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父と私の14年①

今の私は
探れないものを探し歩いている。
破片を集めている。
父を形作ってきたものを。

私が知らない父の姿を見つけている。

***

父と私の時間は生涯の中で
たったの14年だった。

***

「お父さんは親父さんと同じくらいしか生きられないだろう。しかし自分の生活習慣を変えるつもりはない。」

2013年の10月
そんなことを私に言った。

父は病院に行かない。

思えばきっと10年以上前から父の身体の中に異変はあったんだ。

でも私は決めていた。
何があっても家族がどれだけ勧めても
父は病院に行かないから
私がこの家でなんとかする。

抗生物質をひたすら貯める。
自分が処方された時に残しておくのだ。
父のために。

昭和21年9月8日
終戦の一年後に父は産まれた。
寡黙で論理的。頭脳派で無駄を嫌う。
愚痴を言わない。
不満をこぼさない。

私は父のことはあまり知らない。
いや、わからない。
父は心の奥深くを私に度々話してくれていたから私は父を理解していたのかもしれない。

なぜそう感じさせるのかと言うと父は物心ついた時から家にいなかったからだ。
仕事の都合で海外に単身赴任。
早期退職で企業顧問として海外を渡り歩いた。

サンディエゴのコンドミニアムにて

お父さん
あなたは異国のこの部屋で
一体何を考えてどんな日々を過ごしてきたの?
何に笑い、何に悩み、何を期待したのか。


あなたは愛に溢れている人
多くを語らないが愛するひとのために
何を優先してどう行動するかがわかる人だ。

だから2024年11月25日
私の行動をあなたは責めなかった。

続く。








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