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【閲覧注意*死生観のお話です。】


患者に近しい人は、
死後の患者の体をよく見ましょう。

そうすることにより、
患者は本当は死んでいないという、
よくみられる非合理的な考えを、
捨てることができます。

*****

以前、勤務する施設の「看取り」の研修チームに配属し研修に際し、今までの「看取り」を振り返る機会をいただいた。

上記は、ある文献の「死と終末期」というトピックスの1節です。

合理的を望むのではなく、
非合理的でいても、いいと思う。

非合理的な考えを捨てなくても、
いいと思う。

そうでなくても、
非合理的な考えは、
月日の流れとともに合理的な考え中に、
知らぬ間に吸収されて行くのだから。

*****

高校一年生の時に、
おじいちゃんが亡くなり、
私は、おじいちゃんの棺に寄り添って寝た。

お通夜の間に生きかえると思い、
姉と従兄弟たちとともに祭壇のある部屋にいた。

ものの言いっ節が強く、いきなり大きな声で怒ったりするおじいちゃん。

はたから見れば怖いおじいちゃんかもしれないけど、怖い反面優しさが倍で、私たち姉妹、従兄弟たちは、おじいちゃんにたくさん可愛がってもらった。

幼い頃から、おじいちゃんとおばあちゃんの私たち姉妹に対する躾は厳しく、日常生活あらゆるところでの動作をその都度正され、指導されてきた。

いつのまにか寝てしまったけど、
おじいちゃんは生きかえらなかった。

おばあちゃんが亡くなったときも、
その呼吸が絶え、心臓がとまる瞬間まで、
私はおばあちゃんの背中を撫でていた。

魂が浮遊し、身体から抜け出すその瞬間まで、身体に触れる。

自宅で家族とともに看取ろうと、
病院に掛け合い、在宅酸素と点滴二種を用意し、自宅から近距離の病院から、おばあちゃんをリクライニング車椅子に乗せ、父と叔父、叔母の夫で、車椅子のタイヤを地面につけずに持ち上げてうちに連れて帰った。

母と私は自宅を綺麗にし、
おばあちゃんを迎える準備をする。
眩しいほどの太陽と、おばあちゃんの頭に日よけとして被ったいつもの黒いレースの帽子のレース部分が、風に揺れている。

そして背後には白に年季を吸収した病院の壁面。

この光景を、私は一生忘れないだろう。

おばあちゃんの息が消えて、
エンゼルケアをして、布団に寝かせても、

私の中にはまだまだ非合理的な考えのみだった。

死を受け入れたくない。

祭壇があっても、
おばあちゃんが横たわっていても、
おばあちゃんの柔らかい身体の上に大きなドライアイスが乗せられていても、
おばあちゃんの心臓のちょうど下に位置する背中に手を当てると、息を引き取った、翌日までほんのり暖かかかった。

死は身近であって、
その分その境界線をあやふやに消してしまいたい私がいる。

*****

インドネシアのスラウェシ島に、
独特な死生観を持つ民族として世界的に有名なトラジャ族という民族がいる。

家族が亡くなると、残された家族は、トンコナンという船型の建造物を建てるために、
一斉に力を合わせて貯金をする。
数週間…、数ヶ月…、数年…

このトンコナンが、死者を来世に出発させるために重要な役割を果たす。

トンコナンを作る資金が集まり、建築し、出来上がるとやっとお葬式の準備に取り掛かかることができる。

その間、死者は、まだ死んでいないとみなされ、ミイラ処理されて、家族とともに住んでいる。

綺麗な衣装を身にまとい、
衣替えの時期にはミイラを立たせてドレスアップする。

まさにお葬式をあげるために、人々の生活は回っている。

トラジャ族は、死者を崇拝し、尊敬し、
愛し、全勢力で、莫大な規模で来世に送る。

私はその死生観に感銘を受けている。

*****

小学3年生の夏の日航機墜落事故、
チェルノブイリの原発事故後、
私の脳裏には「死の恐怖」が付きまとい、
中学生頃には、タナトフォビア的な思想に振り回される。

人は未知なる死が怖い、
それは当たり前だが、
私は人一倍「死」が怖い。

しかし、高校一年生のときに、毎日お昼休みに通った図書館の奥のカビ臭い薄暗い書庫で、プラトン著の「パイドン」に出会う。

パイドンの魂不滅論に救われた私は、
その全てのページを職員室でコピーして、大型ホッチキスで留めて身に離さずに、持ち歩いた。

哲学こそが私を拾い上げ、
パイドンが私を救済してくれた。



「死」について、目を背けると、
追い込まれてしまうことを知る。

「死」について、追求することにより、
自分自身を救うことになる。

しかし、合理的な望んでいない。
非合理的でいい。
私の死生観は、生も死も、同じ線の上に存在し、共存している。

「死」について、見つめ、追求し、
学んでいかなければ、私の魂が救済されるすべは、もはやないのだ。

私はずっとそうして生きてきた。

介護という仕事に出会い、
生と死を見つめる機会に触れ、
周りの人に支えられ、
また「死」について考える機会を得た。

そのため、私の精神は崩壊せずに済んでいるのかもしれない。

苦しい。

しかし、
私にとって、
それが生きることを意味する。

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