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平和への祈り グランドプリンスホテル広島

***大切な人たちとの穏やかでなんでもない暮らしに感謝を込めて***


電車の中で、観光シーズンに向けたグランドプリンスホテル広島の広告を見た。

何年か前、広島への旅行を計画したとき、お目当ての宮島で宿が取れなくて……とある知人に話したら、敷地内に宮島への高速船が出ている桟橋を持つこのホテルを、広島駅からの行き方も含めて紹介してくれたことを、思い出した。

ちょうどそのころ、平清盛に関する文献をガラガラと読み漁っていて、安芸という地名や厳島神社という記述に触れて、20年ぶりに訪れてみたくなった。

このホテルを紹介してくれた知人は、東京の地元の人でなくては関心も持たないような地域についてとても詳しかったので、てっきり、東京で生まれ育った人なのかと思っていた。本人にも「東京の人でしょ?」と決めつけ疑問文でたずねていた。

「いや、広島です」が答えだった。

それまで、広島出身の友人知人、親戚が私にはいなかったこともあり、広島から想像できる事柄は、修学旅行で触れるようなもの以外はあまり思い浮かばなかったが、夏休みの読書感想文の課題図書と分かちがたく結び付いていた。

小学生高学年のころから高校を卒業するまで、夏休みの読書感想文には、毎年決まって必ず戦争や原爆についての課題図書が与えられた。高木敏子の「ガラスのうさぎ」や原民喜の「夏の花」や井伏鱒二の「黒い雨」は学年が変わろうとも、学校か変わろうとも、必ず読んだ。

これは東京の公立の学校で決められた国語の指導要領か何かに沿った課題なのかと思っていたが、後年、やはり東京の公立の学校を出た弟や友人に聞いてみたところ、必ずしもそうではないことが分かった。

今思うと、担任や国語の授業を受け持った先生たちは、戦争で親兄弟を亡くしたり、何かしらの辛い体験をしたりした世代だったのではないか。後の世代には、決してそんな体験をさせてはならないという思いで、夏休みの課題にこれらの本を選んでいたのかもしれない。

そして私は偶然にも、そんな思いを持った先生たちに毎年何年も続けて巡り合った。

だから私にとって広島は、長い間、気軽な気持ちで訪れてはいけない土地だった。

そんな広島のイメージと知人の気さくでゆかしい人柄とが、寄せては返す波のように、私の中で行ったり来たりした。

そしてある日、広島への旅行の計画が持ち上がり、そうだもう一度、この目で、肌で広島を、知人が育ったという土地を感じてみたいと思うようになっていた。

広島への旅が修学旅行以来ということもあり、スタンダードなところで、広島市内や宮島を巡ることにした。

知人が紹介してくれたホテルにチェックインした後、その桟橋から出ている宮島行きの高速船に乗り込んだ。

宮島へ向かう途中、船から眺めた空の色も海の匂いも、段々遠くなっていく市街の様子も、その知人のようにオープンで穏やかなものに感じられて、自分がそれまでに思ったこともない広島がそこにはあった。

幾多の本で読んできた広島の出来事の前日、いやその瞬間の直前まで、こんな穏やかでかけがえのない時間が流れていたのかもしれないと思うと、学校の先生たちが私たちに伝えたかった思いは、こういうことだったのか……と胸に迫ってくるものがあった。


さて、この旅行では宮島、広島市内の観光を経て、最後は尾道に立ち寄った。尾道はラーメンの街としても有名で、ホテルを紹介してくれた知人がラーメン好きだったことを思い出し、お土産に選んだ。

お土産を渡したときの、あの船からみた景色のような穏やかな知人の横顔を、今でも時々懐かしく思い出すことがある。



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