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今回の動画企画を終えて


2021年5月11日、動画を投稿した。

本動画は、「第五人格」というゲームのキャラ「納棺師」の

ファンアート、二次創作作品にあたる。


この動画を作るに至った経緯、その思いをここに書こう。

だるい人は「経緯」を飛ばして、「感想」だけ読んでくれていいです。


経緯

ことの始まりは、2019年10月。


私は「獄都事変」というフリーのホラーゲームの二次創作をしていた。

Twitterの知り合いに募集を募り「アンソロジー」を作ることにした。

イラスト、漫画、小説を寄稿してもらい、それを1冊の本にまとめる。

そのアンソロジー全体のデザイン、装丁を知り合いのデザイナーに依頼。


この時点でなかなかに楽しかった。いつかの文化祭のようでワクワクした。

こんなに良いものを作るならせっかくだと、「宣伝動画」を作ることにした。


動画編集ができる友人(以下「田中」)に相談した。

相談というより「自分の妄想をただ聞かせた」だけに近いだろうか。


この時の私はだいぶ勢い付いていたのだと思う。

宣伝動画で作品紹介をするにあたり「声」を付けようと言い出した。

(田中は「何を言っているんだこいつは」という顔だった、私にはわかるぞ。)

キャラに声優をつけて喋らせたい。いや喋らせよう。


専門学校時代の知り合いに相談したところ、声優や役者のつてがあると聞いた。

そのつてを駆使し、サンプルボイスを収集。

動画に合いそうな声優もとい役者を選び、

用意した台本を渡し、収録スタジオで音声を収録した。

……キャラの声を収録できてしまった。


キャラのイラストは私が担当、背景イラストをフォロワーに依頼、

BGMも友人の知り合いに作成を依頼し、

収録した声のデータも含め、田中に素材を渡した。

完成した宣伝動画がこちら↓↓



この動画、上司が部下に仕事を振る流れで終わっている。

実は、これは伏線だった。

アンソロジーはオンリーイベントで販売する。

自分のスペースにコスプレイヤーを呼び「売り子」をしてもらった。

この時のコスプレのキャラが、上司に仕事を振られた部下2名なのだった。


私が持ちうる限りのつてを全て使った。

アンソロジー企画の発案からはじまり、作品の募集、グッズデザイン、

イラスト素材の作成、装丁、声入れ、BGM作成、動画編集…

30名くらいの手を借りただろうか。


本当に楽しかった。

楽しくて、楽しくて、仕方なかった。


そして2020年8月、楽しかったのでまたやることにした。


といっても、元来飽き性なので。

アンソロジーやアニメ動画を作ろうとは思わなかった。


自分の妄想を吐き出すため、フォロワーを呼び出しひたすら妄想を話した。

ビックエコーでろくに歌いもせずに夢を語った。

「踊る推しキャラが見たい」

「キャラの物語をダンスで表現しよう」

企画が決まってからはもう怒涛だった。

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9月にスケジュールを作り、必要な人に声をかけ、

ダンスの振り付けをしてもらい、振り入れ後は練習を重ね、

その間に衣装を作ってもらい、スタジオを予約し、

4月に撮影、5月に田中に動画編集してもらい、

そして5月11日、動画が完成した。



感想

こうして端折ってしまえば、随分ときれいなものだが。

しかしその実、肝心の中身は__

__いや、具体的な内容は機会があればまた掘り下げよう。


私も大概、自己中心的な人間だ。

いろいろやってしまったこともあるし、

正直、負い目はある。


好きなことを、好きなようにするためには、

決して「いい人」ではいられない。


誰かに迷惑をかけるし、誰かを犠牲にする。

多かれ少なかれ、どこかに敵も作る。

心の広い同志には多大な世話になる。


その全てを避ける方法を、私はよく知っている。


一人で行動すればいい。一人で作ればいい。

誰にも声をかけず、誰の目にも入らない場所で、

一人で何もせず息をすれば、誰の迷惑にもならない。

他人のためを考えて行動し、倫理や道徳に従い、正しくあれば。

それはそれは「いい人」になれる。


けれど、ひとりでは意味がない。


二次創作をはじめて9年経った。

いまの私は、ひとりで何かを作ることができなくなった。

以前は興味本位や承認欲求がもとで、同人誌を作ることが何度かあったが、

それも回を重ねるごとに、腰が重くなっていった。

「これを作って私はなにがしたいんだ…」といった具合。


けれど前回のアンソロジーを境に、気づきが得られた。

他人を巻き込んで作ればいいのだ。

「作ればいい」というより……

誰かと一緒じゃないと、やる気が起きないだけ。


読者がいなければ、私は物語を描かない。

仲間がいなければ、私は作品を作らない。


それは決して「読者や仲間のため」ではないかもしれないけれど。


読者がいるから、私は物語を描こうと思える。

仲間がいるから、私は作品を作ろうと思える。

ただそれだけ。


これを読むあなたがいるから、私は記事を書こうと思える……ってね。


とか言いつつ。

最近は読者がいるのに漫画が描けなくなってきてる。さてどうしたもんか。

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