祖母が残してくれたもの
僕の顔を見た初めて見た祖母は、こう言ったらしい。
「(相撲取りの)朝潮にそっくりだねぇ~」
「お姉ちゃんは美人なのにねぇ~」
「この子は将来、結婚できるのかねぇ…?」
祖母は正直な人だった。
「良い物は良い。悪いものは悪い」ハッキリした態度でも憎まれない人柄。上品で、賢く、毒を吐き、お茶目にボケる。最後までつかみどころのない、けど愛らしい。そんな祖母が逝ってしまった。享年93歳。
小学生の頃、祖母の家へ行くことが最も楽しみなイベントだった。必ず駅まで迎えに来て、改札近くで待っていてくれる。僕は、祖母を見つけると、いてもたってもいられず、走って近寄った。
「おばあちゃん、こんにちは!」
というと
「いらっしゃい」
「遠くから来てくれてありがとう」
と言って迎え入れ、手をつないでくれた。しっかりと力強く。
中学・高校生になっても祖母の家へ行き、祖父の運転で全国を旅して回った。祖父母の趣味なので、萩・津和野、金沢など渋いところが多かった。当時は寺に興味なかったけど、それでも良かった。一緒に旅行できたことが幸せだったから。
歩く時は祖母と手をつないだ。当時は恥ずかしかったけど、足を弱くしていたから手を引いて支えてあげたかった。小学生の頃とは違い、握り返す力も年々弱くなっていった。
大学生・社会人になって、忙しさを理由に少し疎遠になっていた。気がつけば27歳になっていた。
ある日、母が電話を代わるよう言ってきた。祖母からとのこと。「珍しい。なんだろう?」と思い受話器をとると・・・
「たかし、いつまでダラダラやってんの!?」
あまりに唐突だったので、最初は理解できなかった。どうやら結婚の話らしい。
「えー…っと」
と言い返す前に
「早くしないとお婆ちゃん死んでしまうで!」
と強く念押しされた。彼女がいたことを話していなかったので本当にビックリした。当時は、結婚する覚悟はなかったが、祖母が僕の気持ちを後押しした。そして翌年、入籍をした。
結婚後、祖父母と妻と僕の4人で淡路島へ旅行へ出かけた。妻にも祖父母との旅行を楽しんでもらいたかったから。妻は心から喜んでくれた。祖母はもっと喜んでくれた。
うれしさのあまり
「たかしと結婚してくれて、ありがとう。たかしにはもったいないくらい可愛くて、良い子だね」
と本音(?)を言ってくれた。
それが最後の旅行となった。
祖母が倒れたのは2013年2月末。
時間を見つけては祖母が入院する病院へ訪問した。祖母はとても辛そうだった。あんなに大きく、たくましく、優しい祖母が、弱々しく呼吸をしていた。その状況を見るのが本当に辛くて、早く逝かせてあげたい気持ちでいっぱいだった。
当時は仕事が忙しく、プレッシャーに押しつぶされそうだった。その上、祖母の死を受け入れないといけない状況が重なり、心が折れそうになった。
「もういやだ・・」
そのとき、折れそうな心を救ってくれたのは妻だった。妻が献身的に祖母をいたわり、仕事面でも僕を奮い立たせてくれた。祖母は、妻と僕に「ありがとう・・・」と言って、静かに息を引き取った。
祖母との思い出を振り返り、また、隣にいる妻を見て、祖母が "家族を支える(支えてもらう)ことの尊さ" を僕に残してくれたんだなと思った。
これからも、祖母との思い出とともに"それ"を大切にして生きたい。
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