見出し画像

わたしとボカロ曲 - 『We are friends ,aren't We?』の話。

好きなものの話をすることは難しい。
VOCALOIDの話をしようとしても、気がついたらわたしの話になってしまう。
それくらいにわたしの芯でありわたしがわたしになった理由だということだろうと割り切って、いっそボカロを通したわたしの話を書くことにした。
故に、このnoteは本質的にただの自分語りであるということを承知の上で読んでほしい。

【初音ミク】We are friends,aren't We?【オリジナル曲】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17642557

『We are friends , aren't We?』の話をしよう。
宮沢もよよ氏の浮遊感溢れる音遣い。緊張感を絶やさない展開。それでいて落ち着くミクトロニカ。
いや、そんなものはどうでもいい。この曲が素敵であるということは大前提であり、聴けば分かることだ。聴けば分かることをわたしが書く必要はない。聴け!
……とはいえそうなると本当に書くことがなくなってしまうので、ここでは曲以外の魅力について語ろうと思う。わたしは絵描きであるので、わたしがわたしとしてまず語るべきはイラストだろう。
実はこの曲、動画に使われているイラスト以外に、あさぎり氏による設定イラストが公開されている。

かわいらしい、どこかアンニュイなセーラー服の少女の立ち絵。ただ、一際目立つのは動画に使われているイラストでは見ることのできない、長袖に隠された手首の傷だ。
そう、公式設定(と呼んでいいのだろうか。わたしはそう思うことにしている)で、この曲の語り部はリストカッター少女なのだ。

話が逸れるが、わたしはあさぎり氏のイラストをとてもとても愛している。
宮沢もよよ氏の曲を初めて聴こうと思ったときのその理由は、8割ほどがあさぎり氏のイラストであった。(当然今は宮沢もよよ氏の曲もとてもとても愛しているけれど!)

曲にとってイラストはあくまで添え物である。しかし、添え物が魅力的であればあるほど本体が惹き立つのは当然のことだろう。細やかな設定、いくらでも深読みできる構図のイラスト。
それを意識した上で聴く、この曲の歌詞。音の浮遊感。それこそが、この『We are friends aren't We?』の最大の魅力であるとわたしは思う。

――

さて、この記事のタイトルは わたしとボカロ曲 である。ということで、そろそろわたしの話をさせて欲しい。

『私達、友達だよね?』

曲名の意訳であり動画の投稿コメントにもなっているこの一文が、わたしが最初にこの曲に惹かれた理由だった。

イマジナリーフレンドという言葉がある。

『イマジナリーフレンド』(英: Imaginary friend)とは、「空想の友人」のことであり、心理学、精神医学における現象名の一つである。イマジナリーコンパニオンと呼ばれる事や、IFと略される事もある。――Wikipediaより引用

"友達"という言葉は非常にあやふやで、だからこそ尊く、だからこそ問いかけたくなる。私達、友達だよね?と。
故に、わたしは幼少期にイマジナリーフレンドを持っていた。単純明快、問いかけの必要がないからである。とはいえ、今となってはそんな"友達"も消えてしまった。

幼少期。過去の自分というのは特別なもので、それは間違いなくわたしであるのに間違いなく今のわたしとは違う。イマジナリーフレンドと同じだ。自分であるのに自分でない存在。

『We are friends , aren't We?』のイラストには2人の少女が描かれている。セーラー服の少女とそれから、ランドセルを背負った小さな少女。
過去の自分には、問いかけの必要がない。私達、友達だよね?などと確認する必要がない。だからこそタイトルで、投稿コメントで、何度も何度も問いかけておきながら、歌詞はこう締めくくられる。

Ah 君は友達 
次の世界へ もう行くよ

――

というところで、野暮な自己解釈をこれ以上書き連ねてしまう前に、このnoteを締めくくろうと思う。

次の投稿があれば、もっともっとわたしの話をするのも良いかもしれない。が、今日はここまでにしておく。肝心な曲の素敵さをほぼ全く書いていないので、この曲を聴いたことがない方はなにも考えずにまずは聴いてくれ。聴け!!

【初音ミク】We are friends,aren't We?【オリジナル曲】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17642557

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?