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初恋

 昭和40年頃の話、大分駅の裏側には木造の階段があって、階段を降りて見渡すと、左手には鉄道グランドとその向こうに鉄道病院、右側には国鉄物資部という今で言うスーパーマーケットがこれも木造平屋建て、後は国鉄の社宅と他は墓地公園まで一面が田んぼと畑、道路はまだ全て未舗装という風景が広がっていた。色調は蒸気機関車の煙の白から黒、木造家屋の茶から走路の薄茶、墓地公園の深緑から田畑の薄緑と、記憶を手繰り寄せる程にその色合いはモノクロからセピア、そして草花の色へと思いだす時間に応じて色づけがされていく。あれは小学校2年生頃のことかな。そんな色合いの風景の中の一角に雪子ちゃんの家はあったのだろう。学校が終わり、家にランドセルを放り投げて、一目散の遊びに行くのが、日課だった私。「ゆーきこちゃん、遊びましょ。」これが定番の口上、しばらくすると、雪子ちゃんが家から出て来て、さて、今日は何して遊ぼうかという相談になる。記憶として救出できたのは、私をいじめっ子から助けてくれたぼんやりとした記憶と、最後のこの日の鮮明な記憶だけ。雪子ちゃんと、今日は何して遊ぶという話しをしながら、家の前の道に二人しゃがみ込んで、乾いた道に落ちている小枝と錆びついた釘で、土に線や丸を描きながら、埋まっている石ころを削りだす。その作業自体がもう遊びの中だったのかも知れない。そのうちガラス瓶が逆さまになって底が斜めに埋まっているのを発見、二人で小枝と釘を駆使して瓶底を掘り出すことに熱中し始めてしばらくすると、急に雪子ちゃんが手を止めて、「私、明日、引っ越すの。」と言って、また瓶の廻りの土を削り始めた。私は何と言葉を返したのか、何も言わなかったのか、返すに足る語彙がなかったのかも知れない。ただ私は何か訳がわからないまま、瓶を掘り出せたのかどうか、その遊びの終わりがどうなったのかも忘れてしまっているけれど、翌日か週が明けて登校した時から雪子ちゃんの姿はなく、何かの劇に幕が下ろされたような感覚に捕われてしまった。それから7年後の高校生になった時、雪子ちゃんが隣のクラスに居ることを知り、物凄く勇気を出して挨拶に行ったけれど、覚えてはいてくれてたけれど、あの時の雪子ちゃんではなくなっていて、特に人が変わったのではなくて、抱き続けた記憶の色と匂いが私の記憶のものとは随分と違っていた様子だっただけで、凄く悲しく残念だったけれど、この瞬間に、ああ初恋の人だったんだとこの時、自覚したような気がする。もうそれ以来、会うことも風の便りを聞いたこともないけれど、あの日、一緒に土の埋まった瓶を削りだす遊びの記憶だけは、50年近くの時を隔てても尚、鮮明に残っていることが不思議だ。

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