見出し画像

しがないゲイ学生が、白石正輝区議に伝えたいこと

はじめに

 78歳であらせられる白石正輝区議に23歳の若造が意見するのも恐縮なのですが、この声が届けば良いなと思い、ここにしたためます。

 世の中を良くしたい・少子化を止めたいという真っ直ぐな思いをもって発言したのに、なぜかその発言が差別扱いされる。そんな事態に、驚きと戸惑い、あるいは怒りさえ感じていらっしゃるのではないかと思います。

 僕は白石区議の真っ直ぐな思いに敬意を表します。足立区をより良い区にしたい、多くの人が笑顔で生活して、それを後世にもつなげていきたい。そう考え、そして区議会議員というお仕事をなさるというのは、とても大変なことだろうと思います。社会人になったことのない僕にとって、白石区議のご苦労は想像しようもありません。

 だからこそ、その思いとは正反対のメッセージを発することになった件の発言は、悲劇的だと感じています。

LGBTと学校教育について

 白石区議は、「LGBTを差別する気はない」とおっしゃっていました。それはとても嬉しいことです。また、「それはその人の人生なんだから」というふうに非干渉を表明してくださっているのも、心強いです。

 ですが、白石区議は同時に「今の学校教育の中でのLGBTの取り上げ方だと、子どもなんて産まなくていい・結婚しなくてもいいと子どもが思ってしまうんじゃないか」と懸念されています。

 僕は今の学校教育を知りません。もしかすると、「異性を好きになることは駄目で、同性を好きになることが良いことです」と教えているのでしょうか? だとしたら、それはよろしくないと思います。違うとは思いますが。

 僕としては、すべての学年において「あなたは異性を好きになっても、同性を好きになってもいいんですよ」と教えるのが良いと思うのですが、白石区議はどう思われますか? もし本人の生き方に干渉しないのであれば、それが一番良いと思うのですが……(ちなみに僕は学校時代、「同性を好きになることは駄目で、異性を好きになることが良いことです」と教わりました。正直、僕の生き方に干渉していると感じました)。

 また、僕としては「子どもを生むことや結婚することは素晴らしいが、子どもを生んだり結婚したりする義務はないし、子どもを生まない・結婚しないことも別に悪いことではない」と思うのですが、白石区議はいかがでしょうか? 

少子化問題とLGBTについて

 少子化問題を解決したいという白石区議の熱意には敬意を表します。

 ですが、少子化問題のなかでレズビアン(L)やゲイ(G)の人を槍玉に挙げるのは、どうかやめていただきたく存じます。

 細かなデータの議論は省きますが、LGBTは多く見積もっても全人口の9%ほどで、しかも教育の如何でほぼ増減しません。そこから更に異性と結婚して子どもをもうける人の割合というのは、本当に微々たるものでしょう。ですので、まずは全人口の91%にあたる「LGBTではない皆さん」に注目されたほうが良いと思います。

 それに、もしLGBTの人も結婚できたり、子どもをもてる世の中になれば、LGBTの人たちも家庭をつくって子どもをもうけるのではないかと思います(そうしたいというLGBTの人も多くいます)。

少子化問題それ自体について

 少子化問題を解決するために人々は生きているのではなくて、幸せになるために生きていると思います。

 子どもを生んでも、家庭をもっても、結婚しても、本人たちが全く幸せではないのであれば、そこに意味はないと思います。

 僕は次のように考えています。

・人は幸せになるために生きている
・ 「幸せになるための方法」は1つだけではなく、たくさんある
・子どもを生んだり、家庭をもったり、結婚したりすることは、「幸せになるための方法」の1つであって、唯一絶対の方法ではない

 「幸せに生きたい」と人々が願い、行動した結果として、少子化問題が解決される。そんな仕組みを作っていくのが、政治家のみなさんのお仕事なのではないでしょうか。 

 23年間しか生きていませんが、少子化問題について僕はこのように考えています。

 白石区議はいかがでしょうか?

「LGBTの権利を法律で保護すべきではない」というご意見について

 白石区議は「レズビアン・ゲイを法律で保護する」のに反対されているということですが、「法律で保護する」という言葉の意味が僕にはあまりわかりませんでした。

 レズビアンやゲイの人が殺されても、法律で保護しない、ということでしょうか? 
 それとも、「レズビアンやゲイの人だけが使える特別な行政サービスのようなものは作らない」という意味でしょうか?
 あるいは、「LGBTの人たちを差別から守らない」とか、「同性カップルのパートナーシップを認める制度を作らない」ということでしょうか?

 白石区議の真意がわからないのでコメントするのも気が引けますが、ほとんどのレズビアン・ゲイの人は法律で”保護”してほしいとは考えていないと思います。どちらかというと、異性愛者の人たちがすでに持っている当たり前の権利がほしい、と考えているんじゃないかと思います。

僕の祖父母と白石区議の話

 個人的な話で恐縮ですが、僕の祖父母は白石区議とだいたい同じ年齢です。

 僕は祖父母にカミングアウトしていません。

 そして彼らが死ぬまで、カミングアウトすることはないと思います。

 彼らは理解してくれないだろうと諦めているからです。

 「別にカミングアウトする必要などないではないか」とお考えになるかもしれません。たしかに、それも一理あります。

 ですが、僕がカミングアウトしない限り、祖父母は、僕がいつか彼女を連れてくるだろう、とか、いつか素敵な女性と結婚するだろう、と思い続けることでしょう。僕は女性を好きになりません(なれません)ので、カミングアウトしない限り、恋愛やお付き合いの話になれば、祖父母と僕は、この世に存在しない「架空の僕」についておしゃべりすることになります。

 僕がカミングアウトしなければ、祖父母は死ぬまで「本当の僕」を知らず、「架空の僕」だけを知ったまま亡くなるでしょう。そういう幸せもありだとは思います。でも僕からすれば、それはとても虚しいことです。せっかくの家族なのに、せっかく顔を突き合わせて話しているのに、その実、心は全く別のものを見ていた、という事態は、とても虚しくないでしょうか?

 「じゃあ、同性を好きになるという生き方をやめればいいじゃないか」と思われるかもしれません。

 ですが、同性を好きになるというのは、たばこやお酒を愉しむこととは違います。白石区議は、今日から女性を好きになるのをやめて、男性を好きになる、ということはできますでしょうか。きっとできないことと存じます。それは僕も同じです。今日から男性を好きになるのをやめる、というのは無理なことなのです。

 「治療やトレーニングでやめればいいじゃないか」と思われるかもしれません。

 実際、アメリカの一部地域では〈矯正治療〉なるものが実施されていました。しかしそれらは結局、当事者が自殺したり、精神的に病んだり、性的指向が変わらないケースが続出しました。同性愛というのは、治療やトレーニングで変えられるようなものでもないのです(変えられるのだとしても、差別されて良いとは思いませんが)。

 ですからやはり、選択肢は2つに1つなのです。祖父母とは死ぬまで「架空の僕」で表面的に付き合うか、カミングアウトして「本当の僕」を知ってもらうか。

 僕は、78歳の祖父母はきっとわかってくれないだろう、考え方を変えてくれることはないだろう、と諦めています。そのため、祖父母には「架空の僕」だけを知ったまま往生してもらおうと思っています。もしかすると、白石区議のお孫さんもそう思われているかもしれません(お孫さんがいるのかは存じ上げませんが)。

 ですが、もし白石区議が「架空の孫」ではなく「本当の孫」と付き合いたい、話をしたい、と思われるのであれば、どうかそれが伝わるようにしてほしいと思います。

 長くなりましたが、一介のゲイ大学生から白石区議にお伝えしたいことは、以上です。お読みくださり、ありがとうございました。


ブログ運営費などに使います。ぜひサポートをよろしくお願いします!