にゃおん

大人げない大人として生きてます。やれやれ・・・

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最近の記事

宿題

都内はもうすぐ夏休みが終わるのかな? 毎年この時期になるとサザエさんの中で、カツオの宿題を片付ける波平とマスオさんのシーンを思い出す。 今の学校がどれくらいのボリュームをだしているのかわからないけど、 大量の宿題っているのかな。 休み明けのテストはあります。 範囲は前期(1学期のでやったところ)、国数理社(中学なら英語も)基礎。 テキストはありません、各自の復習です。 やるかやらないかは自分次第。 自由研究、本当にやりたい人だけやればいい。 絵も描きたい人がかけばいい。

    • 引き算

      先日また一つ歳を重ねた。 人生も半分以上きたところだろう。 若い時のようにはいかない。 体力も落ちるし、あれもこれもと詰め込むと後々に支障がでる。 これを一つ取ったら、こっちはまた次回にしようと考えることにしている。丁寧な生活が大切なんだと実感する。 要らないものを増やさないこと。 無理をして人に合わせないこと。 ちょっと無理すればという思いを捨てること。 何も予定をいれない休日を作ること。 新しい事をはじめるより、やめることを「よし」と思うようにしたい。 無駄な頑張りは

      • ご褒美

        ここ2年ほど、正月は旅館で過ごすをやっている。 色々用意したり、作り置き料理をたくさん作ったりしていたが、 正月休みくらいはゆっくりしたいという歳になった。 急に思いついた去年・一昨年は本当に大変だった。 10月過ぎ、既にめぼしい所は満室だった。 調べてみると夏には始まっていたようだ。 時間があったので毎日サイトをチェックしキャンセルがでないかと確認する事が日課になっていた。 たまたま1/2のキャンセルが出ていたので滑り込み予約。 たが、久しぶりに出かけた旅館の廃れぶりに吃

        • すっきり

          居間の模様替えをした。 いままで本棚として活用していた天板とサイドの木箱をなくし、 ディスプレイラック(2段と3段)を採用した。 これまで文庫をずらっと並べたり、軽い飾り物を置いていたのだが、 ある時ものすごくそれが嫌になった。 まず文庫。 書皮をすべて統一ものにしているのだが、それでも埃が被るのが嫌。 更に物を天板に乗せると掃除がしにくい。 それを100均の袋にすべて保管。それをラックの中に保管することで埃と目につくことが解消。 天板も一旦すべてをのけてから掃除するわず

          もやもや

          色んな事にもやっとしたり、もやもやしたりしている。 お弁当持参なのだが、デザートがわりにプチヨーグルト(ダノン)を持っていくのだが、忘れてやっぱり口さみしいだろうとコンビニでヨーグルトやプリン買う時、その高さにぎょっとしたり。 心の中でスーパーだったら78円だったなあなどと思いながら138円払う自分にもやる。 貧乏性だから毎日ペットボトルを買うこともなく、会社のお湯で好きお茶をステタンで入れて飲んでる。 たまになんか好きなもの買おうと思っても、うーんと思ってやめてしまう。

          もやもや

          臨機応変

          4月から新たな所で働いているが、仕事の指示を出す人があまりにもできな過ぎて苦戦している。 メモ書きでいいので指示書を出してほしいといってもだんまり。 だからと言って口頭での説明もしどろもどろ。 フォルダの場所(棚番号)とデータの名前の付け方、全部で何冊分あるのか、 注意事項とPC上のリストの場所。 これだけあればいいと言ってるのにまとめられない。 1週間かかりようやく肝心なことが書いていない指示書が来た。 やり始めると後出しでボロボロと出てくる。 ルールを決めたはずなのに、

          臨機応変

          4年ぶり

          スマホを買い換えた。 今回はMNPし主人と同じキャリアへ変更した。 ちょうど2年割の更新期間であったことと、主人とシェアができるラストチャンスだったことも関係している。 いつも49か月目です表示見るとフーンと思ったが、4年使用してる人ってレアなのね。どこに行ってもびっくりされる。 ただ・・・いつも機種変更するときは壊れた時だったから、今回は壊れずにここまで来たことはよかったと思う。 携帯の買い方が複雑でよくわからない事や、機種変更代金の高額さに躊躇していたのも大きい。 割

          4年ぶり

          ル・コルビュジエ展と黒田清輝『智・感・情』

          国立西洋美術館で開催中のル・コルビュジエ展に赴いた。 国立西洋美術館はいつ行っても素敵な建物だ。この建物自体が芸術で、痺れる。 建築だけではなく、絵画やインテリア・都市計画などについても堪能できる催しだった。模型と照らし合わせて拝見するとさらにいい。 そして建物というものはこんなにも人を魅了するのだなと実感した。 ピュリスム(純粋主義)の作品は「こういう描き方をしてもいいんだな」と思わせてくれた作品で、幼少期や学生時代の美術などで絵を描くとどうしてもこれはこの色、ここの奥行

          ル・コルビュジエ展と黒田清輝『智・感・情』

          相性

          昨年から2回ほど通院した病院を辞めた。 どうしても先生と相性が悪いと感じたからだ。 最初は検診の時に見つかった案件で、 健康診断の結果を聞きに来た時にでも処置しましょうとのことだったのに、 予約するとすっかり忘れている。 カルテにもちゃんと書いてあるのに・・・ さらにその症状を完治する事は難しいけど、痛みは和らげられるとのことだったので 頓服で症状の改善を促し、月1通院して様子見ると。 しかし、他の病気(喘息と体質改善のために漢方薬をやっている)を言っても あまり興味は

          距離感

          人とべたべたな距離で付き合うのが苦手だ。 学生の頃の「グループでいないといけない病」みたいなのも窮屈だった。 トイレに連れ立って行かないといけない的な流れって何? しかし円滑に生活するためにはどこかに所属しないと不便。 女ってめんどくさい生き物だなと実感する。 大人になっても会社でそういう人達がいることがとても苦手。 昼を一人でとれないとか拷問でしかない。 わざわざ外食するのを取りやめて弁当派の私に付き合おうとしてりするのも、苦痛だった(その人は一人で食べられない女だから)

          ムンクとフェルメール

          先日ムンク展とフェルメール展に赴いた(別々の日に) ムンクは「叫び」が有名だが私は「絶望」に心ひかれた。 絵のタッチのダイナミックさと大胆な色使いに圧倒された。 暗いと思われがちだが「太陽」をみた瞬間のあの眩さに心から温もりを感じた。 半面やはり赤い空の「叫び」や、石板の「マドンナ」「吸血鬼」にも強く惹かれた。 陰と陽、どちらも中途半端さものはなく強く絵に表れていると感じた。 展示の見せ方もゆったりとしていたのでメインの「叫び」「絶望」は まずは最前列で見られるように列に

          ムンクとフェルメール

          裏表

          裏表のない人間などいないと思っているが、恩を仇で返すような人が増えたなと感じる。 自分が辛いときは甘えてきて「どうしても、どうしても」と時間を拘束し要求するが、 こちらが辛い時に問いかけてもスルーか「自分の方が大変」アピールが凄い。 ギブ&テイクまでいかないが、人と付き合うのに一方通行はよくないと思ってる。 四十路もだいぶ後半になり、自分にも相手にも家庭がある人が多くなったせいか、人間関係も多少整理してる。 なんでもかんでもはよそうとおもう。 知り合いが多いことが自慢な人

          ビュッフェ

          年明けに旅館に宿泊した。 朝夕ビュッフェスタイルの食事だったが、 ビュッフェほど内面が見えるものはないと思った。 なんでも山盛り持ってくる人。 あれもこれもと、皿いっぱいにぐちゃぐちゃに盛り付けている人をみると うんざりする。 口に合うかどうか試さないの? 1回限定じゃないのよ?と思ってしまう。 お寿司のネタだけ食べてご飯は食べないで山積みにする人。 ひどいとネタだけ持っていこうとする。 ローストポークが新たに追加されたら、並んでいる対岸から手を伸ばし 山を築くように盛り

          ビュッフェ

          リセット

          毎年1月1日になると物寂しさを感じる。 積み重ねた365日がまたリセットされ「1」からカウントが始まる。 折角ここまで来たのに・・・という感覚。 その代わり大つごもりの日は達成感で一杯だ。 イベント事は年を重ねるごとに薄くなる。 1 月のお正月はまだしも、バレンタインやらクリスマスはもうすっかり平日の雑多に紛れ込んでしまう。 祝日が意味のない日に移動されてから(ハッピーマンデー)、その日の持つ意味が薄れてしまった気がする。 成人の日や体育の日はやはり1月15日や10月10

          リセット

          年賀状

          年賀状を送ることを辞めてもう数年経つ。 もともと手書きで送っていたので10枚限定にしていた事や、 不幸が重なり数年出さない時期があった事もあり、 いつの間にか終了ということにした。 毎年必ず送ってくる律儀な方には申し訳ないが、 こういう煩わしさは終わりにしたい。 ここ暫く「年賀状辞めました」と届いたときに伝えているのに、 律儀に送ってくる事にも困惑する。 印刷しただけの一言もないような年賀状。 疎遠になった方で、生まれたことも知らなかった子供の年賀状が突然届く事にも辟易す

          捨てる才能

          毎年冬になるとニットやコートについた毛玉が気になる。 取っては出来てを繰り返す。 どんなに高価な衣類でもこればかりは仕方ない。 ただそんなことを繰り返していると、気持ちが沈む。 高かったからと言って捨てられないモノ達。 ある日もういいよというように捨ててみると、次に買う事にためらいが出る。無くてもいいんじゃないかと。今年も衣替えの時に何点か捨ててみたが、それでもまだ衣類はある。 コートなんてちょっとスーパーに行くのに重宝するタイプを合わせても5点くらいは確実にある。秋用

          捨てる才能