映画「Barbie」をみて
すごく見たいと思っていたけど、就活中だったり、どうしてもバーベンハイマーの件で、映画にお金を落としたくないっていう理由から見逃してきたBarbieをロサンゼルス行きの機内で鑑賞。久しぶりのLA旅行の前にこんなにもパワフルなLA舞台の映画が見れてよかった。
上映前キャンペーンであるバーベンハイマーの原爆イメージを見て、日本とアメリカの原爆に対する意識の違いに衝撃を受けすぎてずっと見れていなかった。
本作、バービーとオッペンハイマーはアメリカで7月の同日に公開された。両作品は傑作ながら、全く違う方向性の映画ということで話題となった。
そしてどちらもアメリカを象徴するような映画だ。バービー人形はアメリカの文化を象徴するもので、オッペンハイマーの題材である原爆はアメリカの科学技術の結晶であり、勝利の象徴である。
両作品は社会現象となり、X(旧Twitter)では「#Barbenheimer」(バーベンハイマー)というハッシュタグで盛り上がった。
問題はファンアートだった。バービーとオッペンハイマーを掛け合わせた絵だったがキノコ雲や真っ赤な炎が描かれ、原爆が無邪気に消費されていた。
そして、ワーナーの公式Xはそれに対し「忘れられない夏になりそう」などと返信する始末。
1945年8月に広島、長崎で起きた、起こされた悲劇をそんな風に茶化していいわけがない。
そういう理由から、どうしても映画館では見たくなかった。
本作を見るまではかなり不満だったが、映画自体は面白すぎる。鋭い社会風刺が軽快なコメディと画の可愛さでカバーされている。こういうコメディのフリした意識高い系説教映画が1番人に届くんだよね。グレタガーウィグ天才。
映画はスタンリーキューブリックの「2001年宇宙の旅」のパロディから始まる。
赤ちゃんの人形で遊ぶ「お母さんごっこ」をしていた女の子たちがモノリスを模した高次元の存在(?)であるバービー人形と出会う。「ツァラトゥストラはかく語りき」をバックミュージックにバービー人形と超次元的な出会いをした女の子たちはどう変わっていったのか?
あまりに天才的な入りにすぐに引き込まれた。こういうわかりやすいパロディが1番テンション上がる。
そして始まるピンクの可愛くて完璧なバービーの世界。完全無欠のバービーワールドにテンションが上がった。
バービーを集めて飾るのが好きだったし、ヘアカーラーとか文房具などの小物類も全部バービーで揃えていたくらいバービーが大好きだった。りかちゃんよりバービー派だったからめちゃくちゃ楽しかった。
映画の前半は可愛すぎるバービーランドで繰り広げられる。
Lizzoの「Pink」で始まるオープニングが最高だった。マーゴットロビーは想像上の動くバービーそのもので、作り込まれたセットは可愛かった。
セットについてグレタカーウィグは「トゥルーマンショー」の監督に相談したらしい。どうりで作り込まれたドリーミーさ。
可愛らしい無数の種類のバービーが「Hi Barbie」と言い合い、ついでにケンにも挨拶する。
人形っぽいプラスチック風の肌がさらにバービー感を強めていた。
バービーランドではバービーが大統領で、投票するのもされるのもバービー。ノーベル賞を選ぶのも選ばれるのもバービー。バービーランドは女の子が国家の意思決定権を所持している女社会の世界だ。
一方で、ケンは「ただのケン」であり主体性がなく役職も社会的地位もない女性のアクセサリーだ。
バービーが主役の派手なダンスパーティーをケンが盛り上げる。ライアンゴズリングやシムリウ演じるケンがバービーに選ばれたくていがみ合うところがまた面白い。
「男を取り合って揉める」という女に対する勝手なラベリングが男女反転した世界で行われている。
紆余曲折あり、ノーマルバービーとケン(ライアンゴズリング)は人間界に上陸する。
バービーがバービーの製造会社であるマテル社に乗り込むシーンがあるが、マテル社のCEOや重役が全員男であるところを見て、日本の内閣を思い出した。ゲロゲロ
男性だけが意思決定の場に参加できるような会社が「女性を後押ししてきた」と胸を張るシーンは皮肉が効いていて面白かった。
一方で、ケンは現代のアメリカで「男性社会」「家父長制」に出会う。ここでもオープニングと同じ「2001年宇宙の旅」の「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れる。この出会いがバービーランドを大きく狂わせることに・・・・。
バービーランドでは女性が活躍する女性社会であるために抑圧されてきたケンは家父長制をバービーランドに持ち帰り、啓蒙することで瞬く間に男性社会を作り上げた。
ケンはいわゆる「男らしさ」誇示するようになり、筋トレをして女性を雑に扱うようになった。
役職を持っていたバービーたちは一変して、丈の短いメイド服を着て給仕したり、男性に好かれることを1番に考えるような「男性に喜ばれるためだけの存在」と成り下がってしまう。
バービーはバービーランドを元に戻すために人間界から共にやってきた母子とともに奮闘する。
女性らしく、男性らしくなくていい。自分らしく生きていい。強くてもいいし弱くてもいいし普通でもいい。そうやってありのままの自分自身を肯定してくれる映画だった。
誇張された男女反転の世界で描かれた社会は現代社会の家父長制という問題を強く浮き彫りにした。
有害な男らしさを取り払い、ラベリングされた女らしさをなくせば世界はもっとラクで楽しくなる。
家父長制から解放されれば、女性だけではなく男性も幸せ。過剰な責任を男性だけに押し付けるのではなく、責任も自由も決定権も半分こできたらいい。
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