見出し画像

短篇「ぼくのじゆうけんきゅう」


短篇『ぼくのじゆうけんきゅう』
 1 研究のはじめに

 夏休みは長い。だからその長さを埋めるために、先生は僕たちに宿題を出す。それでも埋まりきらないくらい、やっぱり夏休みは長い。そこで奥の手を先生たちは考える。
「自由研究でもやらせておこう。奴らは自由の怖さを知らない。自由ってのは恐ろしいんだ。何でもいいって言われたら急に手も足も出なくなって苦しむぜ」
 きっとそんなオトナ会議の末に、この世に自由研究なるものは生まれたのに違いない。
 たしかに自由研究さえなければ、この国の夏休みはもうちょっとシンプルで、もっとお手軽に過ごすことができるだろう。その点で、数ある宿題のなかでも、もっとも嫌われ者なんじゃないかと思う。
 でもそれは世の一般的な子どもの話。
 僕はそうじゃない。
 オトナが言う自由の範囲を知っているし、なるほどそうくるかとオトナが驚きそうな「自由」も知っている。
 スプーンの99とおりの使い方研究、梯子と椅子の違い研究、ゴジラを科学する研究、映画館の前で列を為す人の待ち方研究……そこらへんにありそうなものを少し違う角度から見ればオトナはすぐオッと声を上げる。僕はこのやり方で過去四年間、毎度学校の代表に選ばれている。
「自由」とは、みんなが考えているほど自由ではないけれど、みんなが考えているほど不自由なものではないのだ。
 さて、そんな僕が今年のテーマに選んだのは──。
 ドアをノックする。二回。さっきインターホンも鳴らしたけど出てくれなかった。留守のはずはないんだけどなぁ。
 そう思っていると、ドアが開いた。僕の今年の研究テーマが、三センチほどの隙間から顔をのぞかせる。タンクトップに、下はまだ下着のままだ。
「なに。回覧板?」
 僕は首を横に振る。微かにアルコールの匂いがする。昨夜は飲んでいたようだ。おねーさんはドアを開けたままで引っ込んでしまう。入っていいってことかな。
 僕は玄関先に立ち、ドアを閉める。室内はやけにひんやりしている。僕を溶かしそうなほどだった外の暑さのせいもあってまるでべつの国に紛れ込んだみたいだ。エアコンが効きすぎている。よほど暑がりなのだろう。
「いいの? 男性と二人きりで密室にいたりしたらいろいろと疑われるよ」
「あんた八歳とかでしょ?」
「いえ、僕はすでに十歳。十代の成人男子です」
「成人の使い方間違ってるし、十歳にしちゃ小さいわね」
 たしかに僕は背の順では前から二番目だ。でもそこはできれば触れないでほしい。デリケートな部分の問題なのだ。
「おねーさんを自由研究に選んだよ」
 単刀直入に僕は本題を切り出した。抜き打ちはよくない。やはり事前に宣言して、正々堂々とおねーさんを研究したかった。彼女は僕のアパートの隣の部屋に暮らしている。いつも帰りは遅いけれど、よく白衣が干されているからお医者さんかなと思っていたら、お母さんが「いがくせいさんらしいわよ」と教えてくれた。
 僕は一瞬「胃が臭ぇえ」と言ったのかと思っておねーさんがそんなわけないだろと思ったけれど、そうじゃなかった。医学生というのは将来お医者になるための準備をする学校の生徒さんらしい。
 おねーさんがお医者になったら僕はたぶん毎日そこに通うだろう。そして待合室でランチをとり、午前中の診察を終えた彼女の分のお弁当も用意しておくだろう。
 さて僕に研究対象にされることを宣言された当のおねーさんはというと洗濯物なんか干しながら、いまだに下半身は下着姿のままだ。
「ふうん、あんたケンキューって何か知ってるの?」
「研究は研究だよ」
「そのトートロジーは要らない」
 僕にはおねーさんの言っていることがよくわからない。でも、きっと僕に研究という言葉の意味の詳細を聞いているのだろう。
「ある物事を、さまざまな状況のもとで観察すること」
「サンカク。研究ってのは、愛よ、愛」
「あい……よくわからないよ」
「それもわからずにケンキューしよーっての? 甘いわね」
「おねーさんも研究したことあるの?」
 彼女は答えずに洗濯物の最後の一枚を干し終える。
「ま、せいぜいケンキューしな。お酒、飲む?」
 テーブルの上には昨夜飲んでいたのか、ウィスキーのボトルが置かれている。僕はもちろんそんなもの要らない。
「飲まないよ。小学生だから」
「けっ」つまらなそうにおねーさんは舌打ちしながら椅子に座って足を組む。おねーさんの部屋は改めて見ると、よく整っている。うちもそれなりにきれいに片付いてはいるけれど、ちょこまかとそこらへんに置かれている行き場をなくした小物たちはいかんともしがたい。
 おねーさんの部屋には、いわばそういう必需品以外のものがないのだ。だからすごくがらんとして寂しげにも見える。
「力持ち?」
 突然問われてよくわからずきょとんとしていると、彼女はもう一度尋ねた。
「だから、力もちかって聞いてるの」
「うん、クラス内ではわりと」
 力もちのほうがおねーさんの彼氏にはふさわしいと思ったからそう答えた。本当は中くらい。チビのわりには、と驚かれる程度でしかない。
「じゃあさ、ついてきて」
 彼女は奥の部屋へと向かった。そこに何があるかなんて僕にはわからなかった。おねーさんの恋人がいて、僕をおねーさんの浮気相手と思って羽交い絞めにした挙げ句、侵入罪で殴り殺してしまうかも知れない。
 たしかに彼にはそうする権利がある。僕には下心がたっぷりすぎるくらいあるのだから。
 でも、ドアを開けたとき、僕が目にしたのは極悪非道な恋人なんかではなかった。そこにあったのは一体の男性の死体だった。もちろん、見てすぐにそれが死体だとわかったわけではない。
 はじめのうち、男性が床に横たわって眠っているのだと思った。でもその男性の血色があまりに悪く、そのうえ白い着物を着ていたから、どうやらこれは死んでいるようだと判断したのだった。
「これもしかして、死んでる?」
「せーかい」
 おねーさんは人差し指をぴんと立てて言うと、男の頭のほうに回り込み、両脇に手を入れた。
「何モタモタしてんの、一緒に死体運んでよ」
「え……これを? 運ぶの?」
「ほかにある?」
「どこに?」
「車に決まってるでしょ」
 こうして、僕の自由研究は始まった。

 2 研究の動機そして方法

ここから先は

5,408字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?