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言葉の世界をひらく旅(前編)|戸隠神社

ある年の秋の終わり、仕事で長野県の小布施に行く機会があった。日曜日をはさんだ出張だったこともあり、前日の土曜日に長野入りして戸隠神社の奥社に行ってみることにした。

戸隠は、アマテラスが岩屋に隠れて世界が闇にとざされたという天の岩屋戸伝説のゆかりの地であり、歌舞伎や能楽の「紅葉狩」の舞台ともなっている場所。前年には、天の岩屋戸の舞台となった宮崎県の高千穂峡を訪れ、この出張の直前には、芝増上寺の薪能で「紅葉狩」を観たことこともあり、戸隠への興味が高まっていた。

戸隠は長野駅からバスで1時間くらいのところで、そのバスの出発時間と昼食の時間を見込んで、新幹線に乗ろうとした。時間に縛られる旅が好きではないこともあり、いつも新幹線は乗車駅についてから指定席の切符を手配するのだが、土曜日で紅葉のシーズンと重なっていたため、乗ろうとした北陸新幹線「かがやき」の指定席はすべて埋まっていた。

「かがやき」は自由席がないため指定席がとれない場合は、立っていくしかない。停車駅の多い「はくたか」や「あさま」では、予定していた長野から戸隠へのバスに乗り遅れる。大宮から長野まで1時間ちょっと、通勤電車もそのくらいなのだからなんとかなるだろう。そう言いきかせて立ち乗車券を購入し、ホームに上がった。

ところがその考えも甘かった。東北、北陸の紅葉をめざす観光客でホームはごった返し、立ち乗車待ちの人たちで乗車口ラインはあふれていた。新幹線がホームに入ってくると、東京駅からの立ち乗車の人で車内はいっぱいだった。一本見送って次の「かがやき」に乗車したが、これも前の人の背中(リュック)にセミのようにはりついて、後ろの人に押してもらってなんとか入ることができるほどの混みようだった。

通勤ラッシュのように人に寄りかかってやっと立っていられる体勢でなんとか長野駅に到着した。駅に降り立つと、晩秋とはいいながらもすでにピンとした冬の空気が張りつめていたため、マフラーを巻きなおしてコートの襟を立てた。駅で昼食をとり、予定していたよりも一本後のバスで戸隠へむかった。


アマテラスは、弟のスサノヲの乱暴狼藉に腹を立て、天の岩戸に姿を隠してしまったため、高天原(たかあまがはら)と葦原中国(あしはらのなかつくに)は闇夜に閉ざされてしまう。困った八百万(やおよろず)の神々は集まって会議を開き、アマテラスを岩屋から出すための方策を考える。

そして、神々は岩屋の前で宴会を開き、アメノウズメが裸姿で舞い、飲めや歌えやの大騒ぎをくりひろげる。自分がいなくても楽しそうにしていることを不審に思ったアマテラスが、岩屋の戸からそっと顔を出して外の様子をのぞこうとした瞬間に、力自慢のアメノタヂカラヲが、アマテラスの腕をつかんで引っ張り出し、その戸を遠くへ放り投げた。その戸は信濃の地に落ち、戸隠山となった。

そんな戸隠の由緒を語る伝説を思い出しながらバスに揺られているうちに、新幹線立ち乗車の疲れが出たせいか、バスの暖房も手伝って猛烈な睡魔に襲われた。

半時ほど熟睡していると、窓枠から入ってくる冷たい隙間風に起こされた。見える風景がすっかり山の中になっていて、木々も色づき、霧が立ち込めてきた。しかし、しばらく行くといったん霧は晴れた。しかし、さらに行くと、また霧に包まれた。そんなことを何回か繰り返しているうちに、霧が幾重にも山肌を覆っている水墨画のような風景が私の中におりてきた。

戸隠神社の奥社参道口でバスを降りると、小雨が降っていた。ベンチで登山用のウインドブレーカーを着て撥水加工の帽子をかぶり、参道に足を踏み入れた。

御神域と呼ばれるところは樹々がうっそうとし、空気が異様なまでに張りつめていて、ひんやりとする。冷気=霊気であることを実感するのだが、小雨が止むと霧が出てきて、霧が晴れるとまた小雨がふるといった感じで、もはや雨だか霧だかの区別もつかない。

奥社に祀られているアメノタヂカラヲに進入を阻まれているような気分になりながら、前を行く人の背中を見失わないように歩みを進めていく。

中間地点にあたる随神門周辺では、神社のシンボルともなっている高い杉に遮られて、もはや日の光は届かず、金田一耕助シリーズの映画に出てくるおどろおどろしい世界への入り口のようで、門をくぐるのがためらわれた。

500メートルにもおよぶ杉並木を抜けると、いよいよ勾配がきつくなり、奥社へのクライマックスである石段が見えてきた。ぬかるんでいる坂や石段を、一歩一歩、一段一段慎重に登っていく。

やっとの思いで石段を登り終えて奥社に到着しても、あたりは霧に覆われていて、何も見えない。ときどき霧の切れ目で向かいの山が見えるのだが、またすぐに見えなくなってしまった。

「ああ、アメノタヂカラヲが投げた岩屋の戸は、こうして、霧によって隠されているんだ・・・だから「戸隠」なんだ・・・」

バスの中から見た霧や参道で雨と交互にあらわれる霧に戸惑いながらもずっと感じていたことが、すとんと言葉になっておりてきた。


それまで、アマテラスが隠れた岩屋の戸という意味で「戸隠」というのかと思っていたのだが、改めてこの地に足を踏み入れてみると、別の考えが湧いてきた。

アメノタヂカラヲは岩屋の戸をはるか遠い地に投げただけでなく、戸が二度と見つかることがないよう、霧深いこの地を選んだのではないか。ときに雪深く、ときに緑木立深く、なんどきもなんびとも戸を見つけることができないこの地を。

アマテラスが岩屋に隠れたことで、世界は闇に閉ざされた。『古事記』はそのときのことをこう記す。

高天原皆暗く(たかあまのはらみなくらく)、葦原中国悉く闇し(あしはらのなかつくにことごとくくらし)。此に因りて常夜往きき(これによりてとこよゆきき)。是に(ここに)、万の神の声は(よろづのかみのこえは)、狭蠅なす満ち(さばえなすみち)、万の妖は(よろづのわざはひは)、悉く発りき(ことごとくおこりき)

高天原はすっかり暗くなり、葦原中津国も全く暗くなった。こうして夜がずっと続いた。そこで大勢の神々の騒ぐ声は、五月ごろ湧き騒ぐ蠅のようにいっぱいになり、あらゆるわざわいがすべておこった

新編古典文学全集1『古事記』(小学館1997年)63ページ
※読み仮名、現代語訳も本書より引用している

「あらゆるわざわいがすべておこった」とあるように、闇とは神々にとって忌避すべき事態なのだ。

二度と闇が出現しないように、アマテラスが出た後の岩屋にはしめ縄が引かれ、そこに通じる戸は、はるか遠い地で徹底して隠されなければならなかった。

ただ実際に『古事記』と『日本書紀』を読んでみると、記紀の天の岩屋伝説(神話)には、戸が投げられて信濃の地で戸隠山になったという記述はない。おそらく戸の霊的な力を信じる民によってこの部分が伝えられ、アメノタヂカラヲがここに祀られたのではないか。


結局霧で何も見えない奥社の前でなぐさめ程度にいくつかの写真をとり、おみくじ業界では有名らしい、年齢と性別を伝えて神主さんが引いてくれたおみくじを受け取ったあと、ぬかるんだ石段、坂、杉並木を戻り、バス停へむかった。

参道口に着くころには、晴れ間も出てきて、雨と霧は嘘のようにおさまっていた。

バスの到着までに少し時間があったので、茶店で温かくて甘いお汁粉をすすり、寒さと疲れをいやした。そこでもう一度、奥社で湧いてきた「戸隠」という地名に関する考えを頭の中で整理した。

古典文学の研究を志していた学生時代、古典の言葉や世界観については、辞書的なあるいは解説的な意味は知っていても、実際のところはあまりピンときていないということが、よくあった。しかし、それからずいぶんと時間が経って、人生の経験を重ねた近年、突然、何かが降りてくるかのように、理解できる瞬間がある。

もちろんそれは学術的な根拠があるわけではなく、自身の体感というか実感を伴う仮説でしかない。誰かに話したところで違うと言われてしまえばそれまでなのだが、特に古典や文学作品に関係する土地を旅していると、このような実感に触れることがある。

肌で感じたその土地の人々の表情が、風が、空が、海が、光が、雨が、土の匂いが、作品の言葉や世界観の理解に奥行きを与えてくれるということなのかもしれない。

長野へ向かうバスの中でそんなことを考えながら、奈良の大和路を旅したときもこんな体験があったことを思い出していた。

・・・後編はこちらから・・・




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