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運命性と必然性

どうしてもアイドルを応援していると非日常性を求めてしまうし、むしろ「アイドルは非日常を演出して当たり前だ」とさえ思うようになってしまうこともある。
感覚が徐々に麻痺していくのがまさにシャブのようだ。

『全く違うところで生まれて育ってきたのに、いま同じ舞台で踊っている』

『性格もキャラクターも正反対なのに二人合わされば最強のシンメ』

『世の中にはいろんな職業があるけど、それでも "アイドル" を選んで生きている』

私がアイドルを好きな理由のひとつに、
日常のイヤなこととか、思い通りにいかないこととか、未来の不安とか、そういうことを一旦忘れて、
自分の世界では絶対にありえない世界をアイドルを通して擬似体験できるから、というのがある。

ドラマが大好きだし夢見がちだから、キラキラした衣装で歌ったり踊ったりしてる姿を見て、絶対に自分は生きられないほかの人生を想像している。

きっと自分の人生に完全には満足できないでいる自分がいて、空想でも分身でもいいから全く違う人生を体験したいと思っているのかもしれない。
だから応援することをやめられないし、ずっとそれが続くことを望んでる。

Love-tuneはこの私がいつもアイドルに求めている非日常性とは少し離れた場所にいた。

Jr.としては初となるZepp DiverCityでの単独ライブ、と聞こえはそれこそ夢の階段を登った非日常性を秘めた舞台のように思えてワクワクしたし、決まったときからそう思ってた。
だけどそもそもわたしはLove-tuneを勘違いしていたらしいことがわかった。

彼らは他に比べると運命的にグループになったとは少々言い難い。
元々4人だったところに

3人が追加され、中には兼任という形をとっていた子もいたし、最初から楽器ができたわけじゃない子だっている。
元々運命性とは違うところで生まれたのがLove-tuneだったのかもしれない。

じゃあ運命性を持たないアイドルはアイドルじゃないか?と聞かれたら答えはノーだ。
運命性を持たなくても彼らはアイドルだった。

自分たちはどうしたら他と違って見えるのか?
何が足りていないのか?
自分たちが主張すべき強みは何なのか?

最初から決まってた運命じゃないから
後からだっていい、みんなが納得する必然性を
生み出そうと必死に走っているのかもしれない
その姿はまっすぐでキラキラしていて、正真正銘アイドルだった

『こんなチャンスが次いつあるのかわからないけど、これをモノにしてやろうと思う』

最後の挨拶で「次がいつか分からない」とJr.特有の自分たちが置かれている状況を、ハッキリと言葉にして表現したのにはハッとさせられた。
そうか、彼らもアイドルだけど、私と同じ人間で、夢追い人なのか、と。
そう分かると途端に目の前にいるキラキラしてる彼らが一瞬普通の男の子に見えた。

擬似体験をさせてくれるんじゃなくて、
人生を並走してくれるのがLove-tune的アイドル概念なのかもしれない。

青木源太氏も言っていた

ジャニーズの歴史の中でも新たな潮流を創っているのがLove-tune
自らの力で道を切り開いていくLove-tune

用意されたレールの上じゃない
そもそもレールなんか用意されてないところだし、
自分たちの好きなようにレールを敷きつめて走っていくのが彼らなのかもしれない

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