人が学びになること

嫌なことがあった時の対処法として、
「学びとして捉える」という考え方がある。

仕事で上手くいかなかった
でも、この失敗が次に活かせる

テストで上手くいかなかった
でも、弱点がわかったからそこを克服すれば、次に高得点が取れるかもしれない

何か選択を間違えた
でも、またやり直せばいい

このように、何かうまくいかなくても、学びとして捉えて、何とかなると思えば辛くない。だから私は、何か嫌なことが起きても、あんまり落ち込まない。

だけど、ひとつだけ、未だに慣れない学びがある。

それは、「人が学びになること」だ。

人の嫌な面を見た時

傷つくことを言われた時

自分にとって良い出会いじゃなかった時

良い恋愛じゃなかった時

わかっている。学びにすればいいだけだ。

次の人との出会いに生かせばいいだけだ。

次の機会に生かせばいいだけだ。

わかっている、わかっているけど
なんか悲しい。
人が学びになるって悲しい。

人はそういう、負から学びにする対象ではなく、もっと、

その人のことが人として好きで、一緒にいると楽しくて、そんな、人と関わることで、プラスの感情が生まれるような、正から学びになるような存在が人だと思いたかった。

から、学びにするのはなんか、悲しくて未だに好きじゃなくて、慣れない。
でも、残念ながら一生で関わる人全てがそんな風に思える訳はない。

だから、そんな風にプラスの感情が生まれるような人が1人でもいたら、感謝しなきゃいけないし、大切にしなきゃいけないのだと思う

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