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夜会考・パブリックスペース研究と自由論。

夏が終わりつつある八月の末、まだ蒸し暑かったが乾いた風も同時に吹き始め、もう少し涼しい感じで過ごせたら尚良しというような気候にさしかかっており、夏のイベントがひと段落したが、大概何があっても大垣さんとの研究及び夜会は続いついていた。
つまり研究者としての飽くなき探求、研究者魂が我々をかき立て、翌日どんなに朝が早くとも研究が良い調子で進んでいたら寝る間を惜しんで夜会に費やしていた。

夜会、別の言い方をすれば「LINE通話で最近思っていることを飲みながら話す」というものであるが、私が大阪にいた時はお互いにパブリックスペースを探し求め、絶妙な場所を見つけては夜会をしていたが、私が東京に住み始めたためにLINE通話になったという次第である。

余談だが、パブリックスペース探しの多くは自転車で行っていた。
金銭的な理由から私は中々自転車を買えないでいたが、それをいつも大垣さんは「早く自転車を買った方がいいよ!単純に行動範囲が広がるし、自転車で行ける距離にお金をかけて移動するっていう概念が馬鹿らしいよ!お金って一種のエネルギーな訳だから!」とよくアドバイスしてくれたものである。
しかし、当時の自分は身の丈に合っていない家賃のアパートに暮らしており、カンフー教室と接骨院のアルバイトでは自転車を買う余裕は全く無かった。
しかし、お互いの職場である接骨院の院長が大垣さんは自転車に乗り、私はそれにボクサーのように走って付いて行きながら帰る後ろ姿を見かねてか、遂に「南ちゃん〜自転車を買ってあげるわ〜」と言ってくれたのであった。
この院長は割と日々何を言っているのかわからない女性であったが、その日ばかりは院長に感謝した。
「え!いいんですか?」と聞くと「全然!うちはそういう会社です!今週闇で800万稼いだから大丈夫なのよ。南ちゃんにもいつかグレードの違う稼ぎ方教えてあげるわ!」
とよくわからない答えたが返ってきた。
会社とは何なのか?闇でって何なのか? グレードの違うって何となのか?
院長はいつも何と戦っているのか、何の見栄なのか思いつきでいつも訳の分からない嘘をつき、ツッコミはじめたらキリが無いので、院長の対応は全て太極拳、合気道や古武術のように深く考えずに軽く流すことを私は先輩の大垣さんから予々学んでおり、今回は大垣さんも横で「大人しくここはもらっといた方がいい」と言わんばかりに黙ってゆっくり頷いていた。
なので、私はもう大して考えずに「わーありがとうございますやばいですね」と答えた。

一瞬で感情が激しく変わる院長なので内心ヒヤヒヤしながら答えたが、院長は少し間を置いてから「そうなの!私やばいのよ!」と割とまあまあの声量で嬉しそうに答えてくれたのだった。
院長に関しては沢山のエピソードがあり、壮大なドラマがあり、全て書くにはまだ整理ができていないので、それはそれでまた何かの機会にしっかりと発表したいと思っている。

兎に角、私は晴れて念願の折りたたみ自転車を手に入れたのであった。
自転車を手に入れた時は本当に嬉しかった。
接骨院の仕事が終わると大垣さんは大きめのママチャリ、私は折りたたみ自転車、それぞれの愛車にまたがりパブリックスペース探しに出発したのだった。
私は感動していた。
当たり前であるがスピードが全然違うのだ。
徒歩では考えられないスピードと移動距離で大阪の街をフルスピードで疾走していった。

「当たり前ですが全然違いますね!」

自転車を飛ばしながら並走している大垣さんに言った。
そして、大垣さんは自転車を漕ぎながら誇らしげに言ったのだった。






「南君!これが農耕民族から狩猟採集民族に生まれ変わった瞬間だよ!」





私はこの名言が発せられた瞬間を今でも覚えている。
パブリックスペース研究及び夜会では、その果てに「どうやら思っても見なかった言葉を聞く、または発することになる」ということを知った瞬間である。
私は感動のあまり電柱にぶつかりそうになった。

「なるほど! いつもの街でも感覚が全然違いますね!」
「そういうことだね! 農耕民族、狩猟採集民族、そして遊牧民、いつもと視界が少し高いだけでレイヤー変わってくるから、」
「自転車1つでまるで変わりますね!」
「だから言ったんだよ!早く自転車ゲットしないとって。自転車1つで500年ぐらい進化するわけだから!」

我々はいつもは接骨院と自宅のある北区界隈のパブリックスペースへ行くのだが、その日ばかりは急に広がった行動範囲に狂喜乱舞し旭区まで羽を伸ばした。

「ほら!馬があればもう一瞬で旭区なんだよ!」
「イキのいい新馬はめっちゃ快適ですわ!」
「あはははははは」
「ははははははは」

見る人が見れば、仕事帰りの30代二人が何を狂喜乱舞して自転車をすっ飛ばしているのだと思うかも知れない。
しかし、我々の研究は「常識と言って蓋をしていることには何かあるかも知れない」「人が見過ごしたものは自分も見過ごして良い訳ではない」そして「生きるとは何か?世界とは何なのか?」という様々な急遽のテーマに向き合ったものである。
そして、生活の中でちょっとしたレイヤー違いやチャンネル違いで豊かな壮大な奥行きを発見していくことも研究において大切な理念としている。
この研究の積み重ねは「知恵」として古来は価値を持っていたはずである。
貨幣とは知恵の代替え品であるのかも知れない。
2011年の大震災の時、私は震災のショックと共に自分の知恵の無さに愕然とした。
自分には知恵と呼べるものがほとんど無かった。
生き延びるということは、後生大事にしている常識でも、価値の最高峰であると信じられてる貨幣でもなく、「知恵」だと思った。
もちろん、お金を稼ぐことや使うことも知恵の一つである。
我々は知らずに知恵にお金を使っている。
お金で知恵を買っているのである。
しかし、全てお金で知恵を買わなければならないわけでないし、買わなくてもいい知恵もある。
知恵を見つめ直すことが、我々の研究である。

我々は北区と都島区の国境付近に良いパブリックスペースを見つけ(団地のゴミ捨て場)そこでセブンイレブンコーヒーを飲むことにした。
セブンイレブンコーヒーはパブリックスペースに革命をもたらした。
喫茶店よりうまいコーヒーが100円で飲めるのである。
自転車で2時間近く走り回り我々はやや疲れており、大垣さんも「時間も遅くなったし今日の夜会は短めにしようや」と言い、その日はわりと早めに夜会を切り上げ、それぞれの自宅へそれぞれの愛馬に跨り帰ったのであった。

司馬遼太郎先生のように余談が長くなってしまったが、我々は自転車の夕暮れから数年経った現在も研究に対する姿勢は変わらず、夜会での試行錯誤と発見、そしてまた試行錯誤というのを繰り返していた。


そして二週間ほど前、自転車の夕暮れの時のように我々は若干狂喜乱舞していた。
数日前の夜会で「お江戸倶楽部」そして「お江戸には『お』がついている」という大発見をしたからである。
詳しくは前回の記述を参照してほしいが、久々の新発見に我々は研究の讃えあっていた。
「いやー、この前は大発見でしたね」
「あれこそこそ録音しとくべきだったよね。」
「お江戸倶楽部早速やらなきゃいかんですね」
「そうだよ。早くやらないとサチモスとかお洒落な人達に先にやられるわけだから」
お江戸倶楽部とは東京に対応しきれていない、もしくは東京に対応したつもりで騙し騙し生活している人間にとっての救済になると思う。
田舎者は開き直らなければならない。無理して今まで見てきた世界とは違うルールで戦う必要はないし東京は競争率が高過ぎであり、その戦いに敗れたものは無残なものであり自殺するまで誰も助けてはくれないのである。
つまり、東京という都市が人口密度が馬鹿高い割に偏ったルールに対応出来ないものにはめちゃくちゃ生きにくい構造になっている。
これは、大阪とはまるで違う。
よって田舎者は「江戸へ留学に来てます」という東京にいながら東京を放棄する、そして肝心なのは東京を放棄しながら東京そのものを否定し対立するものではない。
東京の失われつつある本質、江戸に生きるということである。
つまり江戸原理生活である。
「いやー、しかし『お』問題にまでつながるとは思わなかったよ。南君とのラジオでも話したけど、結局同じことなんだよ。パブリックの問題は」
「今いる土地のとらえ方をぱっと見で判断したらそのままですからね」
パブリックとプライベート。
個人の自由とは何か。
共存とは何か。
パブリックスペースの問題は人間として生きる以上常に同時に存在している。
「雑誌の取材の時はおばさんがうんこを捨てたわけじゃない、金魚をプールに放つ女子高生の自由を尊重しても同時に迷惑な人って存在するからね」
「パブリックスペースでは他人の迷惑になっちゃいかん、という我々のルールがありますが、行政とかがわざわざ駅ビルに作ったパブリックスペースはルールだらけて絶対違いますからね」
「そうなんだよ。日本人はパブリックなスペースではガチガチにルール決めちゃうからね」
「自由にくつろげる×他人との間をとった絶妙なバランスって難しいんでしょうね」
「日本人は他人様に恥ずかしいことがあったらいかんっていう最大のルールあるからね」
「パブリックスペースを作り出せないんでしょうね…」
そして大垣さんは言った。
「実はパブリックスペースの研究をする前から個人的にずっとやっていた研究があるんだ」
「ほう!それは興味深いです」
「自由論についてなんだよ。自由論の課題についていろんな人がやたら本を書いてて、パブリックスペースの研究ももっと本質的な見方をすれば自由論に行き着くんだよね」
「なるほど!」


ジョン・スチュワート・ミルによって書かれた『自由論』、私は自由論に関する書籍を読んだことが無いので、これは自由論についてちゃんと研究しなければならないなとやや反省した。
「個人の自由を妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される。」という我々のパブリックスペース研究の基礎となる研究であり、パブリックスペースの研究は同時に自由論の研究でもある。

「いやー、自由論に関する本も膨大にあるからこれは時間がかかる研究なんだけど…パブリックの問題とかを研究してても結局みんな自由論に行き着いてるんだよね」
「なるほど。自由論の研究の一部にパブリックスペース研究があると」
「そうなんだよ。街の一部分で展開される自由論の実験でもあるよね」
「自由論の研究…僕もこれは取り掛からないといかんですね…」
まさに、パブリックとプライベート、個人の自由とは何か、共存とは何か、という我々の研究テーマそのものであった。
大垣さんはかなり前からそんな大仕事に一人で取り掛かっていたとは、ただただ頭が下がる思いである。
そして、私は突如喋りながら雷に打たれたような新発見をしたのであった。
まさに晴天の霹靂であった。
「大垣さん、今発見したんですが…」
気温は落ち着いたとは言え、日付は8月30日でありまだまだ蒸し暑い夏の後半である。
私は急に大量の汗をかきながら恐る恐る新発見を口にした。






「これこそが、自由研究だったんですね」





一瞬沈黙の後大垣さんは言った。
「やっばっ!!」
私も声を大にして言った。
「やっばっ!!」
我々は自由研究の発見に慌てふためき、そして狂喜乱舞していた。
「南君!これはやばいよ!終わったと思ったらずっと続いてたんだよ夏休みの自由研究が!」
「自由に研究するっていうことがそのまま続いてるんですよ!我々は!」
「いやー!そうだったのか!自由に研究してくださいは夏休みで終わってなかったんだ!」
「そして自由を研究してるんですよ!自由の研究を自由研究してるんですよ!」
「これは全部納得できるよ!誰でも当てはまるよ!」
「自由研究続いてることに誰も気づかずに生活してますからね!」
「気づいてよかったわ!ありがとう南君!」
「あなたの自由研究は何ですか?ってことですよね!」
「パチンコ依存症の人も『パチンコに人生捧げたらどうなるか』っていう自由研究してる訳だから、全部納得できるよ!」
「人生は全て自由研究であると自覚しなければならないですね」
前回大発見があったばかりでこんな大発見があるとは思ってもみなかった。
我々は想定外の大発見に恐怖すら覚えるほどであった。
大垣さんは大発見に興奮したまま言った。

「平成最後の夏の終わりに自由研究を発見するなんて、どんだけ我々はお洒落なんだよ!」

「いやー、これお洒落過ぎますよね」

「お洒落という表現が適切なのかもうわからんけど、これはお洒落としか言いようがないわ…」

「お洒落過ぎますよこれは。サチモスどころじゃないですね」

「どころじゃないよ。サチモスもカッコつけ続けたらどうなるかっていう自由研究してることに気づいてないんだから」

平成最後の夏の終わりに、我々は自由研究を発見した。
時は過ぎ行き時代は突き進むであろう。
新しい時代に見えた平成も過去に変わり、新時代は乱暴にやって来る。
しかし、我々は平成の最後に自由研究を発見したのだった。
私もあなたも、全ては自由研究なのである。

数時間のLINE通話であったが、想定外の大発見に再度お互いを讃え合い、その日の夜会は終了した。

数日後大垣さんがツイキャスを始めたようで、また新たな研究と実験に乗り出したことを知り、私も慌ててツイキャスを始めてみた。
大垣さんの研究や一人語りが気になる方がいればまた是非聴いてみてほしい。
私も試しにやってみたが、誰も聴いてない何も反応も無い宇宙の闇みたいなものに30分話し続けるのはまさに荒行であった。
そして、大垣さんのツイキャスファーストインパクトにより、こーだいさん、塚本有紀と次々と大垣さんとSNSでしか面識の無い人達もツイキャスの荒行に賛同の声を上げ参戦をし始めた。

私も荒行ツイキャスに時々挑戦しようと思っている次第。



大垣さんのツイキャス
https://twitcasting.tv/yuki2ts

私のツイキャス
https://twitcasting.tv/minami_kinoko/

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