シャーデンフロイデと、家族の中にある嫌悪
シャーデンフロイデ
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC...
シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情。
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取りかかりにくいこのワークをきりん学校でした。
教育されてきたことばが頭にあるので、人の不幸を喜ぶ気持ちがあるなんて、安心できる仲間でないと打ち明けられないし できないもの。
「自分じゃなくて良かった」と、自分ではない誰かが微笑されるような場面もここに入るかな…。
問いがもたらす視点の移動。
シャーデンフロイデが立ち上がるまで 関係性に積み重なった小さな無意識な痛みの積み重なりを自覚した。
深くにあるニーズを確認し、共に呼吸し、大事にする。
仲間がいないと、なかなかできないワーク。
共にいてくれてありがとう。
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複雑さについて もうひとつ。
昨夜の出来事。
次男が友達と遊ぶためにお年玉で木製の野球のバットを買った。
我が家は男子しかいないので、それはそれは楽しそうに遊んでいた。
そのことについて、夕食の時に家族で話をしていた。
その時、三男は急に立ち上がって別な部屋にあったそのバットをにこにこして食卓に持ってきた。
その姿を見て、「やめろ!危ない!!ふざけんな💢」と声が出る…
ものすごい表情。それは「嫌悪」。
三男がバットを別の部屋に移動するまでそれが続いた。
三男は、固まっていて、うーっと言葉も出ない。涙が彼の頬を伝っていく。
1人1人に何が起きていたか
複雑さを抱えた状態を観察できますか?
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この場面にいた私は、
怒っている声(怯えているともいう)に、「三男はあなたが思っているような意図で、バットを持ってきていないと思うけど…。」と、横入り。
彼は繊細さんなので、貢献や楽しさのニーズからバットを持ってきただけ。
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「わかったよ。ありがとう…。」と聞こえないと三男は動けない。
自分の意図が汲み取られていないこと、
自分の想像した状況と違うことが起きていることを理解出来ていない、
ものすごい嫌悪の表情と言葉への驚きと悲しみの中にいた。
「わかったよ…そういってもらえないかな?」
「そうすると動きやすいよ」
じぶしぶ&まだ言われていることを理解できていない様子で
「わかったよ💢」と声が聞こえた。
それで、三男はやっと自分の体を動かすことができた。
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バットに嫌悪を示した側にも何かしらの感情が湧いて必要からそれを声に出している。
だれも自分を否定する必要はないが、この状況にどう思いやりを向けられるか考えることが大切。
・
私は、部屋を出た三男を追いかけ、部屋の隅で寝転んでいる彼の体をさすった。
三男は、楽しみや貢献から行動した。
そして、バットから想起されたイメージやこれから起こるのではないかと思うことへの防御、「嫌悪」を見せずにはいられなかった家族の中に起きていることに思いを馳せた。
怖かったんだよね。
ご飯をゆっくり食べたかったんだよね。
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「嫌悪」は大事なもの。
病気や感染場から肉体を守るものだSarahのクラスで学んだ。
人に嫌悪を向ける時、重度な屈辱の経験があること。
そしてその嫌悪が家族のスペースの中にあることがもたらす精神的ストレスについても。
この緩和に私はどう関われるか 呼吸せずには考えられなかった。
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