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どんな闇の自分も、受け入れてピタッと寄り添いつづけたあとに  目の前に、その人は現れる。

たぶん、今 俯瞰している自分となっては
 
「子どものころに、親や誰かに ちっとも甘えられなかったんだよね。わたし、、、。」
 
とか、
 
 
「親に甘えた記憶がない。ずっと、我慢していた。」
 
とか
 
たぶん、なかったのかもしれないなあと感じる。
 
ちゃんと甘えていたと想う。笑
 
 


 
怖かった。
我慢していた。
常に緊張していた。
かわいそうなわたし。
 
  
そっちにしか、フォーカスできないような
闇の意識からしか
生きてこれなかったからだ。
 
 

 
 
ずっと、外のせい 親のせいにしてきた時は
得られなかったこと
 
 
溢れ出る むげん∞の愛情が 確かに いま自分の中に。
フツフツと!!! 笑笑
 
 
 
今となっては
 
不器用な父親なりの愛情だったこととか
父親が、わたしがかわいくて仕方なかったこととか
 
 
すごく、納得している。
 
わたしが愛おしくて、たまらないエピソードばかりを想い出す。
 
 
「 へへ😄💓  わたし、めっちゃ愛されていたなあ〜 」って笑笑
 
 
 
 
母親は、わたしを愛しく想うばかりに
過剰な情でわたしを包んでくれていた。
 
 
「 うひゃー😍❤️  そんなにわたしを大切にしたかったし、守りたかったのね〜
 うひゃー😆💕 ありがとう〜」
 
ってね。笑笑 
 
 
 
 
わたしは、生まれる前からも
生まれてからも
 
愛されていない時など なかったんだ。 
 
 
 
それは、この世に誕生してはじめて
 
「 ああ、この人は わたしの闇もダメなところも
 何もかもを、そのまま全部 ありのままをあいしてくれている。」
 
っていう実感を、この地球でやっと 
ありがたいことに 心底体感したからだ。
 
 
45年かかった。笑笑
 
 
 
きっと、この ひとりの存在だけではなくて
 
 
今まで関わって出会ってきてくれた人すべての人に
あいはあったんだ。
 
 
どんなに惨めで
どんなに醜くて
どんなに傲慢で
どんなに浅はかで
どんなにわがままで
どんなに幼稚でも
 
 
わたしは、このわたしのどんな部分も
受け入れて
 
あいしていくよと
 
言い続けた。
寄り添い続けた。
伝え続けた。
 
 
わたしの中の小さなわたしを
見離さない。
 
 
どんな闇の自分も、そのまま受け入れて
ピタッと寄り添ったときに
 
 
目の前に、その人は現れる。
 


 
あなたを あなた自身が受け入れたとき
 
あなたが あなた自身の全てを許したとき
 
 
目の前に、その人は現れる。
 
 
 
ありがとう、現れてくれた存在〜♫
 
 
ありがとう、その存在を
わたしの人生に 登場させてくれた わたし〜♫

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