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私にできなかったこと

今晩、教養のエチュード賞がついに発表となった。

全ての作品を丁寧に読み込んで、本気で向き合って選ばれている嶋津さんは本当にことばを愛している方なんだなと感じたと同時に、そんな嶋津さんに読んでもらいたいと集まってくる作品たちがこんなにもあることが、作者にとっても選者にとってもきっと幸せなことなんだろうと思えた。

実はひっそりと私も応募していたのだれど、残念ながら選ばれることはなかった。

応募してみようと思った理由はただひとつ、ここに書いたことを実現させたかったから。

もしも、この物語が選ばれることがあったなら。

会いに行きたいひとがいた。


でもまあ、現実にはそんな幸運はなかなかないもので、私は会いたいひとに自力で会いに行けるように、これからも佳き日々を重ねたいと思えたから、それで良かったんだ。

胸の奥の方が一瞬チリっとしたのは事実。だけどなんとなく、海外に旅してみてちっぽけな日本では知ることができなかった価値観を学んだ心の清々しさ、みたいな気持ちが今は勝っている。

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選ばれた作品はどれもこれも、それぞれ作り手の想いが伝わってくる、素晴らしいものばかりだった。



なかでも、発表を通じてはじめて知ることになったこの作品。

紹介されている作品を上から順番に軽い気持ちで開いていったものだから、読み始めていきなり胸を打たれた。


どうしたって、あのひとのことを思い出してしまう。


経験豊かな看護師の紫りえさんでさえそうなのだから、何の心構えもなくひょっこりと終末期看護なんていう場違いなところへ紛れ込んでしまった私なんて、どうしたらいいか分からなくて当たり前なんだ。


グリーフケアが必要なのは、私だったんだ。

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フジ子さんとお別れしてしばらく、まだその仕事を続けていた私は、ペースを落として働くことにさせてもらい、特に担当を決めず誰かのヘルプとしてちょこちょことお手伝いするくらいにあえてとどめていた。

もう、あんな風に誰かの生にがっつり向き合っていく自信が、なかった。


買い物に出かけたスーパーで、いつも乗っていた路線の違う駅で、あるいはふと見上げたただの空模様でさえも、予期せぬところでフジ子さんとのちょっとしたエピソードがよみがえってきて、心のはじっこの方がチクリと痛くなったりする。

もともと、やりたくて始めたわけでもなく、巻き込まれるようにしてその業界に入ってしまった私は、そろそろこのへんが潮時だと悟っていた。

ここは、私が私らしくいられる場所じゃない。


フジ子さんと歩いた街並を通るとき、いつだって思い出してしまう。

彼女が言っていたことば。叶えたかった願い。

私になにかしてあげられることは、ないのかな。


そんな思いを、終わらせたかった。

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私がフジ子さんと出逢う前に、彼女が住んでいた街がある。

まだ引っ越してきたばかりの彼女と、通院や役所の手続きのために何度も足を運んでは、その辺りの懐かしい思い出話をよく聞いた。

フジ子さんがメインバンクとしていた銀行は、フジ子さんの元自宅から徒歩3分くらいのところにあり、長年そこに口座を持って取引していた彼女はほとんどの銀行員と顔なじみのようだった。

なかでも受付にいつも立っている年配の男性行員さんはフジ子さんと親しく、私たちが車椅子で前を通るといつも声をかけてくれた。フジ子さんは息子さんの口座も同じ銀行で統一していて、そのおじさんは昔から息子さんの話もよく聞いていて知っているようだった。


フジ子さんが亡くなってからしばらくして、たまたまその銀行の近くまで行く用事ができた。

ふと思い立ってのぞいてみると、受付のところにあのおじさんがいた。

どうしようか一瞬悩んだけれど、思い切ってその自動ドアを開けた。


「こんにちは。私、あの、フジ子さんと何度かここに寄らせてもらったヘルパーなんですけど。」

勇気を出して話しかけてみたら、おじさんはどうやら私のことを覚えてくれていたみたいだった。


「フジ子さん、先日お亡くなりになりました。私も最期にはお会いできず、だったんですけど…。」

「そうでしたか。この間お見かけした時に、随分お痩せになっていたから心配だったんですけど、そう、ですか…。」


私たちはどちらも、フジ子さんの、なんでも、なかった。

なんでもない2人で、少しフジ子さんと息子さんの話をして、そうしてお互いに「ありがとうございました。それでは。」となんとなく別れの挨拶を交わした。

あのおじさんと話すことも、恐らくもうないだろう。

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そんな風に衝動的に、フジ子さんの話をしたくなることが、時々ある。

銀行帰りによく寄った、ランチのお得セットが安すぎるお寿司屋さんとか。今でもきっとあののれんをくぐったら、私はきっとこの店の赤だしが好きだったフジ子さんのことを、大将に話したいと思ってしまうだろう。


いよいよ食べられなくなってきたフジ子さんのために、無理を言って器を持ち込んでまで持ち帰りさせてもらった、近所のうどん屋さんの女将さん。

車椅子を押しながら、いつも火曜日に通るとお花と演劇の話で盛り上がってた美容室の奥さん。

綺麗好きなフジ子さんが嫌がっていた、むき出しのまま置かれた商品の横で煙草をふかしている、角の天ぷら屋のおじさん。


みんなみんな、フジ子さんの人生の通りすがりのひとたち。

セリフもほとんどないような、名前も知らない脇役のあのひとたちと。


なんでもない誰かと、できることならフジ子さんのことを話してみたい。

今でも時々、懐かしい風景を目にすると、そんな思いに駆られることがある。


もしかしたらそんな私の密かな願望を満たすために、ここでフジ子さんのお話を書き始めたのかもしれない。


こういうのも、グリーフケアというのだろうか。


答えは分からないけれど、確実に私は誰かにフジ子さんの話をすることで、少しホッとしているような気がする。

ここで話せて、そして聞いてくれるひとがいて、よかった。


これまでフジ子さんの話を読んでくれたひとたちに、心からありがとうと言いたい。


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☆フジ子さんとの出逢い☆

フジ子さんというひと ~フジ子さんの話1~

サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。