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被災者なんだ!って、言っていいんだよ

※投げ銭方式の有料記事にしています。当初は全文公開していましたが、購入いただいた方だけが読めるよう、最後に震災の時の実話を追記しました。悲惨な現実の中にも、淡い希望を抱けるような、こぼれ話になっていれば幸いです。

追記:

被災地に住む友人と連絡が取れました!電気が9/12夜にようやく復旧したそうです。屋根は応急措置ができたらしく、いまは自宅で過ごせているようなので、ひと安心しています。

たくさんの方々からサポートをいただいています。本当にありがとうございます!!
いただいたサポートは、被災地に住む友人へ届けたいと思います。

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私は被災者になったことが、人生で2度ある。

1度目は高校生の時、阪神淡路大震災の被災地のど真ん中にいた。幸い家は燃えなかったし、数週間不便な思いをしたけれどそこまでの実害はなく、ヒサイシャという言葉がピンと来なかった。

若かったし、見渡す限りの惨状に、かえって変に気持ちがハイになっていた。

学校はしばらく休みになり、やることもやれることもあまりなく、単にヒマだったのだ。あちこちを自転車で駆け回り、避難所となっている学校で救援物資を配るお手伝いをしたり、親戚の家に行って片付けを一緒にしたり、とにかく自分にもできることをただ毎日探していた。

教科書かなにかで見たことがある戦後の焼け野原のような姿になってしまった、見慣れた街の道端で、これが地獄というものか!みたいな光景を何度も見たし、哀しい話はそれこそ山のようにあった。近くでも、遠くでも。

でも、とにかく前へ進むことだけが、できることだった。自分の目で見られる範囲のことしか知らなかったけど、全国に流れる映像で私たちはヒサイシャと呼ばれていたみたいだけど、どこか他人事のようだった。


みんな意外と笑っていた。自然に。

『しゃあないやん、こんなんなってもうてるし。やれることやるだけや。』


避難所のトイレは笑うしかないくらい悲惨な状態だった。

自衛隊の人が作ってくれた校庭の仮設のお風呂は汚かった。

でもあんな経験なかなかできんで!って、あとあと何年も内輪の笑い話になった。


不謹慎、なのかもしれない。


でも、私たちにはそんな日常があり、そこからの脱却がみんなの目標だった。そのためにはいろんなことを笑い飛ばして進むしか、なかった。

ただあっけらかんと、毎日を過ごしていた。

私の愛する街は表向き『復興』したみたいだけれど、震災前のあの人々や街の活気は、いくら取り繕っても、もう二度と取り戻すことはできない。

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2度目の被災は2011年3月11日。

母になっていた私には、守るものがあった。

笑っている場合ではなく、真っ先に逃げ出した。安全な場所へ。

なにもかも、放り出して。


あの時、逃げ出せる場所があったことに感謝し、しばらくして戻ってきてからも、自分には被災者という言葉は当てはまらない気がしていた。

どこかで、負い目のようなものを抱えていた。

『私たちなんて、まだマシな方だから…』


それは、本当に、そうなのか?

そう、誰かに、何かに、思わされてはいないだろうか?

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今回、台風による被害が拡大していて、被災者と呼ばれてもいい人たちがどんどん増えている。それなのに、当事者である人たちはみんな我慢強く耐えている。

相も変わらず個人の沈黙によって、それくらいはたいした被害ではない、みたいな刷り込みがまたされている、といってもいいかもしれない。

マスコミの報道は相変わらず偏っているし、国の施策はいつもに増して遅すぎる。いったいなにをしているのだろうと、もっと怒りを覚えても良いはずなのに、感情をあらわにしてもいいはずなのに、被災者の声はちっとも響いてこない。

それが古来からの日本人の美徳ってやつなのかもしれないし、それを賞賛する向きもあるようだけれど、私はそれは間違っていると思う。


日本社会は、もう個人の我慢や無言の諦めに甘えていてはいけない。

いい加減、気づこうよ。


天災が多い国なのかもしれない。ある程度は、諦めも必要なのかもしれない。


だけど、私たちは被災者だ!って声をあげてもいいんだ。

まずはあなたから。


もっと被害がひどいところもある、とか、私たちはまだマシだ、とか、そういうことを言い出すのは『美徳』ではないと思う。

被害をちゃんと口にして、必要な助けを求めて、正当な権利を主張することはなにも悪いことではない。ひとりひとりが声をあげて訴えていくことで、この国を変えていかないともういけないのだと、私は思う。


いつまで体育館の段ボールで寝かせるの??


天災はいつ来るか分からない。夏でも、冬でも、避難所はいつも過酷な状況。

地震が、豪雨が、土砂が、もし襲ってきたら個人の判断で避難する。そこがどんなに劣悪な環境でも、家にいるよりはマシだから。

私たちが真冬の寒さの中、かき集めた毛布と段ボールで固い床に寝ていたあの日から、もう20年以上経っているというのに、まだヒサイシャに対する措置はそれ止まりなのだ。


給水車はちっとも来なくて、コンビニの食糧は底をついて、わずかなガソリンを奪い合って、マスコミの車だけがなぜか中継に入って来ている現場。みんなたくさんのことに困っているけど、そういう小さい声はすぐには届かない。

そういうのはもう、過去の教訓として、とっくに見ない光景にしなきゃいけないんじゃないのかな。どうして、いつまでたってもそうならないのだろう。


まずは、私は被災者だ!って声をあげてみてほしい。小さくてもいいから。

それから、その声が聞こえたら、誰でもいいから近くの人へそれを届けてほしい。

少しずつでも、ひとりひとりができることを集めたら、誰かの困っていることをひとつ解決できるかもしれないから。


もちろん、被災地では電気がつかないとか、電波が届かないとか、物理的な困難はたくさんあると思う。

でも外に出て、隣の人と声を掛け合うことはできるはず。こういう時ならではの団結力というか、連帯感みたいなものがあると思う。特に被害がひどければひどいほど。

声をあげて、隣の人に伝える。ひとりひとりが。

そこからはじめていくことで、変えられるなにかが必ずあると、私は思う。


届けて下さい、あなたの声を。


#被災者です

#台風被害

#声を広げて

#助けてください

#千葉県


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今回、被害を受けている地域にお住まいの方々になにかできることがないか考えています。もしこんなことができるよ!という提案があれば、教えてください。ここnoteに集う皆さんの知恵をお借りすれば、できることは増えるのではないかと思っています。

そして、今回は投げ銭方式での有料noteというものに挑戦してみます。これまでにやったこともないし、正直なところ、これで良いのかも分かりません。

個人にできることは限られますが、私はまずは身近な友人を助けたいと思います。そのためにもしサポートをしていただけるようであれば、そのお気持ちをしっかり受け取って私は全力で届けます。

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※ご支援いただいた方が読めるように、阪神淡路大震災の際のこぼれ話を追記しました。

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あの震災の朝、激しい揺れで叩き起こされた私の脳裏を真っ先によぎったのは、当時片思いしていた同級生の顔だった。

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サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。