミを追っていく。ところが時すでに遅く、イザナミは黄泉国のものを食べていた。「でも愛しいあなたが迎えにきてくれた。還ろうと思うので、この国の神に相談してみます。でも私の姿を見ないでください」といって、イザナミは奥にはいっていく。あまりにも長い時間を待たされていると感じたイザナキは我慢できなくなって、火を灯してその部屋の中を眺めると、蛆がわきからだのいたるところで雷が鳴っているイザナミの姿があった。

恐ろしくなって逃げ出すイザナキ。恥をかかされたと怒るイザナミ。イザナミは追っ手を差し向けるが、イザナキはその国に通じる坂に千人の力でやっと動く巨大な岩を置いて、塞いでしまう。イザナミ「愛しいあなたがこんなことをするなら、これから私はあなたの国の千人の命を奪おう」、イザナキ「愛しい我が妻よ、あなたがそういうなら、私は千五百人の産屋を立てよう」と言い合い、永遠の別れを告げる。

イザナキは「なんと汚い穢れた国にいっていたのだろう」といって、九州の日向でその身を洗い清める。そのときに脱いだものから神々が出現し、身をすすぐ行為から神々が出現し、両目を洗い、鼻を洗った行為から、三貴神アマテラスとツクヨミとスサノヲが出現する。


二人が地上に降りてきてすぐにおこなった島生みでは、男女の交わり、つまり生殖においては女性から働きかけてはいけないことが示される。また、何かの失敗や不具合の原因は女の側にあるということも示される。

女神イザナミの「出産」という行為によって、多くの神々が生まれるわけだが、それは常に命と引き換えであることから、死は女神が背負うべきものとして位置づけられている。

黄泉国でイザナミの姿が変わり果ててしまったのは、早く迎えに行かなかったイザナキの落ち度なのに、イザナミひとりだけを穢れた国の穢れた者とする。また、イザナミの死の間際、彼女の吐瀉物、糞、尿といった誰もが目を背けたくなるようなものから神々が出現するのに対して、イザナキは涙、脱いだ服、目鼻を洗うといった行為から神々が出現する点から、穢れのイメージも女神にだけに負わされていることがわかる。

ちなみに『古事記』のイザナキとイザナミによる国生み、神生みの物語では、イザナミの産道を通して神々が出現することは「生む」と記され、それ以外の行為で神々が出現することは「成る」と記される。例えば、イザナミが火の神を出現させることは、産道を大やけどしたことからもわかるように「生む」と記されるが、彼女の産道を通さず、吐瀉物などから出現した神々は「成る」と記される。

したがい、その男神イザナキによって出現した神々は「成る」と記されるわけだが、女のように産道をとおした神生みではないため、死を伴わない神生みといえる。

イザナミが死して穢れた国に行ったという発想に従えば、死がなければ穢れもない。その状態で出現したのがアマテラスとツクヨミとスサノヲであり、天上と夜の国と海の国を治めることになる。

彼らを前にして「私は数多くの子を生み続けてきたが、その終わりに、貴い三人の子を得た」と悦に入るイザナキを、『女神記』のイザナミは見逃さない。

「・・・しかもアマテラスという太陽の女神を産んで、最高位の神が産まれたと喜んだ、と稗田阿礼は語っていた。女の私が産んだ子供だったら、最高位の神にはふさわしくないから、私は穢れた存在として、黄泉の国に閉じ込められたのか。・・・中略・・・ナミマ、わかるか?私は女神であることが悲しいのだ

同 113ページ

最初は性別のない神々が出現し、その後、男神と女神が分かれて出現したように、生と死も混沌としたものであったが、ある時点から生と死は分かれるという神話の論理。

しかし、それが統治者の創生の物語とつなげられたとき、男と女、生と死は等価ではなく、優劣や序列にさらされる。その結果、女と死は穢れたものとして遠ざけられ、特定の場所に封じ込められた。女と死の及ばない場所で出現した神々こそが最も貴く、世界を治めるのにふさわしいという政治的なメッセージを、イザナミが、女が読み取ったことを、この一文は伝えているのではないか。

「女神」イザナミは、国づくりの立役者であり協働者でありながら、存在しないものとして扱われた。その空前絶後の悲しみは、イザナキとともにつくってきた国の人間の千の命を奪ったところで、癒えることはない。

* * *

イザナミの物語をこのように読み直しながら、イザナミに深い思いを寄せたご婦人の人生に思いを馳せてみる。

夫ともに若いころから苦労して一緒に働いてきた。ときには子を背負いながら、家事におわれながら、事業を育てることに心血を注ぎ、自らの喜びとしてきた。ところが事業が会社という組織になったとき、夫は社長におさまったものの、私は会社や事業に関与することを認められなかった。一緒に事業を大きくしてきたのに、女だからという理由で、家にいればいいと言われた。どうして?夫は自分一人で会社を大きくしたような顔をしている。何十年にもおよんだ私の苦労と努力はなんだったのだろう?

ご婦人のやりきれない思いに、イザナミの悲しみがそっと寄りそった。





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