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【コラム25】自分らしく - キャラクター呪縛 -

「おひとりさま」という言葉が流行ったことがあった。
自分らしく生きることが難しいと感じる人が
多くなってきている現れだったのかもしれない。

ある人から「優しい人ですね」といわれると、
その人の前では

いつも優しい自分を出さなくては
と思ってしまいがちだ。
「クールで素敵」と言われたら、
つまらない冗談が思い浮かんでも
口には出しにくい。
明るい人と思われていると、
落ち込んだ姿を見せるわけにはいかないと思う。

「そんなつもりじゃないのに。」
「本当は違うのに。」
そう思いながらも
周りの期待に応えようとしている自分がいる。

本来、褒め言葉のはずの
「優しい」「クール」「明るい」等の
言葉の呪縛でがんじがらめになってしまい、
トラブルがあるわけでもないのに
ストレスを抱えてしまう。

そんな時、人はひとり旅をしたくなる。
旅先では自分のイメージがフラットだから
本当の自分が出しやすい。

本当の自分が出しやすいはずの旅でも
いつもの「優しい」「クール」「明るい」の
イメージの自分で過ごしている。
「そうか私はこれで良いんだ。」と、
安心して通常の生活に戻ることができる。

人によっては、はめをはずして
いつもの自分ではない部分を開放し、
「私はやっぱりこれじゃ普段の生活はできないな。
だからいつもの自分でいる方が生きていきやすい」
として、通常の生活に戻る。

結局は周りが思っている自分のイメージは
あながち間違っていないのである。

旅に出られない人は
「おひとりさま」で
期待に応えなくてもよい自分に出会う。
そして、リフレッシュして通常の生活に戻る。

期待に応えようと思っているということは、
他人への思いやりがあるということ。
素晴らしいことだ。

その期待に応えようとする姿勢が
自分の可能性を広げていく事にもつながっていく。
特に社会人としては必要なことだろう。

けれども、
いつでも期待に応えることが最善ではない。


ある人が言った
「あなたは優しいね」「あなたはクール」等の言葉。
言われた方はしっかり覚えていても、
言った方ははっきりと覚えているだろうか?

しかも「優しい面もある。
でも、そうじゃない部分もあるはずだよね。」
と、いちいち言わないけれど100%
いつでも優しい人と思っての発言ではないはず。

だから、他人から言われた、
その言葉に捕われすぎてはいけないのである。

クールな部分は60%ぐらいに思って発言していたら
冗談を言う余地は40%もあるではないか。
たとえそれが何%だったしても、
その指摘はその言葉を発した人、
そう感じている人の主観なのだ。

相手の主観にいちいち合わせても
自分を見失わないでいられるほど
心が出来ている人は…あまりいそうにない。
そんなことが出来ていたら
その人はそうとうな演技者だ。

言われてもいないのに、
「友達は私の事をこう(優しい/クール等)思っているだろう。」
と勝手に思って、
そのイメージに捕われてしまう場合もある。
それは、自分の主観だ。

自分の友人が無理をしてまで
期待に応えてくれることを望むだろうか?

そして、自分が友人を
「優しい」「クール」「明るい」
と思っているのに
そうでない部分を見せられたとして、
その友人と縁を切ったりするだろうか。
本当の友人ならば、
「そうか。そういう一面もあるんだ。」
で、済むのではないだろうか。

他人の期待に無理に応えようとせず、
他人に必要以上に期待しない
それが自分らしく生きる秘訣だろう。


(2015年2月10日著を若干加筆修正)

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