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カレー、いちじく、ひつじぐも、な一日

最近、noteを書き出す時にまずTOP画像から決めることにしている。

この雲に出逢った時、これは絶対に撮りたい!と思った。かなり無理やりな状況で撮ったので、せっかくの空に無粋な街灯がぽつんと写り込んでしまっているが、それでもかなりお気に入りの一枚に仕上がった。


この日も、本当になんでもない一日。

とっておきのケーキ屋さんでひとりで旬のいちじくのデザートを食べ、それから少しだけ仕事をして、うちに帰ってカレーを作って、娘と一緒に仲良く食べた。

いや、嘘。

このカレー辛すぎて食べれない!と早々に拒否られ、満腹なのに残りを処理するはめになり、娘はテレビを見ながら食事なんて上の空で納豆ご飯をかき込んでいたんだった。

noteにわざわざ書くほどのことでもない、いたってフツウの毎日。

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淡々と日常のあれこれを綴っていただけの私の部屋に、ある日突風が吹き抜けた。

勇気を出して書いてみた、大好きな人へのメッセージ。

手紙は相手にもちゃんと届いて、素敵なマガジンに入れていただけて、なんとnote編集部のおすすめにも選ばれた。

にわかにお知らせ欄が騒がしくなる。

スキの数とビュー?だかが、ものすごいことになっていた。

ダッシュボードを確認してみたら、いつもの投稿の軽く10倍は見られている計算になった。

少し前にも、千葉県の災害について書いた記事を幸運にも多くの方に読んでもらうことができ、それまでの私のページでは見たことのないようなたくさんのスキをいただいたのだけれど、それとも比べものにならないくらいの大きな数字だった。

ここに書いているということは全世界に公開しているのだから当たり前なのだが、こんなにたくさんの人に自分の心のうちを見られているのかと思ったらなんだか怖いような、なんとも言えない複雑な気持ちになった。

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ここで何千人ものフォロワーがいるような有名なひとたちは、みんなこんな日常を送っているのかな。見知らぬひとから的外れなコメントや、時に見当違いな怒りや妬みまでもぶつけられ、それでも自分の心を守りながら想いを形にしていく強さ、なんていつか手に入るものなのかな。

特に誰かに何かを言われたわけでも、嫌な思いをしたわけでもないのに、なんだか考え込んでしまう数日間だった。


ここnoteやTwitterなどのSNS上で、自分の想いを言葉に乗せて、毎日世界中に発信しているつわものたち。

ひとの頭の中を簡単に読み捨てできて、常に新しいモノや面白いモノを求める現代において、早すぎる流れに乗りつつも川底に杭を打ち込んでそこに留まる姿に目を奪われるような、そんな人間に私はなりたいのだろうか。

今日書いた文章が、明日には別の誰かの言葉で上書きされていく。

それを、めまぐるしく消費されるコンテンツのひとつとして、気にもとめなく、なれるのだろうか。


また明日、私の言葉で塗り替えてやる。

そんな風に強くあれたら、そんなこと考えたりもしなくなるのだろうか。

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私は、やっぱりなんでもない一日、を大事にしたい。

今この瞬間にしか見ることのできない空を手のひらに切り取って、自分だけのギャラリーに飾っておいて時々見返す、とか。

自分へのささやかなご褒美として、仕事行く前なのに先にちょっとスイーツ食べちゃおう、とか。

「今日もご飯おいしかったね!ちょっとスープは味薄かったけどねー。」とかなんとか言いながら、娘とあったかい布団の中で小さなしあわせを噛み締めて、じゃあおやすみー♡って眠りにつけたら、それでいいな。


なんでもない一日、でもそんな日々が贅沢だったなぁって思い返す日が、きっといつか来るのだろう。


今日も一日、おつかれさま。

明日もいい空が見られますように。


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本日のBGM

『いつまでも続くブルー』 yaiko


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