見出し画像

【本棚から一冊】東京の地霊(ゲニウス・ロキ)

『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』
著:鈴木博之
出版:文春文庫(1998年3月)

作家須賀敦子の生誕90年の記念の展示がされているということで、彼女の出身大学の聖心女子大学へ出かけた(※1)。

キャンパスに足を踏み入れると、凛としたはりつめた空気が流れている。

図書館入り口すぐの展示ケースには、彼女直筆のイタリアの地図や日本文学の講義の準備と思われるノート、使い込んだ小さな日伊辞書などが並んでいた。また学内報による部活動に参加していたときの様子や卒業論文のダイジェストと思われる学生時の記録なども展示されていた。

彼女は戦後に開学した聖心女子大学の第一期生ということで、同期生と一緒に写った写真があった。

その写真には、国際政治学者で国連難民高等弁務官や国際協力機構理事長などを歴任した緒方貞子、「置かれた場所で咲きなさい」など生きることへの慈しみの言葉を綴った学校法人ノートルダム清心学園理事長渡辺和子といった、戦後の女性の生き方を切り開いていった方々が一緒に写っていた。それぞれの著書で何度か見たことがある写真ながらも、実際の出身大学で見ると胸が熱くなった。

図書館を後にして、学内にある旧久邇宮邸御常御殿を見学した(※2)。

聖心女子大学の広尾の敷地は、江戸時代の後半、下総国佐倉藩の下屋敷だったものを、明治に入って創設された宮家の久邇宮家の二代目邦彦王が得て邸を建てたが、戦後、宮家の皇籍離脱によって、国の管理下におかれる。そこを聖心女子大学が入手したという。

また、昭和天皇の香淳皇后はこの久邇宮家のご長女で、ご婚約からご成婚までの6年間をこの邸で過ごし、ここの車寄せから輿入れされたとのこと。

聖心女子大学は美智子皇后の母校として知られているが、となると、この土地は、昭和、平成の二代にわたる皇后を育んだことになる。また、先の写真で見た須賀敦子、緒方貞子、渡辺和子といった女性たちもこの土地で学んだことを思うとき、佳き人を育む土地というかもあるのかもしれないと思った。

そういえば、そんなことを以前、何かの本で読んだことがあったな・・・。

* * *

遠い記憶をたどり、家の書斎から引っ張り出したのが、『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』。東大で建築史の教鞭をとっていた鈴木博之の著書で、都市を土地の歴史という観点か視るというもの。

本書によれば、「地霊」とは「ゲニウス(Genius)・ロキ(loci)」という言葉の訳語で、18世紀の英国で注目された言葉で、様々な事物を守護する霊という意味にまで拡大して用いられている「ゲニウス(Genius)」と、場所や土地を意味する「ロコ(loco)」や「ロクス(locus)」が原形となっている「ロキ(loci)」からなる、土地から引き出される霊感、土地に結びついた連想性、土地が持つ可能性といった考え方を含む言葉らしい。

特に著者は「単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景と性格を読み解く要素もまた含まれている」ことに注目して、東京の土地を視ていく。

長い歴史の中で視ていくと、そこに住んだ人に幸運が訪れるもの、不運が訪れるもの、有効活用されないもの、大きな変化がないものなど、その土地特有のクセや傾向があり、住む人、関わる人の人生にまで影響を与える「土地の力」を読み解いていくということなのかもしれない。

これが書かれたのは1990年。バブル経済の真っ只中で、東京の地価が高騰し、経済的価値だけで土地が売買され、それによってそこに住む人、関わる人の人生までが翻弄された時代だった。それまでにも明治維新や昭和の戦後など、日本の歴史の大きな転換点で、土地の役割が変わり、住まう人が変わり、価値が変わってきたことを、江戸時代後半から読み解いていく。

たとえば、聖心女子大学の広尾の土地が二代にわたる皇后を出した一方で、広尾と同じように、武家屋敷から皇族のお邸用地となりながらも、戦後、国の管理下におかれた六本木一丁目は、歴史に翻弄された人々が住まう土地だったようだ。

幕末は岩手盛岡の武家屋敷であったが、明治維新とともに皇族賜邸地となり、天皇家から徳川家に嫁いだ皇女和宮が住み、その後、新宮家の梨本宮家が移り住んだのち、戦後処理内閣として天皇を護るために担ぎ出された東久邇宮稔彦王の住まいとなった。麻布御殿といわれたその邸は空襲によって消失し、皇室の財産が国有化されたことを機に、昭和23年に林野庁の施設が建てられる。

その経緯は、皇室の財産の大部分を占める御料林を宮内省帝室林野局が管理していたが、戦後、その帝室林野局が農林省林野庁に吸収されたことによる。しかし結局は、中曽根政権時代の国有地払い下げ政策によって民間に払い下げられた。これが引き金となり、東京の地価が高騰し、バブル経済の幕を開けたといわれている。

著者は、林野庁施設の払下げは日本の山林そのものの力が弱まったことの帰結だと見て、次のような感慨を抱く。

国有地の払下げは、こうした薄幸の土地を狙い撃ちにしてくる。土地の歴史、土地の変遷をたどると、どのような土地にも小説以上に興味津々たる物語が隠されているのだが、そうした小さな土地の物語のなかにこそ、都市の真実が含まれているのではないか。

『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』29ページ


本書は、歴史に翻弄された人たちが住んだ薄幸な土地六本木一丁目に始まり、新たな生き方を切り開いた人たちを育んだ佳き土地広尾で終わる。六本木一丁目の東久邇宮稔彦王は、広尾の久邇宮家の九男であったこと思うとき、その後の土地の明暗にはっとさせられるとともに、その構成がなんとも心にくい。

平成の初めの記録で終わる本書を平成の最後の今改めて読み返すとき、この30年にはどんな地霊があったのか、泉下の著者にきいてみたい気がする。

* * *

私自身も、今からちょうど30年前の平成元年(1989年)に、この聖心女子大学を訪れた。高校三年のとき、大学受験の志望校を決める時期に入っていて、どこにしようか迷っていたところ、学校の掲示板に貼ってあった大学説明会のチラシを見て、説明会に行ったのである。

「聡明」という言葉を絵に描いたような在校生からの説明などがあって、こんなところで勉強できたら素敵だなぁと思って受験したものの、入学できるだけの学力がなく、残念ながら、それ以降のご縁はなかった。

でも、30年後の平成最後の年にまたその門をくぐることができたのは、「この30年、あなたなりに頑張ったから、大好きな作家須賀敦子の資料でも見にきたら?」と広尾の地霊(ゲニウス・ロキ)に呼ばれたからではないか。


※1 聖心女子大学【図書館企画展示】 須賀敦子-生誕90年記念展示-
2019年3月11日(月)~4月13日(土) 於:図書館展示コーナー
一般の方も図書館入館可能 詳細はこちら

※2 聖心女子大学旧久邇宮邸御常御殿の詳細はこちら
なお、2019年春は、2019年3月18日(月)~3月22日(金)に一般公開されていた。本noteアップ時の2019年3月31日にはすでに終了している。
一般見学の詳細はこちら


今回参考としたのは上記の文春文庫だが、現在は入手が難しくなっている。以下のちくま学芸文庫ならば入手可能。



・・・お読みいただき、ありがとうございます。何か感じていただけることがありましたら、「スキ」やフォローしていただけると、嬉しいです。「スキ」にはあなたを寿ぐ「花言葉」がついています・・・noteの会員ではない方も「スキ」を押すことができます・・・


この記事が参加している募集

推薦図書

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?