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あの頃、戦場を共に走り抜けた友たちへ

2年ぶりの夏祭りだ。

辛うじて急行が停まることくらいが取り柄の私鉄の駅から、さらにバスで10分。古い集合住宅と新たに増えつつある高齢者向け住戸が立ち並ぶ、どこにでもあるような街並みの一画にある、だだっ広い公園。

特に待ち合わせをしたわけでもないのに、いつもの場所にシートを広げて、彼女たちはそこにいた。


「久しぶりー!元気だった?」

「まあ、とりあえず座りなよ!ビール?チューハイ?」


クーラーボックスからさっと取り出される冷えた缶ビールと、近くのスーパーで買ってきたパックのお惣菜たち。

変わらない夏が、そこにあった。

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なんにもないグラウンドの真ん中に、ちょうちんを吊した大きなやぐらが組まれ、ちょっとおめかしをした小中学生たちが続々と集まってくる。

地元の商店や有志の地域の人々が出店しているので、幼いこどものお小遣いでも余裕で買えるコスパの良いお店には、長い長い行列ができている。

ヨーヨーにくじ引き、わたあめにかき氷。
食べたかった焼きとうもろこしは、暗くなる前にすでに売り切れていた。


懐かしいなぁ。なにもかも。

娘は小学生になるまでの6年間を、この街で過ごした。


スーパーと100均と本屋が入った、小さなモールの真向かいにある古びた保育園は、駅前の人気保育園とは倍率がケタ違いに低く、妊娠を機に無職となった私にとって最後の砦だった。

区役所に何度も通っては、可能性が少しでもありそうな保育園をピックアップしてもらい、親子見学に行っては園長に顔を売る日々。とにかくやれることはなんでもやってみて、チャンスを自分の足でどうにかして稼ぐしかなかった。

『保活』という言葉が、生まれるか生まれないかの頃だったと思う。


そうして必死に一縷の望みを託して、娘が1歳の春になんとか滑り込めたのがそこだった。

生まれ月が遅い娘は、入園した時にはまだ歩くことすらままならず、初めて登園した日には、同じくらいのこどもたち数人と園庭をハイハイで這いずり回っていた。

手にべったりとついた砂を無造作に口に入れている娘と、それを見ているんだか見ていないんだか、ニコニコと平気な顔で見守るベテラン保育士さんに愕然としながら、「これがこどもを誰かに預けるということなんだ。自分の狭い価値観だけでとらえるのは今日で終わりにしよう。」と私はささやかな決意を固めた。

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出産後のタイミングで大幅なキャリアチェンジを図った私は、仕事復帰に向けて必死に走り始めたところで、幼い娘の成長についてはほぼ保育園に頼りっきりだったといっても過言ではない。

朝9時から18時半まで毎日過ごす友達と、それを見守ってくれる先生方。
同じご飯を食べて、布団を並べてお昼寝をして、起きたらおやつを食べて、夕方それぞれにお迎えが来るまではずっと一緒。
娘にとっては保育園のみんながまるで家族のようだった。

明日もまたすぐに会えるというのに、帰り際にお友達と別れたくない!と泣きじゃくる姿を見て、そのママといつも困ったように顔を見合わせて微笑んだものだ。

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うちは娘ひとりなので幼稚園がどうだかは知らないが、保育園のママというのはちょっとした同志で、親密な人になるともう親戚みたいなものである。

誰がいつ熱を出して治ったかなどは筒抜けなので、なんとなくクラスのこどもたちの健康状態はみんなが把握しているし、3歳くらいになってくるとそれぞれの家庭事情なんかも会話から透けて見えてくる。

「電車が遅延しちゃって、お迎え間に合わない!一緒にピックアップ頼む!」なんて連絡は日常茶飯事だし、土日も仕事のママのために、何人かまとめて夜まで面倒見たりするのも保育園っ子ならではの付き合い方だ。

なにかイレギュラーなことが起きたら、気を遣いながら不慣れな夫や遠方の実家にお願いするより、すぐ近くにいて処理能力の高いママ友に頼んだ方が、ずっと話が早い。

わりと仲良くしていたママが急病で入院した時には、うちでそこの子を数日預かって一緒に送り迎えして、遠足のお弁当も娘と同じ物を持たせたりした。

仕事を持つママ同士、少し事情を聞けばそれだけでわかりすぎるくらい気持ちが通じ合う。相手を信頼しているからこそ任せられるし、お互い様だと思っているから助けの手を差し伸べることに躊躇はない。

シングルだろうが共働きだろうが、みなまで言わなくても通じ合う、共通の危機管理意識と助け合い精神みたいなものが、自然と私たちには装備されていた。

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短いようで長い年月を経て、いまではこどもたちもすっかり成長し、それぞれ別の小学校へ通うようになり、あの頃のように会うことも少なくなった。

うちと同じく引っ越して遠くへ行ってしまったお友達が他にもいるし、それでなくとも働くママたちはなにかと忙しい。しかもこどもたちにはそれぞれの場所で新しい友達ができているから、会う機会も当然減ってしまう。

それでもこうして年に一度だけ、ここに来れば約束を特にしなくても会える人たちがいる。


人生の中でたぶん一番しんどくて、一番輝かしい日々を一緒に駆け抜けた、懐かしい戦友たち。


みんな変わらずに、いまもそれぞれの場所で、それぞれがなにかと戦っている。

そのことがなんだか無性に嬉しかった。



いてくれて、ありがとう。

来年もまた、会えるかな。



またここで、乾杯しようね!



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