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第19回 法を学ぶこと 石川慎司

 「法を学ぶことは、正義と社会を考えることだ」
 この言葉を受け取り、水俣フォーラムのインターンを修了して13年。弁護士という職について丸10年になった。現在は地元の三重県四日市市に戻っている。水俣病事件の裁判に関わっているわけでも、人権活動に熱心に取り組んでいるわけでもないが、企業側の仕事ばかりをしているわけでもない。一般の市民の方の相談を受け一緒になって問題を解決する、普通の弁護士である。
 水俣病に関心を持ったのは2007年のことだった。大学の教養講座「M I N A M A T A」を受講して、本を読み、患者さんのお話を聞いた。水俣にも足を運んだ。水俣病の歴史は、「明治以降今日に至るまで、日本人の夢と挫折と、成功と失敗と、そして官僚や政治家、企業経営者と庶民の、浮きと沈みを刻みこんだ、激動のドラマ」(後藤孝典『沈黙と爆発』)であり、その世界に魅入られてしまった。
 日々の業務に追われて、自分を見失いそうになると、水俣病事件のことを考える。水俣展に行き、映画を見、原田正純先生の著作を読み返す。先日、証人尋問の参考にならないかと思い、事務所の近くにある「四日市公害と環境未来館」で『水俣病自主交渉川本裁判資料集』を借りた。川本裁判に影響され「公訴権濫用論」を卒業論文のテーマにしたが、当時は、国家権力の恐ろしさなどよくわかっていなかった。国家権力は市民に牙を剥く。いわれのない罪で勾留し、罪を認めるまで保釈も認めない。そんなことが令和の時代でも平然と行われている。
 水俣からは遠く離れてしまったが、水俣病事件から学んだことは多い。法律の向こう側には実際に生きた人間がいて、現実に困ったり苦しんだりしている。依頼者の言葉に日々驚かされ、自分の学のなさを反省するばかりである。
 「正義と社会を考える」ことの意味は13年前にはよくわからなかったが、実際に法律を使って仕事をするなかでその意味が少しわかるようになったのは、「水俣」の世界に出会ったからなのだと思う。

(いしかわ・しんじ 弁護士)

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