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二十歳を祝う会におもう。

ワタシには来年、二十歳を祝う会に参加するムスメがいます。

来年、振袖を着るそうです。


ワタシは、かれこれ37年前の成人式、親の期待を切り捨てて、家出をしました。(競技スキーの大会を見に行った。)


長女であるワタシの成人式は、当時の母からしたら、夢のワンシーンだったのでしょう。世の中はうなぎ登りのパブル期。
娘に妥協なく振袖を買ってあげられる豊かさだって、戦中生まれの両親には、喜びだったでしょう。先輩ママたちがその写真を見合いなどに使うため、こぞって娘さんたちに投資してる姿を目撃してたわけですから、振袖写真は、娘の幸福な暮らしへのパスポート!

天邪鬼なワタシは、振袖をそういうものとしか見ていませんでした。
記念でもなんでもなく、大人たちが子供の運命を操作するツールだろ?
そんなシステムに乗っかる気はサラサラないから、ほっといて!

そうじゃないわよ。20歳にしかない表情とか顔があるの。だから撮影するのよ!

なんで自分で選べない着物を着るの?
なんでママやおばあちゃんが決めるの?
意味わかんね!

なんで、みんながフツーにできることが、あなたにはできないの?
なにが不満なの?
なんで反発するの? なにが嫌なの?!

なんていう、激しい親子喧嘩という名の罵りあいをしたので、ワタシの成人式は母にとって黒歴史だったそうです。
しかも当日、反対押し切って家出だしね(笑)

さて、ムスメの話題です。
「ママは振袖お仕立てしてないから、今流行りのママ振り(ママの振袖)はないよー。」と、何年も前から伝えてました。

それでも、金髪にして、推しカラーの赤を基調にした振袖を着たーい!というのです。
おお、着るのかー。親が着なかったとしても着るんだ。

あれ?あ、わかった。
ワタシは、振袖が着たくなかっただけじゃなく、着たくないワタシを受け入れて欲しかったんだ。でも家族も友達もみんな振袖一択。
成人式に振袖着ない=変人。礼儀知らず。不幸になる。結婚できない。
と言って反対されたのだ。つまりワタシは、当時の世の中の概念と戦ってたんだ。

なんて疲れる生き方を選んでたんだろう。
でも、自分の意思を尊重してよかったとしか思えないから、疲れたけどこれで良かった。
いま、着たい人も着たくない人も、自分の心に選択権を持って暮らせているみたい。ワタシの戦いはムダじゃなかった。(正義の味方気分)

娘は、ママの振袖という選択肢に縛られることなく、自分が気に入った振袖を買えて、それも良かったんじゃん? (しかもそれが安く買えたもんだから、余った予算でワタシったら自分の訪問着を買ったw)

人生万事塞翁が馬みたいなオチだけど、

「自分で選ぶ」「自分で決める」
を繰り返してると、自由とか解放とかが、体感しやすくなるんだろうな、と改めて思う。

ワタシは、いつも、親や目に見えない世間と戦っていて、もうほんとにいつもクタクタだった。
そんなワタシにも、ちゃんと味方がいて、それはそんなワタシを面白がってくれる友達や、ちょいと変わった愉快な大人たちだった。

すっかり大人になったワタシとしては、
若い人達の、そんな大人の1人になりたいと思っている。

自分で選んでね、と言いたいし、意識して選んでる?と声をかけたくなる。

今夜何食べたい?程度のことは、大人に決めてもらっていいし、それが決められなくても大丈夫。

ても、成人式に何着たい?
卒業したらどうしたい?
どんなことが好き? 得意?
何がしたい? どこ行きたい?

そういう自分にまつわるたくさんのこと、自分で決めて暮らして欲しいなぁって、心から祈ってる。

ワタシたち大人は、若い人たちの本音を、柔らかい耳と固い信頼心を使って、受け入れていけるといいなと、心から思ってる。

成人式したからって、歳とったからって、大人にるわけじゃない。
大人は、なっていくもの。

ワタシもまだまだ、成長途中。
老人になるよりさきに、素敵な大人になりましょう。


現在、1月期がスタートしてます。
2月の申し込み、お待ちしております。



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