怪文書

生と死を考える。考えてる。

今回は孤独死についてちょっと悶々してる

社会問題になっている孤独死、悲しい過去を背負っていた、セルフネグレクトに陥る等いろいろ言われていますね。
どうして救えなかったのかと、それを社会のせいにすることで正義を実感する。そんな意見ばかりです。

ただ「死んだ方がマシだった」例もあると思います。もちろんこれを公に言うことはかなり難しいとは思いますが例えば生に対する気力がなくなってしまって人生が惰性になってしまい「生きてしまってる」人も少なからずいて、安楽死の賛否を考えるとわかりやすいかもしれないですね。

言えないのはこれを公に言うことで死の助長とまで言葉が大きくなってしまうからですね。これは集団思想による必然に起こるものです。

人口も減ってきていて孤独になる確率が高くなってきています。友達100人できるかな、そんな歌がありますが人口過密だった時代にくらべれば難易度が上がっている、母数が減ると相性のいい相手も減ってしまい、また母数は減っても世界は狭くならないので…となると、孤独死予備軍は皆が抱える可能性があるということ。

話はそれますが意見というのは光が強いほどそれが正しくなる。実は孤独死について真面目に考えて世に発信しようと、それがまた拡散されていくのは「孤独死やそもそも一人でいることについて無縁だと思っている」人の意見なんですね。実際に直面している人達の意見というのはあまり世に流れないものなのです。

でも、必要なのって後者だとは思いませんか?

討論や意見の主張というのは、その実態に程遠い人の意見の方が広がってしまうんですね。わかりやすい言葉で言うと「ニワカ」な意見が蔓延してるということです。

簡単な話で、ニワカのほうが人口が多いからです。そしてニワカな人達はガチな人の意見を聞かないのです。実はこの現象どこにでもあります。政治的な個人の主張というのはこれが大半だったりします。

孤独死について考えるというよりもまぁ正直これに悶々しているという感じですが、自分の生活を顧みる限りほぼ100%の形で孤独に向かっているのでなるほど、これがニワカじゃない感覚か。という視点でお送りしています。

正直死んだ方がマシ、生きてて小さな楽しみはあれど感じられる幸せには繋がらないことばかりです。これが甘えとい意見もあるとおもいます、やる気がないだけとか行動力がない、怠けている人だ、自分だけが辛いわけじゃないんだぞ、と。

そもそも生きる気力があればやる気も出てるはずなんですよねっていう言葉に尽きてしまいますが、これもやっぱりニワカ意見だったりします。ニワカ意見の方が多い、自分と関係のない所で話が進んでいく、望まない形で実行されるコンボです。

さて話を戻しまして実は孤独死は議論するだけ無駄。考えるだけ当事者を苦しめる。という結論が出ました。

救われるか救われないか、それは当事者が決めること。

じゃあ当事者は何を思っているのか。それは自分たちの話を聞いてくれ、ということです。

周囲にできるのはそれをしやすい環境を整えることであって直接手を下す必要はないということですね。

実は報道や主張に隠れた影の存在の話でした。

#死 #意見 #主張 #討論 #報道 #社会問題 #孤独 #人間

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