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いのちをつなぐ「ゲートキーパー」

「命を支える二本松市自殺予防対策事業」に参加。

「ゲートキーパー」という、ただ共にいる、話を聴いてくれるシステム、その存在を考える会に参加。

自殺対策として掲げているのは、

1、援助希求しやすい環境づくり

2、1人1人の気づきと見守りを促す環境人材育成

3、住民への啓発

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若者支援や引きこもりの現場でも「死にたい」という声を どのように受け止めて、その気持ちと共にいるのかと、並行して、

どのように 専門の窓口につないでいくのか 頭ではその流れを理解しつつ、実際にその雛形通りに行うのが難しいという課題を受け取っている。

私が福島に戻って、女性の電話相談を2年お手伝いさせていただいた。

そのでも「死にたい」「孤独」「辛い」「助けて」「支援を求めるのは恥」などの声を聞いていた。

また、社会福祉センターの方とのお話では、需要と共有のバランスが取れていないため、市民の中から活動できる方を集め、必要な声を聴き、共にいる存在の育成に力を入れたいと聞いていた。

育成対象として視野に入れられる層は、時間的なゆとりがあるのは高齢者だ。

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公認心理士の方のお話は、どれもわかりやすく丁寧だった。

「ゲートキーパー」とは、悩んでいる人に気づいて声をかけてあげられる人。

責任を大きく持つことを手放し、解決する人ではないし、何かしてあげなければならない責任を持たないことも置かれる。

専門的な場所につなぐことを支援のひとつとして市民の協力を得るために設置。

自分なりの解釈で見えていないものをあるものとして書いてみるね。認めることが大切かなと。

社会の中にどこからか聞こえてくる生き抜くための戦略の声があることを認める

・自分はわがまま・迷惑をかえられない

・皆苦しいのだから

・弱音は吐きたくない、負ける

・そんなこと…大したことはないよ

・死について話題にすることが不謹慎(御法度)

支援側が状態に気づく、耳を傾けることを難しくしてしまう考え

・寄り添うことが死ぬことを促進させてしまわないか

・自分の心配は余計なお節介ではないか…以前声をかけたが「大丈夫だ」「大したことはない」「そんなことはない」と言われる。

・違っていたら失礼、単なる体調不良かも、誰しもそういうことがある

公認心理士がここで大切だよねと置いたのは、

わかろうとする態度 > わかること(必須ではない)

納得。

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難しいなと思ったのが

関わる手前側で行うことの一つとして、ゲートキーパー自体がクールダウンできるというスキル。

これはNVCのトレーニングの中でも大きな役割を果たすもの。

まさに自己共感、自分の感情に気づき、感情を認めることだ。

価値観の違いや、視点の違い、表現の違和感など、つい正しさを言いたくなる。

ここにも痛みのケアが必要に。

ゲートキーパーについてや、

ゲートキーパーを市民に広げたい、そのためのことを聞いているうちに ずんずん、どんどん

あー、みんな「聴いてもらう」「共感」の体験をしたり、その体験から、心地よくないとか、心地がいいとか、気にいるかなどさらに対話が起きたらいいのになと、

自分の癖で すぐにNVCに引き寄せて考える自分もいた。

どれほど、NVCの対話が社会の中で必要とされているかということ。

ボランティアさんが 共にいる共感で話を聞き、さらには自分と相手を区別できること自分を大切にでき、必要な支援が必要な場所に流れるシステムを動かせたら地域は変わると想像した。

そして、自分では意図していない 下げすましの言葉を無意識に使ってしまう可能性を知ること(相手にどんなことが起きるかを全部わかることは難しい)と、知っていることを大切なこととして自分に「マイクロアグレッション」「バイアス」をおき、考えていた。

インパクトについては、お互いのつながりのためにもしくは、向かう先を確認するために フィードバックしあえる信頼した仲間も必要。誰もが最初は赤ちゃんだった。知りようもなかったことに踏み込むとき、赤ちゃんを支える器がコミュニティかなと。

共感の必要と共感が秘める可能性を一市民の声として出すこと。権威社会て私の声はかき消されてしまうかな。

一度や二度、かき消されても痛くも痒くもないか…。

一市民の提案が地域に採択されたなら、「共感」の場が開けるかも…希望につながろうとも思った。かき消される痛みはケアできる。(仲間がいる)

提案や声は届くかしら〜。やってみないと正直わからんね。

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