「年末年末で騒ぐやつはバカだ」と思うやつがバカだった

 昔からぼくは「ませたガキ」であろうとしていた。「この人生はすでに2周目です」みたいなスタンスですべての人生訓を知ったかぶり、あらゆる出来事はじぶんの想定内だというふうに賢者ぶろうとしていた(残念だが、それは今でも抜けない悪癖だ)。

 ところが、「人生すでに2周目」顔をキメこんでいるのに、時々「あれ、もしかして周回遅れなのはぼくのほうだった……?」と気づくことが増えてくる。今回も、そんな話だ。

 さて、クソガキ(21)が今年の終わりになってやっと身にしみてわかったことがある。

 それは、『「年末年末と騒ぐやつはバカだ」と思うやつがバカだ』ということ。

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 2017年の今頃、ぼくはこう考えていた。

「1年という単位なぞ、所詮は人間=自分たちが作ったもの。それなのにどうしてぼくたちは、年末年始というものにバカ騒ぎするのだ? 火のないところに火をつけて騒ぐやつらと何が違う? 年始に抱負とか、年末に反省とか、くだらねー」

 けれど、逆なんだ。

 ぼくたちは、時間の塊を目の前にしている。時間の塊にはなんの切れ込みも入っていない。締切も、節目も、目印も。だからこそ、たとえば「年末年始」、たとえば「昭和と平成」、たとえば「クリスマスまでに」、という時期の目安を作っているのだ。

 パンの生地を作ったことのある人ならばわかると思うが、千切ったりしなければパンの生地はマジでただの重たいムニムニした塊だ。それを一口大にしてみたり、平べったくしたりして焼いて、初めてまともな食い物になる。

 たぶん、人生の時間とはパンの生地のようなものなのだ。

 だから人びとは年末年始を区切りに掃除をしたり、反省をしたり、抱負を言ったりするのだ。それはバカどころか、ひとつの知恵なのだ。


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