見出し画像

【長野からNYへ】 「自分は何者か」を問う②

長野からNYへ 「自分は何者か」を問う①  はこちら

* * *

再び、地方へ
帰国後、就職活動で新聞社やテレビ局をいくつか受けましたが、最終面接までこぎつけたのは通信社の英文記者職のみ。なかなか内定の連絡は来ず、あきらめかけていたところ「英文記者での採用は難しいが(日本語の)編集局記者はどうか」と電話がありました(後々上司に聞いたところ、英語で記事を執筆する課題がまったく出来ていなかったと言われました...)。

赴任先は島根県。地方を出て海外を目指したものの、再び地方に向かうことになりました。

島根で記者として働いた3年間は、英語を使うことは全くありませんでした。思い描いていた仕事とは違いましたが、警察司法担当をしながら、アルコール依存症、離島教育、子育てなど、興味ある分野の取材も自由にさせてもらい、仕事は思いのほか充実していました。当時、島根の地方紙で記者をしていたローカル・ジャーナリストの田中輝美さんと出会ったのがきっかけで、後に日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の活動に参加するようになったことも大きな出来事でした。

日々の仕事の中で、英文記者になりたいという気持ちを思い出すことは減っていました。そんなとき、英文記者のポジションが空いたので国際局で働かないか、と突然連絡をもらいました。

考える間もなく「行きます」と即答していました。

はじめのうちは、とにかく日本語の記事を英語に翻訳して練習する日々でした。部署には帰国子女の同僚も多く、自分が書けないことはわかっていたので、毎日ひたすら読み、書き、型を覚えました。英語だと基本的には日本について知らない読者に向けて書くので、切り口も、記事に盛り込むべき情報も違ってきます。少しは書けるようになったかな、と思うまでに1年くらいかかりました。はじめて海外の新聞に自分の記事が掲載されたときは嬉しかった。

突然会社を辞める
2015年、家族の事情で再び長野に戻ることになり、あこがれだった英文記者を辞めました。JCEJの活動を通じて、組織の外で学び、チャレンジすることの大切さを教えてもらったこともあり「このまま会社だけに留まっていていいのか」という思いもありました。

ただ、当時は正直に言って先のことはあまり考えていませんでした。地元では、ニュースやメディア分野の翻訳をしたり、大学の非常勤講師として英語やメディアリテラシーを教えたりしていました。もう一度きちんとメディアやジャーナリズムについて勉強したい、とうっすら思うようになりましたが、なかなか行動にはつなげられずにいました。

転機は、2017年に関わったプロジェクトでした。

2016年の米大統領選を機にネットの偽情報・誤情報が社会問題化として表面化し、日本でも調査を始めようと、JCEJの仲間で「フェイクニュース調査プロジェクト」を立ち上げました。クラウドファンディングで資金を募り、調査ガイドの翻訳や海外視察も行いました。特にアメリカでは研究が驚くほど進んでいて、論文や記事を読み漁りました。

「フェイクニュース」は海外の政治や選挙に影響を与える問題として報道されていましたが、私はもう少し個人的な理由で関心を持っていました。そのころ、家族が病気になり、行政や病院、自助グループなどにコンタクトをとりましたが、地方ということもありなかなか情報が得られず、必要な治療を受けられない状態がしばらく続いていました。

もちろん、ネットを通じて有益な情報も得られましたが、いかにあいまいな医療情報が多いかを痛感しました。2016年には、DeNAが運営する医療情報サイトに不正確な情報が多数掲載されていたことが問題になっていました。「一生治らない病」「食事療法で治る」「薬は辞めた方がいい」「投薬は必須」「サプリが効く」......。私の両親や病気の家族本人も、そうしたネットの情報に一喜一憂して、影響を与えているのが見て取れました。記者として情報を発信していた自分でさえも、情報の受け手になったとき、「とにかく不安を消してくれる情報が欲しい」「信じたいものだけ信じる」という傾向が確かにありました。

自分の軸を持つこと
こうした経験から、「フェイクニュース」の問題を、政治や国家という大きな枠組みだけではなく、より身近な情報の信頼性の問題としてとらえ、「受け手」の視点から取り組んでみたいと思うようになりました。また、海外では現場の記者がこの問題について発信するだけでなく、学術研究分野との連携が、対策に生かされていました。両分野を行き来し、海外の知見も取り入れられるようになりたいと、プロジェクトの後本格的に米大学院進学を考え始めました。

医療情報に限らず、偽情報の拡散は、商業目的だったり政治目的だったり、さまざまです。ただ、共通しているのは、私たちの不安や恐怖といった感情を利用しているという点です。情報を通じて他者や新たな価値観に触れることで、自分の世界が広がり、人と人がつながることができる。でもその情報が事実に基づいていなければ、逆に分断が深まり、多様性が損なわれてしまいます。

情報やニュースは、分断や孤立ではなく、つながりと多様性に貢献するものであるべきだし、自分もそこに貢献できるような生き方がしたいと思います。後から考えれば、地域の外に出たいと思っていた10代のころから、記者時代、そして今まで、つながっている問題意識です。

* * *
大学院受験や面接でも「なぜあなたがこの研究をする意味があるのか?」を聞かれました。たとえば「フェイクニュース」や「メディアリテラシー」の研究をしている人はたくさんいるし、同じ課題でも、人によって取り組む角度はさまざまですが、興味関心を掘り起こし、自分なりの軸を持って取り組むことに意味があるのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?