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鏡越しの交流

高校生のころ、初めてパーマをかけた。

バブル経済真っ盛りのころで、服装は自由な学校だったこともあり、同級生たちには、トレンディドラマに出てくる女優たちを真似して、ソバージュパーマをかけている娘もいた。

私の場合、ソバージュは親が許さなかったため、前髪の半分を下ろし、もう半分をワンカールし、扇のように広げるだけのパーマではあったが、それもトレンディドラマの髪型の一つだったこともあり、ちょっと大人になったようで、うれしかった。

担当してくれた美容師さんにはなんでも話せた。

6つ年上の男性で、当時、ハリウッド映画の娯楽作品が興盛を極めていたころで、鏡を通して、いろいろな映画の話しをした。特にその美容師さんが、若いころのロバート・デニーロに似ていたこともあり、デニーロの映画の話題で盛り上がった。

まだシネコンなどはなかった時代で、東京で映画を観るといえば、新宿、渋谷、有楽町、池袋などの都心の繁華街に出なければならなかった。バブル時代の東京の高校生だったにもかかわらず、人混みが苦手だった私は、もっぱらレンタルビデオで観ていた。

そんなことを伝えると、彼は新宿で人混みを通らずに行ける映画館への行き方や、趣味のいいヨーロッパ映画を上映している渋谷の映画館などを教えてくれた。それでも私が「えー、新宿や渋谷はイヤだな・・・」というと、「じゃあ、今度連れて行ってあげるよ、行きたくなったら、いつでもここに電話して」と気軽にいってくれた。

一瞬、デートのお誘い?と期待したけれど、社会人のその人が高校生の自分など相手にするわけはない、得意客への口上だと思ったので、「ありがとうございます、そうします」とだけ答えた。

改めて考えてみると、彼は当時22〜25歳くらいで、企業に入ってくる新人とかわらない年齢だったが、その美容室のチーフ的な役割をしていて、他のスタッフから頼りにされていたし、実際多くの顧客を抱えていた。

ヒゲもたくわえていて、一見チャラチャラしたような人だったけれど、鏡越しに見える彼の働きぶりは、高校生の私からみれば大人そのもので、“労働”の楽しさと尊さを、身を持って教えてくれた最初の人だった。

そして何より、私が高校生活になじめず、毎日の通学が苦痛だったことを、友人にも家族にも打ち明けることができないでいたとき、それを漏らせる唯一の相手だった。鏡に映る私は、鏡に映る彼にだからこそ、話せた話しがあった。

2ヶ月に一度、前髪のパーマのロットを巻きながら、後ろ髪のすそをカットしてもらいながら、学校で友人たちとうまくいかなかったことや、受験勉強が思うほど進んでいないことをきいてもらった。髪がすっきりと整うころには、どこか心もすっきりとしていた。


その苦痛の高校生活を経て、大学に入学したのち、待ちにまったソバージュパーマのデビューを果たした。

毛量が多くてパーマがかかりにくい髪質の私は、今でも美容師泣かせなのだが、当時のソバージュパーマもスタッフ3〜4人がかりでロットを巻いてもらった。その分、彼と長く話すことができたので、私にとっては楽しいひとときだった。

大学生活も後半に入るとバブル経済も崩壊し、女子学生たちのファッションもヘアスタイルも保守的になっていった。ストレートヘアのお嬢さん風なファッションが主流となったが、私はソバージュパーマをかけ続けた。

大学4年の夏の終わり、世の中の経済状況がいっそう厳しくなっていくなか、うまくいっていなかった就職活動の立て直しを図ろうと、髪を整えに彼のもとを訪れた。就職活動中のために、ソバージュにはしていなくてカットだけの短い時間だったのだが、最後の仕上げのとき、彼から言われた。

「君が高校生のとき、新宿の映画館に連れていってあげるって言ったの覚えている?もし、よかったら本当に行かない?」

それまでどおり、鏡に映る彼が鏡に映る私にいっているのだが、以前きいたときのような、得意客に対する“口上”ではない気配を感じた。でも、まだ決まっていなかった就職や12月に提出しなければならない卒論のことで頭がいっぱいだったこともあり、「そうですね・・・」とだけ答えた。

9月の終わりにはなんとか就職が決まり、12月に無事卒論も提出することができた。またソバージュパーマをかけに、美容室を訪れた。前回のことが気まずくないわけでもなかったが、美容師は彼だけという思いもあり、受付で彼を指名すると、9月に退職したと言われた。

代わりに担当してくれたスタッフの話しによると、他県で美容室を経営する母親の跡を継ぐために、実家に戻ったということだった。たしかに、いずれそうしたいというのは聞いていたが、まさか前回が退職前の最後の機会だとは思いもしなかった。

最後だから彼は映画に誘ってくれたのだ。

長い間、私の髪を担当してくれたことや、高校時代にいろいろな話しを聞いてくれたこと、それによってつらかった高校生活をなんとかやり過ごすことができたことのお礼を言いたかったが、自身のうかつさから、その機会は永遠に失われた。

もうヘアスタイルの流行がソバージュという時代でもなくなっていたこともあり、そのときから、ソバージュパーマをかけるはやめた。


それから20数年のときが流れて、先日、ロバート・デニーロの『マイ・インターン』という映画を観た。定年退職をした男性が、アパレルのベンチャー企業にシニアインターンとして再就職して、若い女性社長(アン・ハサウェイ)を公私にわたり支えるという話しなのだが、シニアの年齢に達したデニーロがいい味を出していた。

家庭の問題で仕事をどうするか迷っている女性社長をなだめ励ますデニーロの姿に、いつのまにか私はあの頃の自分と美容師さんとを重ねていた。彼はシニアではないけれど、やはりいまでも、鏡越しにいろいろな顧客の話しをききながら、人を励まし勇気づけているのだろうかと。

そして、私の多い毛量と格闘しながら鏡越しに言ってくれた彼の言葉を思い出していた。

「髪が多いと大変なこともあるけれど、ある意味、これは財産なのだから、大切にしたほうがいいよ。そしてもっと自信を持って大丈夫だよ」





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