見出し画像

自転車屋の女房

高校から30代後半まで25年ほど住んだ町では、最寄駅から自宅まで徒歩で20分くらいかかるところだったため、自転車を利用していた。

15歳のときに少し遠くの塾へ通うために買った自転車をずっと乗り回していたのだが、15年も経つとタイヤがパンクしたり、ブレーキが効かなくなったりするなどの不具合がひんぱんにおきるようになっていた。

そのたびに、駅前にあった自転車屋にお世話になった。

長い間、主人である男性とその母親との二人で店を切り盛りしていたのだが、あるとき、見慣れない女性が店番をしていた。タイヤの調子が悪いので見てほしいとその女性に伝えると、女性は店の奥に入って主人の母親を連れてきた。

母親がタイヤの中からチューブを取り出して破けている個所に応急処置のテープを貼る様子を、その女性はそばで眺めていた。単に眺めているというよりは、いずれ自分も修理に入るつもりだというような目つきで、熱心に手順などを追っているように見えた。

「おかあさん、お代おいくらでしたっけ?」

その女性が母親をそう呼んだので、このうちには娘さんがいてその人が戻ってきたのかなと一瞬思った。ほっそりとしてどこか垢抜けているその女性は、エプロンをかけて、薄化粧で髪もひとまとめにしているものの、脱色した黄色や茶色の髪の束が毛先に見えた。

子供のころ、母の実家が商店街で菓子屋を営んでいたこともあり、周囲の大人たちはみな商店の人だった。その実直さや独特の雰囲気をつぶさにみてきた私の目には、主人も母親も典型的な街の商店の人に映ったのだが、その女性は商店で育ったという感じがしなかった。娘さんではないなと思った。

修理が終わった自転車を転がしながら、自転車屋の主人の母親を「おかあさん」と呼ぶもう一つの可能性を考えてみた。つまり、あの主人がお嫁さんをもらった可能性である。お嫁さんなら「おかあさん」と呼んでもおかしくないし、家業を手伝おうとしていた様子にも独り合点がいった。

それから2〜3ヶ月後、こんどはペダルを漕ぐと変な音がするようになって、自転車屋を訪れた。

またあの女性が店番をしていた。女性は少しぼんやりとした様子で、今ではあまり見かけなくなった木枠のガラスの窓越しに、遠くを見つめていた。

木枠の扉をガラガラガラと開けると、こちらに気づいて、奥にいる主人を呼びにいった。

「あなた、お客さん」

ああ、やっぱりお嫁さんだったのか。

よくわからないけれど、よかったよかったという安堵にも似た気持ちが湧き上がってきた。でもそれと同時に、遠くを見つめる彼女の眼が深い海の底を思わせる暗さを宿していることが、気にかかった。

ある雨の日、バスで駅へ向かう途中、商店街のご婦人方の噂話が耳に入ってきた。駅前の自転車屋の主人が、隣街の繁華街でホステスをしていた女性と結婚したこと、それを母親が快く思っていないことなどが聞こえてきた。

また、主人と女性は年齢が少し離れているらしいことも分かった。たしかに主人が50代に入ろうかというくらいの年齢だったのに対して、女性は30代後半くらいに見えた。

そのあと2年ほど、私は別の街で一人暮らしをしていたため、そんな自転車屋のことなどは思い出すこともなかったのだが、体調を崩して実家に戻ってきた。

ずっと乗り続けていた自転車も動かなくなってしまった。体調が悪くて新しい自転車に乗る体力も気力もなかったのだが、例の自転車屋を遠目にのぞくことがあった。

しかし何度のぞいても、あの女性の姿はなく、主人とその母親が切り盛りする店に戻っていた。

どんな理由で女性の姿が見えなくなったのかはわからなかったが、商店街のご婦人たちが噂していたように、お姑さんとうまくいかなかったのかもしれない、あるいは年上の男性との商店の暮らしが、若い彼女には少し退屈だったのかもしれないと思った。

そんな彼女の心のありようを想像しているうちに、学生のころにみた歌舞伎のある演目に出てきた女の心情にたどり着いた。

* * *

今となってはどんな話しだったかは、正確には思い出せないのだが、たしかこんな話しだったと思う。

ある浪人の母親が病気でその治療費を工面するために、妻が遊女となる。母親は治療の甲斐なく亡くなってしまうのだが、妻はその年の秋に年季があけて戻ってくる予定になっていた。

自分と母親のために苦労した妻をいたわろうとする浪人と、実の娘でありながら義姉につらい目に遭わせてしまったと負い目を感じている浪人の妹。妻を母と思い孝養を尽くそうと、ともにその帰りを心待ちにしていた。

ところが、妻は別人となって戻ってきた。遊郭の生活から抜け出すことができず、しどけない姿で寝起きする毎日で、頭が痛い、手足がだるいといっては、身の回りの世話を義妹にさせる始末。そんな妻を最初は許していた浪人だったが、寝酒や煙草も隠れてしていることを知り、ある決意をする。

十五夜の日、その準備という口実で妹に外出させて、妻にどうしてこんな自堕落な生活を続けるのかと詰め寄る。苦労をかけたことを詫びながらも、武士の身分を賭けた恋によって一緒になった妻の姿が、遊女に成り果ててしまったことに戸惑っていると、その後悔を口にする。

そこで妻も自身の胸中を語りはじめる。夫と義妹の心遣いは大変ありがたく、早くもとの生活に戻りたいと思っているものの、一向に身体に力が入らない。3年という年月、遊女としてその身を男たちにあずけながらも、心だけは夫とともにあると信じて生きてきた。しかしあまりにも長い年月をそうして過ごしてきたがゆえに、心のない身体になってしまった。そんな身が厭わしく、生きているのがつらいと。

そして二人は、互いを想う気持ちだけを頼りに一緒になったころの純真な心を取り戻すには、この虚しい身を捨てるしかないと思い、自刃し果てた。

これは、谷崎潤一郎作の『十五夜物語』という芝居なのだが、学生時代に観たとき、妻がいう、身がここにありながらも心がないという状態がどういうものなのか、正直よくわからなかった。それを理解するには、私自身、人生の経験があまりにも足らなかった。

しかし、自転車屋の女性の遠くを見つめていた眼が宿していた海の底のような暗さを思い出すとき、彼女自身の身体は私の目の前にありながらも、心はそこにはなかったのではないか、浪人の妻が言わんとしたことは、こういうことだったのではないかという考えが降りてきた。

一切の感情に蓋をしなければ生きられない暮らしを続けたことで、何も感じなくなり、身体が空のようになってしまうという経験を、おそらく誰もが人生の中で一度や二度はするのではないだろうか。

そのような状況に至る事情は人それぞれだが、当時、私も激務で体調を崩し、何も考えられない、何もする意欲がわかない、身体がだるくて起きられないという経験をしていた。そんな経験が、自転車屋の女性と浪人の妻という、なんの関係もない二人の女性の心のうちを一本の線でつないだ。

しかし実際のところ、自転車屋の女性がどのような経緯であのような眼をしていたのか、その真相を知ることはできないし、姿が見えなくなったこととの因果関係もわからない。

そもそも「海の底のような暗さ」と感じたのは私の勝手な思い込みか心の投影であって、本人はこれといった意味もなく、窓の外を眺めていただけだったのかもしれない。

初めて彼女を見かけたとき、彼女はお姑さんから自転車屋の仕事を学ぼうし、その家にも馴染もうとしていたことが感じられたので、「自転車屋の女房」として幸せになってほしいなという気持ちがあった。

でも、そんな彼女の姿が見えなくなってしまって、その理由を探し出そうとあれやこれやと勝手な妄想が止まらなくなっている自分に気がつき、店の前をはなれた。

* * *

数年後、主人の母親の姿も見えなくなり、しばらくしてから、店そのものがなくなっていた。

大手の量販店やネット通販で安価な自転車を買う時代となり、修理してまで乗ろうということがなくなった今、街で自転車屋をみかけることもなくなった。

ほんの数年の間、「自転車屋の女房」をしていた彼女も、もう自転車屋を思い出すことはないだろうか。





・・・お読みいただき、ありがとうございます。何か感じていただけることがありましたら、「スキ」やフォローしていただけると、嬉しいです。「スキ」にはあなたを寿ぐ「花言葉」がついています・・・noteの会員ではない方も「スキ」を押すことができます・・・

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?