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私とケータイと1つの嘘

 学生が携帯電話を所有するのが当たり前になりつつあった2002年の夏。私は親に1つの嘘をついた。

「クラスでケータイ持ってないの私だけだよ」

 もちろん、実際はそんな事はないと、後からわかるのだが、当時の私は本当にそのように感じていた。

 あの頃の携帯電話は、コミュニケーションツールというよりもまだ連絡手段の1つだった。電話代は高いし、パケット通信の定額制度もまだ無い。Eメールには文字数制限があるし、ましてインターネットなんてとんでもない。いつでもどこでも誰とでもすぐ繋がるにはまだ早い時代だった。

 さて、我が家の話である。親からすれば、電車通学の子や、車の送迎を必要とする子ならいざ知らず、徒歩10分以内の高校に通う私に携帯電話は全く必要無いと思ったことだろう。徒歩10分。電車通学の友人が汗水流して最寄り駅に向かう間に、自宅と学校を往復してもお釣りが来る。

 それでもみんなと違う不安、周りに置いていかれる不安に、私は勝てなかった。クラスのみんなは入学直後からアドレス交換をしているのに、私は未だにケータイ持ってない…そのまま夏休みを迎えることが、不安で不安で仕方がなかった。自転車で20分かかる別の高校に通う弟が「ケータイメンドイ」と言って3年間ずっと持ちたがらなかったのと対象的だった。

 そこまでゴネた記憶も無いが、両親は私の知らないところで会議をしたのだろう。ある日、私は父に連れられて地元の電機小売店を訪れた。夏用の制服を着ていたから、6月よりは後だと思う。カタログを見せられて、選んだのはカシオのA3012CA。カメラ付き、折りたたみ、最大40和音、当時の最新モデルだ。

詳細はこちら↓
「auケータイ図鑑 おもいでタイムライン」
https://time-space.kddi.com/ketaizukan/2002/11.html
(見てて涙が出そう)

 実を言うと、その時の記憶は曖昧で、店内が節電対策なのか薄暗かったな、とか、お店の人が出してくれたグラスの底にコースターがくっついてきた、とか、変なことしか覚えていない。一方で、契約申込書に必要事項を書いたとき、暗証番号を中3の時の組番号にしたことははっきり覚えている。

 契約を済ませてから納品まで、時間はさほどかからなかったと思う。もはや初めて手にした時のことは覚えていないが、唯一覚えているのはその起動音である。きらめきが流れるようなハーモニー、という陳腐な言葉しか思いつかなかったのだけれど、それまで徒歩10分以内の狭い世界で生きてきた高校生にとっては、未来と世界に繋がる、希望に充ちた音だった。

 そのケータイは、大学1年の途中で買い換えるまでの約4年間、私と苦楽を共にした。メールアドレスは、生まれ月と好きな色を組み合わせた単純なもの。恋のお悩み相談も、同じ趣味を持つ友人との馬鹿話も、今となっては子供のおままごとだが、ひとつひとつが当時の私の全力だった。


 あの頃、自分は何でもできると思っていた。世の中の何でも知った気になっていた。大人を気取って鼻につく事を平気で言う小生意気な子供だった。そのくせ、言われた事はできるけど、自分で考えて行動はできなかった。

 本当は自信が無いのに、プライドの高さが邪魔をして、何でもできると思いこんでいたのかもしれない。

 その無意識の自信の無さが、嘘をつく一因となったのだと、今は思う。今までの人生で一番苦い部分でもあるけれど、愛おしい部分でもある。未熟者なりに、必死に生きていたのだ。

 2019年の現在では、あのときの年齢の倍の歳になってしまった。この歳になって初めて見えてくることもあるし、これから解ってくることも多いだろう。今の私こそあの時の自分を愛してやらねばならないと感じる。


 ちなみに、あの嘘は、親にはすぐバレたと思う。何故って、同じクラスで私の他にもケータイを持っていなかった子の親と、私の親は友人同士だったからだ。PTAの会合や保護者会の参加率は良い学校だったろうから、会う機会は多かったはずだ。

 その子がケータイを持っていないと知ったときの私といったら、「(結果的に)親に嘘をついてしまった」とえらく後悔したものだが、今ではすっかり笑い話だ。純朴な良い子だったなぁと懐かしい限りである。

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2002年の夏、私は親に1つの嘘をついた。


自信が無いのに虚勢を張った未熟者の小さな嘘。


ずーっと自分を好きになれなかった私だけれど、


そんな自分を、今は赦せるようになってきた。


世界中にいる、自身を好きでない誰かが、


その自分を赦し愛せるようになりますように。


そう祈る、2019年の夏。

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