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ルーティンのある生活がしたかっただけなのに

なんだか最近忙しく、心が折れそうな瞬間が多々あった。
家に帰ると涙が出て、ご飯もたくさん食べられず、眠れず、早起きがまたストレスになる日々。

こんな毎日を抜け出したくて、何か変えたくて、現状を把握しようと思った。

だから。
ここ数日、どんな仕事をしたのか逐一PC上の付箋に書き出し、その日の最後にワードにコピペしてみた。その量はA4用紙2ページに及んだ。(もちろん、フォントサイズにもよるし、余白にもよるし程度を測るのは難しいけれど、、、)
驚いた。

記録することが好きなのもあって、
自分の仕事量、自分が成し遂げたこと、仕事で貢献できた相手が可視化されて少しスッキリした。

そこからどの仕事を減らせそうか、
どの順番で取り組めば一番効率が良かったのか考える癖をつける。



家に帰ってまで仕事をしたくない、休日はしっかり休みたい。

もちろんその考え方は消えないのだけれど。

朝から仕事をして、仕事によって疲弊して、苦しんで、涙が出ていたのも自分。その自分を救えるのは、仕事場から離れた自分でもあるわけで。

仕事行くの嫌だな、もうやめたいなって思ったけれどまだ目を背けずにいられる状況だったから。今回現状を可視化してみたのは私にとっては良い取り組みだったみだい。



ただね、一人で抱え込まなくてもいいよな。と思った。

今日駅のホームで膝をついて、土下座みたいなポーズのまま動かない人がいた。けど誰も声をかけなかった。私も声をかけられなかった。

その時に思った。やっぱり声にして伝えないと誰も助けてくれないって。さすがに、どう見てもおかしい状況だったから駅員さんが気付いて来てくれたと思うけど。

明らかにおかしい状況が目の前に広がっていても、人はなかなか手を差し伸べることができない。誰かが助けてくれるだろう(人任せ)、なんらかの事情があるんだろうな(都合の良い思い込み)って。
勝手な解釈と推測をするだけで行動をしてくれる人は少ない。

助けてほしい時は助けてほしいって言う。察してくれとどんなに念じても周囲に伝わることは少ないから。
どうして誰も気づいてくれないんだろう?は、ちょっと都合がいいかなって。

今日ホームにいた人に声をかけられなかったこと申し訳なかったけれど、何かを察して行動に移せる人は稀。

誰も助けてくれない状況を憂いる時、誰からも自分のおかれた、きつい・つらい状況が気づかれていない可能性を疑ってみるといいかもしれない。
だから一人で悩まずに状況を言葉にして伝えてみることは大事だ。



今週いっぱいは気力が続く限り、自分の状況把握に時間を使ってみようと思う。

最後まで読んでくださりありがとうございます!