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深夜のつぶやき:人間椅子と格闘技とゲームが好きなひとたち

知らない世界を知りたくて聴いている音楽。最近になって興味を持ち始めた格闘技。
真逆のところにあると思っていた人間椅子とプロレスが、同じだった。

人間椅子とプロレスだいたい同じ。

どちらも、技術を磨くのは当たり前で、そのうえで自分の思想を見てもらうために、顔にペイントをする。

ひとりで修業して究極の存在になっても意味はない。
自分を表現して、客を集め、ホールを満員にするのがプロである。という世界。
レスラーは入場テーマにメタルを使ったりするし、もともと近いところにいたんだけど、全然違うと思っていたものが「自分を表現して人を喜ばせたものが偉い!」点で同じだった。


格闘技の本を読みはじめて、「今のトップはこの選手なのか!」と思ったら去年の雑誌だったりして、そういう新規ファンだからこその失敗も楽しい。

格闘技の世界は、歴史を調べたり、あの選手はこういう思想でこの技を使っている…と、うじゃうじゃ考えて文章にする、活字のプロレスって言うの? あの手のひとが面白い。

レスラーに影響されて自分も体鍛えちゃうタイプのファンと、語って文字にしていくタイプのファン、両方を受け入れる、いろんな切り口がある。

ゲームも、遊ぶ以外に「見るファン」と「語るファン」がいる。
eスポーツやプレイ動画を「見るファン」の盛り上がりがすごいけど、ゲームは「語る」ものでもあった。
ゲームの楽しさは、プレイ中だけでなく、自分のRPGがどこまで進んだかを学校で友達と話したりする、そういう時間にもあった。

ゲームの楽しい時間が、ゲームやってないときに始まるんだからフシギな話だ。
ゲーム語り、活字のゲーム、ゲーム批評、呼び方はなんでもいい。人が作ったものを、おもしろがって、作った人が次回作のための知名度や金を得て、感謝されて、こっちもまた語る。
サイクルをつくりたい。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。