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しょっぱい西瓜のうすみどり ~フジ子さんの話3~

今年も西瓜の季節がそろそろはじまる。

八百屋さんの店先で、スーパーの特売コーナーで、ドラえもんの口みたいな独特の形にカットされた西瓜の断面を見かけると、きまってフジ子さんのことを想い出す。


末期がんの手術を終え、なんとか冬を越えたフジ子さんだが、自宅療養を続けるうちにみるみる痩せ細り、その年の初夏にはもう、食べられる物がほとんどなかった。

「何だったら食べられそう?そうめん?冷やし中華?卵かけご飯はどう?」

フジ子さんのところには、いろんな人が日替わりでやってくる。

往診の医師や看護師、お薬を持ってきてくれる薬剤師、身の回りのお世話をするヘルパー、たまに近所の知人や古くからの友人。みんな食事がとれないフジ子さんを気遣って、なんとか少しでも口に入れられるものを探してあげたいという気持ちは同じなのだ。

そんなたくさんの問いかけに、フジ子さんはただ首を振るばかり。

その頃ドリンクタイプの栄養剤ばかり摂取していたフジ子さんには、食欲というものがもうほとんど残っていなかった。


ある日、久しぶりの買い物のため近所のスーパーに同行した私に、フルーツコーナーでフジ子さんがつぶやいた。

「もう西瓜の季節やなぁ。ちょっと西瓜食べたいなぁ。」

久しぶりに聞いたフジ子さんの欲求が無性に嬉しくって、帰宅してすぐに買った西瓜を小さくカットして食卓に並べた。何切れか口に運んで、フジ子さんは静かにフォークを置いた。

「西瓜はな、この皮を漬け物にして食べるのがおいしいねん。あんた漬けれるか?」


西瓜の皮の漬け物といえば、幼い頃によくうちの母親が作っていた。貧乏暮らしの我が家では、できるだけなんでも捨てないで利用するのが当たり前だった。みんなが白いところまで食べ尽くした西瓜の皮を、さらにスライスして塩漬けにした、ただしょっぱいだけとしか思えない、貧乏くさくて青臭いその食べ物が、私は苦手だった。

「作ったことはないけど、やってみるからやり方教えてくれますか?」

フジ子さんの指示通りに、濃緑の皮を丁寧に剥いて両面にまんべんなく塩を振り、ボウルとボウルの間に挟んだら、上のボウルにいっぱい水を張り一晩寝かせる。水気を切ったものを薄くスライスして、次の日の食卓に恐る恐る並べてみた。

「うーん、ちょっと塩が薄いな。もっと塩を振らんとあかん。うすみどり色の方に特に多めに塩振って、しっかりもみ込んでな。」


それから、うちの食卓に西瓜が並ぶ日が続いた。そんなに食べられないフジ子さんの代わりに、西瓜をせっせとうちで消費し、カットした果肉を少しと漬け物にした皮を持ってフジ子さんちに向かう。フルーツに目がない娘は、連日の西瓜三昧にめちゃくちゃ喜んでいた。

「赤いところが少うし残るくらいにして、綺麗な色になるように斜めに切ってな。薄くても厚くてもあかんねん。ちゃんとシャクシャクした歯触りを残してな。塩は薄すぎたらおいしないで。」

何度も何度も、いい感じの漬かり具合になるまで味見を繰り返す。

こどもの頃母親が作っていたおおざっぱな漬け物とは違い、フジ子さんの作り方で作ると、淡い赤から白、うすみどりのグラデーションが美しく、なんだか上品な箸休めになる。おかげで西瓜を買う時に赤いところだけを見るのではなく、皮の部分に適度な厚みがあり、漬けやすそうなものを選ぶ癖がついた。


「ママー!すいか売ってるー!食べたいー!!すいか買ってー!」

遠くで娘の呼ぶ声が聞こえる。



そうだ、今年もやっぱり漬けてみようかな。

相変わらずそんなに好きなわけではないけれど、なんとなくあのうすみどり色のしょっぱさが少し懐かしく思えた。


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☆続きはこちら☆

さんかくおやまのおいなりさん ~フジ子さんの話4~


☆はじまりはこちら☆

フジ子さんというひと ~フジ子さんの話1~


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