カカオメリゼ1

味覚は意図的に変えられるのか?

朝食はチョコレート、という習慣を取り入れてから、5年以上経ちます。
どっぷりハマっていた頃は、不調時・旅行時を除き毎日。
二児の母になり、目まぐるしい生活に変化した今でも、在庫と時間に余裕がある時は食べています。
開封時に撮影&集中してテイスティングする時は30分程度かかりますが、
それを終えれば、準備不要・毎日の食事時間が短縮できる・凄く美味しくて幸せ、というメリットがあるので、意外に長く続いています。

ツイッターで定期的にチョコを食べた感想を綴っているものの、ある日突然味や香りに敏感になったわけではなく、自分の意識を変えてきた(環境でそうなっていった)節があります。

今回は「味や香りを感じる力は、環境や習慣で変化する」という体験を書き起こしてみました。どんなに偏食だろうと、きっかけ次第で味覚は変わると私は実感しています。

<幼少時>
・母の作るハンバーグとパスタ(たらこバター)が大好き。
・野菜や海草は飾りと言い張って、一切拒否。
・飼いネコ用に常備している鰹節とチーズがおやつ。
・チョコレート、特に霧の浮き船が大好き。

<高校時>
・部活帰りに毎日マック(ピクルスは友達にあげる)
・カップヌードルカレーLOVE(規定の線よりやや下でお湯を注ぐ)
・テレビで見た生チョコに憧れ、市販の板チョコと生クリームを溶かして混ぜた高カロリー物質を自作。

<大学時> 一人暮らし、ほぼ自炊せず。
・朝はコンビニの新作菓子
・昼は外食orコンビニ(カレー、ラーメンが好き)
・夜はバイト先(牛丼屋)のまかない or サークルの飲み会。

<転機1> マルコリーニのチョコパフェにハマり、銀座に通いだす。
→美味しいケーキを求め、デパ地下スイーツの回遊を始める。
→だんだん気持ちが大きくなり、思いつく範囲でちょっとお高い店(ホテルのランチ、高級焼肉チェーン、回らない寿司)に生活費をつぎ込む。
この頃の大好物は、ゴディバのショコリキサーと蟻月のモツ鍋。

<転機2> 社会人になって九州に移住。ウキウキで旅行しまくる。
→地元の素材や料理に触れて、徐々に好き嫌いが減る。
鳥刺し、とろける牛肉、透明なイカやきびなごの刺身、殻の柔らかいカニ、ピンク色のカツオ、鮮やかな色合いのサバやアジ。
→年に3~5回東京に行って、都内のスイーツ巡り。
食べログで検索し、上位順・ビビッときたお店をガンガン食べていった。
この頃の大好物は、ジャンポールエヴァンのケーキ。

<転機3> ドモーリのチョコにハマる(2012年~)
食べログを通じて知り合った読者さんにドモーリを薦められる。
→美味しさに感激、このチョコを理解するためのスキルが圧倒的に不足していると感じる。
→情報収集開始。検索で発見したLovechocoさんとチョコライフさんのサイトを何度も読む。(今でも私の中の神ツートップ)
→ドモーリの素晴らしさを検証するべく、ダークの板チョコ・製菓用の食べ比べを開始。
→ドモーリを深く知るため、ノンナアンドシディさん(当時の輸入元)にお願いして関連書籍を取り寄せて翻訳する。
→ジャンルーカ(唯一神)がサロショのため日本に来ていることを知り驚愕。講座に参加し、愛を伝えるべく、東京のサロショ(2015年)へ。

*この一連の過程で「どんな味か分かりやすく表現できるようになりたい」と思い、フルーツやナッツを食べ比べ。地元で評判の高いフレンチ、和食、パン、ラーメンも網羅。ミールスにも手を出したあたりで、好き嫌いは全滅。
*素人なりに粉ものを手作り(主に麺・パン・菓子)、調味料に凝り始める。

転機4 Bean to barを食べ始める(2014年~)
・ケーキからbean to barチョコレートの食べ歩きに移行。
・製造者と直接話す機会が増える。(洋菓子店とは異なり、まだニッチな業界だったので職人さん自ら接客・商品解説をしてくれることが多く、豆や製造について詳しく教えてくれるところが多かった)
・豆を探す人、豆の卸売りをする人、加工する人、販売する人、カカオやチョコレートに真剣に向き合う人達の存在を知る。品質も大切だが、愛情も重要な気がしてきた。愛を技術で表現できる職人が最強!

そんなこんなの三十数年の間に着々と変わっています。
・濃い味、ジャンクは正義!
・とりあえず高級そうなものなら間違いない!
・素材第一!味付け不要、手作り最高!
・素材の良さが生きる、オリジナリティ溢れる味が好き!→イマココ

極度の濃い味から、極度の薄味に転向し、だんだんと素材の風味が輝く味が好きになってきました。食べる経験を重ねたことで、香りを際立たせるちょうど良い味付けが理解できるようになってきたのだと思います。
ただ、食への興味が尽きないためか、食べたことのない味や、その職人しか作れない唯一無二の味を好む傾向があります。これから住む土地や好きになる人、物によってまた変化するはずです。
勿論日々の健康状態も影響しますが、意識が変化してから半年くらいで味覚も安定してくる、というのが実感です。
まるで別人のように変貌を遂げているのですが(おそらく人格もだいぶ変わってる)、どれも私の味覚には間違いないです。当時の味覚はもはや再現不能ですが、記憶はしっかり残っています。
変化の原動力になるのは「好き!」「知りたい!」という気持ちです。

九州への移住と、ドモーリに出会ったことは大きく影響しています。
・さまざまな食材を体験すること
・品質の幅を知り、その差が出る理由を考えること
味覚を磨きたい!と思われる方がいたら、この2つを実践するのが近道だと思います。味や香りをただ暗記するのではなく、それが作られた現場や作業工程を思い描き、記憶の引き出しから瞬間的に引き出せるようになるまで、ひたすら毎日少しずつ食べ続けるとより効果的でしょう。
ただ、味覚はあくまでも「自分の求める味」「大切な人が喜ぶ味」を模索するためのツールです。感想を誰かに伝えたり、料理してアウトプットした方が繋がりが見えて広がります。

ちなみに私は「正しい味覚」などという曖昧な概念は存在しないと考えています。偏ったり依存しないようコントロールするための栄養知識と、継続する意志の方が、何十倍も健康に寄与するでしょう。
味覚とは、自分という人間を形作る個性の1つだと思っています。磨けるのはあくまでも品質と価値を判断できる力。身につけることによって初めて、本当に自分が好きなものを選別することが可能になり、どのような人間であるかも理解できる。直感的に好きだと感じるものにあわせて、人間は現状の自分を変えることができる、とも言えるのではないかと思います。

味覚は変わる、ということについて書こうと思ったきっかけは、子供の食育について、神経質な情報が溢れているなと感じたからです。
私の母は偏食を矯正せず、むしろ塩分高め・油たっぷりの食事を喜んで作り(味噌汁は、ほんだし)スーパーに行くたびに好きなお菓子を選ばせてくれました。ファミレスのパフェに大感激したことも、大切な思い出です。
父は当時年収300~400万程度だっただろうと推測していますが、食べていたものから冷静に試算すると、エンゲル係数は確実に平均を大きく上回っています。母は食料やお菓子を絶対に切らさず「お腹がすいたら可哀想」とガンガン料理を作る、浪費家タイプ。ミートソースのスパゲッティと、どんぶりのご飯が同時に食卓に並んでいることもありました。そのため思春期になり困ったことも多々ありましたが、母の生き様は、私の思考の核にもなっています。親元を離れて10年以上経ち、味覚はだいぶ変わりましたが、昔も今も変わらず、食べることが好きです。母のことも、とても愛しています。

ドモーリにハマりたての頃、「子供ができたら良いものだけを食べさせよう」と息巻いていたのですが、今は逆です。できる限りさまざまな種類のものを体験してもらおう、と考えています。
この世界にあるさまざまな料理、食材。手に入れられる範囲で。
地元の野菜、遠い異国の果物やナッツ。
新鮮な魚や肉。熟成されたチーズ。
手作りのパン、職人の打った麺。
丁寧にとった出汁、老舗の蔵の醤油や酢。
香り豊かなハーブやスパイス。
高額な珍味。手頃なおやつ。
化学調味料も、人工甘味料も、香料も、着色料も。
五感をフル活用して、感じて欲しい。
同じ名前で呼ばれていても、色彩のグラデーションのように無限の世界が広がっています。
どんな食べ物でも提供され続けることにはそれなりの理由があるし、美味しいものにはきちんと筋の通った理論があります。それぞれに存在意義が異なることが分かれば、美味しいものを際立たせるために、わざわざ何かを「まずい」と貶める気持ちも無くなります。

毎日手の込んだ料理を作ることも大切かもしれませんが、1年に1度でも、子供が好きな食べ物の原料や、それらを生育し、加工し、届けてくれる人々の存在を伝えるだけで、彼らの世界は大きく広がります。
どんなにジャンクなお菓子やカップ麺だって良いのです。誰かがその商品を作ろうと思い立ち、試作開発し、原料や製造機器を調達し、工場や会社を立ち上げる。製品となったそれらが小売店に運ばれ、私達の手元に入る。その対価となったお金が、それに関わった人たちの生活を支える。その繋がりを実感することは、何も考えずに栄養バランスのとれたご馳走だけを食べ続けるよりも、ずっと心に響くし、自然に感謝の気持ちも育つのではないでしょうか。愛は無償だけれども、それに起因する行動には敬意と対価を払うという感覚が育てば、子供達は将来、もっと自分らしく、生きやすくなると思いませんか。

私は、親が異常に心配しなくとも、子供は自らを変える力を持っていると信じています。これは本物、あれは偽物などと、親の価値観でラベリングし記憶させるのではなく、何を美味しいと感じるのか、自分で見つけ考え抜く方法を一緒に模索したい。子供達が人生を自らの意思で切り拓く姿を見守っていけたらと思っています。

ちなみに、私が大好きなチョコレートも、原料であるカカオの種類や収穫年、チョコに加工する作り手が違えば、まるで別物の味がします。特にBean to barというジャンルはブランドの誇り、創業者の生き様がダイレクトに感じられる素晴らしい食べ物です。愛が詰まったものを食べた時の感動は底知れません。

味覚は、食べることを好きになれば、自ずと磨かれるはず。なので、気を抜いて、自分が率先して美味しいものを食べて、楽しく育児をしていくつもりです。子供達がどう育ったかは、20年後にでもまた書いてみます。

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