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【 2 days memory 】


②もなとおばあちゃんとダンス

3歳のもなにとって、憧れのダンサーは、
デビー・レイノルズだった。



映画「雨に唄えば」で、ドリーミング・オブ・ユーを踊るデビーの真似をしながら踊るもなを見て、旦那さんは、劇中でデビーが手首に巻いたピンクの花を想定したラメ入りのピンクのシュシュをもなにプレゼントした。

「もなは踊りが好きだから、ダンスをやればいいよ。」

そう言ったのは、
もなのひいおばあちゃん。

私のおばあちゃんだ。

踊るもなを見るのが大好きだった、
私のおばあちゃん。

おばあちゃんは、マイケル・ジャクソンのダンスが好きで、日本ではDA PUMP、windsのダンスが好きだった。

既に80代であった私のおばあちゃんは、
芸能通で、ダンスが大好き。

ゴスペル音楽や、R&Bも好き。
ホィットニー・ヒューストンが好みだった。

おばあちゃんが旅立ってしまったのは、
2013年10月。
それは突然の別れだった。
9月23日には、最後の外出をした。
この時、普通に出かけて、帰りにご飯を食べて。まさかすぐそこに別れがあるなんて思わなかった。

おばあちゃんがもなにダンスを勧めたから、
そしてもなもダンスが大好きだから、
私はもなにダンススクールに通わせたいと思った。

すぐに思いついたのが、
スポーツフレンドだった。
体験を申し込んだ。
それをおばあちゃんに話したら、
すごく喜んだ。

しかし、体験の日は、
おばあちゃんが体調を崩し、
入院した翌日だった。

おばあちゃんは以前にも貧血で、
入院して輸血してよくなり、
元気になって戻ってきた。

今回もそう思い、
キャンセルせずに、体験しに行った。

ダンスならヒップホップがいいと思った。
おばあちゃんがヒップホップダンスが好きだったから。

もなにとっては、まだヒップホップが向いてるのかわからない。
しかしやってみないとわからない。

即決して入会した。

私は焦っていたのかもしれない。
仕事柄、おばあちゃんがもう長くはないのはわかっていたから。

おばあちゃんの望みどおりに、
もなをダンススクールに通わせたい。

そう焦っていたのかもしれない。

しかし誰のため?
もなのため?
おばあちゃんのため?
私のため?

なんだかよくわからない思いが錯綜し、
日々は流れた。

*****

おばあちゃんが旅立ってしまい、
結局もながヒップホップを踊るのを、
おばあちゃんに見せられなかった。

全てはもな次第になった。

習い始めたダンス、
今後どうしていくのか。

しかし、彼女の中でダンスは、
大きな存在になり、
振り付けを覚えることに、
喜びを見出すようになった。

歩きながら、
家にいても常に踊るもなを見て、

旦那さんは今度は姿見を買ってきた。

振り付けを覚えるうちに、
初めての壁に突き当たった。

クラブステップが出来ずに、
初めて自分から先生に聞いてみた。



そして出来るようになった。

ダンスを習い始めて2年半が経った今(2015年現在)
もなは相変わらずダンスが好きだ。

彼女はまだわからない。
自分のダンスがどうであるか。
どう見えているのか。
誰を参考にすべきか。
そして、どうなるべきか。

自分で見出さなければならない。

ダンスという世界は、広すぎて、
大きすぎる。
しかし、31日のコンテストに参加したことで、
彼女は少しずつ、自分が今後どうすべきか、
考え始めるようになった。

つづく

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