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「差別主義者」という言葉への抵抗感

 僕は、よほどのことがない限り「差別主義者」という言葉を使わない。いや、正確に言えば、「使わない」というか「使えない」。

 もちろん、「この人には使える/この人には使えない」というボーダーラインは人それぞれで、そこは色々あって当然だと思う。

 したがって、僕がここで書き留めるのは僕なりのボーダーラインというか、ボーダーラインをめぐる自分の中の葛藤を言語化したものにすぎない。「僕の考え方が絶対正しいので、みんなも採用してくれよな!」みたいなものではなくて、本当にあくまでモヤモヤの言語化にすぎない。

 今後、他の人の考えに接したりするうちに変わるものだとは思いつつ、現時点での僕の考えを書き記す。「差別主義者」という言葉に対するあなたの考えがあれば、ぜひ知りたい。

「差別主義者」は感情の発露?

 思えば、そもそも「差別主義者」という言葉は罵倒語に過ぎなくて、そこには倫理もへったくれもないのかもしれない。

 つまり、「馬鹿か!」とか「アホなんちゃうか」と同じような意味合いで使われていて、感情の発露を示す単語でしかないのかもしれない(そして感情の発露は、その時々で正当な行為だったりするだろう)。

 たとえば、「LGBTばかりになれば人類は滅んでしまうので、彼らは法的に保護する価値などない」とか「黒人は奴隷としての価値しかない」とか言った人がいたとしよう。

 そういうとき、僕たちは、そんな発言をした人に対して怒りを表明したり、罵ったりするために「お前は差別主義者だ!」と言うだろう。

 だとすれば、「僕がなぜ『差別主義者』という言葉を使わない/使えないか」というと、僕の怒りの沸点が高いために、他人に罵倒語を使おうとなかなか思えないからかもしれない。

「差別主義者」は状態の記述?

 でも、たとえば「ヒトラーは差別主義者か?」と訊かれたら「そうだ」と答えたくなる(ヒトラーが差別主義者であることはかなり説得力のある意見だと思う)。

 あるいは、「差別主義者は議員としては不適格だ」という文章においても、「差別主義者」は罵倒というよりもひとつの状態を記述している、と言ったほうがいいだろう。

 こういうときの「差別主義者」は、状態を記述するために使われていて、罵倒語としては機能していないだろう(ネガティブなニュアンスはあるが、そこに「怒り」のような感情は込められていない)。

 それなら、「差別主義者」の使われ方は、

・罵倒語である場合
・状態の記述である場合

の2パターンあるのかもしれない。

それでも残るモヤモヤ

 そうすると、問題は〈状態記述型の「差別主義者」〉だ。

 「ヒトラーは差別主義者である」と言うことには抵抗感がないのだけれど、僕は白石区議(「LとGが増えれば足立区が滅ぶ」の人)のことを差別主義者だと呼ぶのに抵抗感がある。

 もちろん、もたらした危害の大小はひとつの理由だろうと思う。ヒトラーと比較してしまえば、白石区議が発生させた危害は途方もなく小さい。もちろん、どれくらいの害なら僕が差別主義者と呼べるのかは曖昧だが……。

「差別主義者」のニュアンスが強くて怖い

 「差別主義者」という言葉にモヤモヤしてしまう理由は他にもある。それはたぶん、次のようなニュアンスが「差別主義者」という言葉にあるからだ。

- 差別主義者の議論には一片の正しさもないので、聞く必要もない(≒ 我々は絶対に正しい)

- 差別主義者というのは、他にどんな点で人格的に優れていたとしても、それらを覆すくらいに悪質である

- 差別主義者であるというのは選択である/差別主義者というのは矯正不可能である

 僕は臆病だ。

 だから、上のような強いニュアンスをもつ「差別主義者」という言葉をなかなか使えない。

「差別主義者」=劣った人間?

 僕は、「対等な、血の通った人間」扱いされたい。だからこそ、他の人間もできるだけそのように扱いたい。

 ところが、一度「差別主義者」と名指した瞬間、"相手は僕とは違うタイプの人間”だ、”僕よりも一段劣った人間"だ、ということになってしまう気がする

 僕はそれに戸惑う。なんだか、相手を対等な人間として扱っていない感じに戸惑う。

「でも、相手はあなたを対等に扱ってないぞ」

 「いや、そもそも、相手があなたを/誰かを対等に扱っていないのだから、あなたが相手を尊重したところで一方的にやられるだけじゃん」ときっと指摘されるだろう。

 その指摘は一理ある。いや、三千理くらいある。

 そんなお人好し思考じゃ単純に舐められるし、先に相手が差別していた(=対等ではない・血の通っていない人間扱いしてきた)のだから、それをきちんと指摘するのは問題ないだろう。あるいはやり返してもいいじゃん、という考え方もあるかもしれない(特に相手が僕を差別してきたのなら、尚更ムカつくし)。

 ただ、それでもやっぱり、「差別主義者だ」という言葉のもつ威力はかなりデカい……。デカくない?

倫理の不公平な要請と、to be continued?

 倫理を気にするべきなのは、マイノリティ側だけではなくマジョリティ側も同じである、ということは断っておきたい。

 ウダウダ倫理(?)的なことについて考えている間にも、自殺しようか考えている当事者がいるかもしれないし、差別は厳然と存在しつづける。

 足を踏まれているのなら、怒って声を上げるのは当然だ。

 ただ、難しいのは、「怒って声を上げたつもりが、実は足を踏み返していた」というパターンなのかなと思う。それっていいのかな、と悩んだりしてしまう。

 でもそれは、僕が自分に甘くて、他人に甘いからなのかもしれない(そしてそれは、"本当の優しさ"ではないのかもしれない)。

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