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冷やし中華はじめました

ずっと冷やし中華が好きではなかった。鼻とのどをつくようなすっぱい汁が苦手だったから。また食べた後、きざみのりや紅しょうが、錦糸卵などの千切りにされた具材が、箸でつかみきれずにそのまま汁に浮いている見た目も好きではなかった。


夏のある日、つき合っていた人から、風邪をひいて会社を休んだと連絡があった。前の日から何も食べていないということだったので、仕事帰りに食料を買って彼の部屋に寄ってみると、ケロッとした顔で、ワンルームの廊下兼キッチンで何かをつくっていた。

「あれ?どうしたの?寝てなくていいの?」

「うん、熱が下がったら、お腹がすいちゃって。仕事で疲れているのに、寄ってもらって悪かったね。冷蔵庫にあるもので夕飯をつくったから、一緒に食べよう」

背中を押して案内してくれたテーブルには、冷やし中華が用意されていた。私の冷やし中華嫌いを、彼は知らない。

うわ・・・冷やし中華・・・内心困惑したが、よくみると、私が知っている「冷やし中華」とは似て非なるものがそこにはあった。

まず目をひいたのが、麺のうえにのっている豚の生姜焼き。焼き豚の代わりに、数日前に私が冷蔵庫に置いていった豚肉を生姜焼きのタレで焼いたという。次に不思議だったのが、小さめのふつうの卵焼き。卵を薄く焼いて錦糸状に切る技術はなかったらしい。きゅうりも千切りではなく、サラダ初心者が切るような分厚い斜め切り。

きざみのりも紅しょうがもない、お弁当のおかずを麺のうえにのせたような食べ物で、汁は当時流行り出したばかりのゴマだれだった。これ、大丈夫なのかな???

「さあ、食べよう」

私の心配をよそに、生姜焼きのしょっぱさと卵焼きの甘さとバリバリというきゅうりの食感が、人生初のゴマだれとマッチした。つんとするすっぱさがなくて、これならいくらでも食べられる!

しかも具が千切りではないため、食後の見た目も悪くない。嫌いな要素が何一つない。

私にとってはこの上ない奇跡と感動のつまった冷やし中華であったが、残念なことに、彼とはその後、別々の道をいくことになった。


それから四半世紀。

年齢を重ねて、人並みにツンとするすっぱい汁の冷やし中華も食べられるようになったが、家ではあのおかずのっけ盛りのようなコマだれの冷やし中華をつくる。最初にそれを見た母は、きゅうりと錦糸卵はもっと細く切りなさい、とか、どうして焼き豚ではなくて、生姜焼きなの?ゴマだれって何?と騒いだが、意外に美味しいわねと完食した。それ以来、我が家の定番となった。

でも、それを食べるたびに、思うのだ。

あの真夏のむせかえるような暑さの中で、病み上がりにもかかわらず仕事帰りの私を気遣って、料理などほとんどしたことのない彼がつくってくれた冷やし中華には、かなわないなあと。



※本noteは、第34回エッセイコンテスト「香・大賞」(香老舗 松栄堂主催)へ応募した作品を、コンテスト結果発表後に加筆編集したものである。



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