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心斎橋筋商店街がドラッグストア街に変貌した理由とこれまでの変遷の推移

全国的に見ても最も集客力のある商店街の一つとして有名な心斎橋筋商店街ですが、昨年くらいから、ファッションショップが撤退し、ドラッグストアの出店が目立ってきました。上の画像でもすでにコクミン、サンドラッグ、マツモトキヨシの3店舗が隣接していることがわかります。明らかにインバウンドの中国人需要に向けてのことだと考えられますが、それにしても家賃・土地代が高いといわれる大阪市内の一等地にドラッグストアがこれほど集積するのでしょうか?その理由と、心斎橋筋商店街の90年代後半からの変遷を見てみましょう。今回は極めてローカルな話題です。

今年初めに、心斎橋筋商店街では2つのファッションブランドのショップがドラッグストアに変わりました。

1つは、ユニクロの隣にあったZARAです。ZARAは心斎橋筋商店街の南方に以前からもう1店舗あり、これを指して「ドミナント戦略だー」と騒いでいる人がいましたが、そのドミナント戦略(笑)は脆くも崩れ去ったということになります。逆に言えば、ドラッグストア各社こそが「ドミナント戦略」を体現しているといえます。ZARA側は2つに分かれていた店舗を南方の店に集約すると説明していました。そしてユニクロ隣のZARAの跡地にはドラッグストアの「ココカラファイン」が今春オープンしました。

また、2014年に大型店としてオープンした「ジャーナルスタンダード心斎橋店」ですが、昨年夏ごろに謎の閉店を遂げました。通常、閉店は売れ行き不振が理由であることが多いのですが、販売員仲間に聞くと決して売上高は悪くなかったとのことですから、何らかのやむを得ない事情があったのだと推測されます。閉店後、ジャーナルスタンダードの運営会社であるベイクルーズのアウトレット品を販売するBCストックに店は変わりました。この時点ではブランドの屋号が変わっただけで借主は同じということです。そのBCストックも閉店し、今年春に「ドラッグストア ピュマージ」がオープンしました。聞きなれない屋号のドラッグですが、関西初出店とのことです。

つい先日、商品を試着するためにジーユー心斎橋筋商店街店に行ったのですが、通路を挟んだ対面の店がドラッグストアに変わっていました。たしかこんなところにドラッグストアはなかったはず・・・、と思いながら以前にあった店を思い返してみましたが思い出せません。恐らく、オープンはここ何か月かのことではないかと思います。

これらの状況が反映されていない、少し前の心斎橋筋商店街公式サイトの地図がありますが、見ていただければ、すでにどれほどドラッグストアが乱立しているかお判りになるでしょう。まだZARAはオープンしたままとなっています。

例えば、ユニクロの南隣はドトールコーヒーですが、その隣にはオーエスドラッグがあり、一軒離れてツルハドラッグがあります。その隣にダイコクドラッグがあり、2軒離れて、ここには書かれていませんが関西初出店のピュマージがあります。そして1軒離れてサンドラッグという有様です。これがずっと南の高島屋付近まで続いているのです。ここまでドラッグストアが集積した商店街が国内にあるでしょうか。心斎橋筋商店街は最早、ドラッグストア街といえます。

2010年前後は国内の商店街では異例のファッションショップの進出が相次ぎ、「勝ち組商店街」と呼ばれた心斎橋筋商店街ですが、ずっと勝ち組だったわけではありません。90年代後半から2000年代前半までは洋服不振による苦戦が続いていました。

最も苦戦の様相を帯びていたのは、2000年の旧・そごう心斎橋店(現建物:大丸北館)閉店の時ではないかと記憶しています。ちょうどその前後に心斎橋筋商店街の組合を取材したことがあったのですが、当時の組合長は、「ファッションショップがどんどん閉店してしまってシャッターが下りたままの店舗が増えています。今、借りたいという申し込みがあるのはゲームセンターとパチンコばかりです。しかし、町の風紀を守るためにはなるべくパチンコには貸さないようにしています」と語っておられました。

この2000年当時、どうして心斎橋筋商店街に出店者がいなくなったのでしょうか。それは、同じころ、大阪市内では西区の堀江地区が有望な出店先として注目を集めていたからです。90年代後半から2005年頃まで、大阪市内ではブランドショップの出店先として2つの地域が注目されていました。90年代後半は、心斎橋の少し北にあり、本町の南にある南船場4丁目が注目され、さまざまなブランドやセレクトショップが路面店を出店しました。そこから7年ほど遅れて、今度は西区の堀江地区が路面のブランドショップ街となりました。その嚆矢となったのは、南堀江の立花通りにAPCのショップが誘致されたことだと言われています。

今でこそ「オレンジストリート」と名前を変え、ブランドショップのストリートとなった立花通りですが、このころまでは家具屋と仏壇屋が並ぶ通りでした。しかし、家具屋といってもニトリやイケアのような人気店ではなく、昔ながらの小さくて古い家具屋と仏壇屋が並ぶ街だったのです。ここにAPCの路面店がオープンしたことからどんどんとブランドショップの路面店が並ぶようになります。事業自体が廃止になったアンドAや、今年日本撤退が決定したアメリカンラグシーの路面店もかつてはここに並んでいました。

そのあおりを食らって、反対に心斎橋筋商店街はさっぱり出店者が集まらず、出店希望者はパチンコ屋とゲームセンターばかりという事態に陥っていたのです。

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