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下町賛歌

下町が好きだ。それはもう、愛している、と言っても過言ではないくらいに。

まっすぐな道で綺麗に仕切られ整った街並みよりも、小汚い昭和の香りが漂うトタン屋根や、錆だらけの建物が見え隠れしている狭い路地の方が、どうも性に合うのだ。

下町には変な人がよくいる。

堂々と昼間から酔っ払って絡んでくるおっさんや、個性的すぎる服を見事に着こなしたおばちゃん、お客なのかお店の人なのかがよく分からないおばあちゃんたちなど、街と人とがもはや一体となり、愛すべき奇妙なモノたちで構成されている、それこそが下町の醍醐味なのだ。

思わずクスッと笑いを誘うような魚屋のおっちゃんの巧みな呼び込み、狭いアーケードでところかまわず蹴散らすように人をかき分けていく自転車のベル、おばちゃんが連れた小型犬のけたたましい鳴き声。

取っ手のSカンに掛けられたたくさんのビニール袋と腰掛け付きショッピングカート、耳の後ろの毛をピンクに染めてリボンをつけられた白いマルチーズ、ママチャリの前かごに取り付けられたカバーとお決まりのさすべえ。

そんな風景を当たり前に見ながら育った私は、いまや下町が貴重なものになりつつある、という現実にさらされて危機感を覚えている。


このままどんどん商店街がなくなっていったら、揚げたてのコロッケ、ミンチカツ、串カツたちをいったいどこで買えばいいのだ。

注文してからおっちゃんが練り揚げてくれる熱々のてんぷらは、スーパーの練り物とは比べものにならない。

ジューサーが目印の果物屋さんのミックスジュースに、大きな氷が見た目にも涼を誘うレモン水やひやしあめ。お茶屋の店先でポコポコとケースの中をまわるグリーンティー。

買い物の合間にちょっと立ち止まってサクッとのどを潤してくれる、あの素敵なワンコインの飲み物たちは、決してイマドキの映えるカフェでは出てこない。

今のこどもたちはすでに、買い物はショッピングモールや大型スーパーでするのが当たり前になっていて、学校の教科書でしか商店街を知らない子もいるという。
近所のスーパーでは、レジがどんどん非人間化されていく。セミセルフってなんだよ。

八百屋のおじさんがおまけにくれる飴ちゃんや、パン屋のお姉さんがニッコリ笑って入れてくれる食パンのヘタ。
あの温もりは、いったいどこへ行くのだろう。


幸い、私の住むまちには、かろうじてまだ昭和の風景が生きていて、少し足を伸ばせば、残していきたい文化がそこにある。


こどもを連れて買い物に行こう。
まだ、手が届くうちに。


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