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第十話 正子ちゃん


「お先に失礼します。」

パート先の更衣室を出ながら、鞄の中のスマホを取り出す。
やはりランプが点いている。
誰からのメッセージかはわかる。

『ちょっと聞いてよー! さっき買い物に行ったら、赤信号を渡ろうとしていたおじいさんがいてさぁ、「赤ですよ」って注意したら「車が来てないからいいだろっ!!」って逆ギレされたんだよ!!
「赤信号で渡るのは交通違反です」って言い返したら「うるさいばばあだなっ!!」って怒られたのよ。
「あんたより若いわ」って言い返してやったけど、腹立つわぁ。
赤信号は止まれって幼稚園児でも知ってるよね !?
私は親切で注意してあげたのに、何で怒鳴られなきゃいけないのよね。
ホント、ムカつく。
私、間違ってないよね !?』

毎日、いや、日に何通も似たような内容のメッセージが送られてくる。
送ってくるのは正子ちゃん。

「正しい子と書いて せいこ。」といつも自己紹介する正しい正子ちゃん。

彼女とはすでに五十年の付き合いである。
幼稚園で出会って同じ小・中・高と付き合い続け、大学、就職と別の道を歩んだので、やっと付き合いは切れたかと思ったが、マメに電話や手紙が来た。
何年も近所に住んでいるので、バッタリと会うことも年に一、二度あったが、十年前に私のパート先の本屋へ彼女が偶然客としてやってきて以来、毎日、電話やメール、時にはパートの終わる時間にやってきてと頻繁に交流することになった。

五十年前、幼稚園で初めて会った時「正しい子のせいこです。」と自己紹介する彼女を、自分の名前すらモジモジして言えない私は「賢いなぁ」と感心したものである。
その時から常に正しい子である。

幼稚園で、トイレに行きたいと言い出せずおもらしをしてしまった時

「先生、まゆみちゃんがおもらししています。」

と大きな声で報告してくれた。
おかげで、しばらくは、からかわれたりして恥ずかしい思いをした。
おもらしをしたのは「先生、さようなら。皆さん、さようなら。」と言っている時だった。
さようならと言い終わると皆、お迎えに来ているお母さんの元へ一目散に飛んで行く。
だから、誰にもバレなかったはずなのに。

小学校の時も、先生が宿題のプリントを集めることを忘れていて、宿題をしてこなかったり、プリントを持ってくるのを忘れた子たちは「先生、思い出さないで」と願っていたのに正子ちゃんは

「先生、宿題のプリントを集めるのを忘れていませんか」

と言ってしまった。

当然、中学生になっても正しい子の正子ちゃんは、寄り道をしているクラスメートに注意をしたり、スカート丈を指摘したり風紀の先生のようだった。
さすがに、何でもかんでも先生に言いはしなかったが、「まゆみちゃん、まゆみちゃん」と親しく言ってくれるので、私は同級生たちと親しくなるチャンスがなかった。
私の耳に入れると正子ちゃんに伝わり注意されたり、もしかしたら先生に言いつけられるかもという不安から誰も私に中学生らしい秘密の話しをしてくれなかった。
例えば、夏休みにパーマをかけたとか、野球部の何々君が好きとか。
駅前のドーナツ屋さんに寄り道する時も誘ってもらえなかった。

高校でも正しい子の正子ちゃんはチェックマンだった。
そして、私によく手紙をくれた。
いつ入れたのかわからないが、机の中や出しっ放しにしておいた筆箱の中に正子ちゃんからの手紙が入っていた。

『昨日、商店街の美容院の前を通ったら、ちょうど出てきた人たちとぶつかりそうになったんだけど、その人たちって誰だったと思う?
D組の派手派手グループの岩本さんと岡野さんと井田さんだったのよ。
私が「パーマでしょ?」って言ったら「セットしてもらっただけ」って最初は言ってたの。
でも、匂いとかするし追求したらパーマだって認めたのよね。
それで私が「校則違反でしょ」って注意したら、「風紀委員でも先生でもないのに偉そうに言うな」って怒り出して、いちいち人のパーマのこと言うのはおかしいって言って行っちゃったの。
私は正しいよね。
私、間違ってないよね !?』

間違ってませんとも。
幼稚園の時からずっと、あなたは正しいです。

高校卒業後、再会するまでの二十数年間も大学の人たちや教授の言動、就職先のルーズな人々、ふがいない上司等々について、似たようなパターンの手紙や電話は月に二、三度あった。

そして再開して、私は正子ちゃんが年齢と共にパワーアップしていることに気付いた。

そりゃそうだ。
校則、社則違反は専業主婦の正子ちゃんには圏外。
いよいよ法律違反を指摘していたのだ。
おばさんになると恐いものは無くなるのか、体格のいい方々にも堂々と指摘する姿は、もう、賢い、偉い、と関心するよりは、逆恨みされて殴られでもするのではないかと、ハラハラドキドキしてしまう。

商店街を歩けば

「ちょっと、商品はみ出してますよ。ここは歩道であなたの店ではありません」

まあまあとなだめる私に

「私、間違ってないよね !?」

一方通行を逆走する車の前に立ちはだかり、「どけっ!!」と怒鳴られると「警察呼びますよ」と言って、本当に呼んじゃう。

「お前のせいで減点されるし罰金も払わなアカンし、覚えとけよ!」と悪態をつきながらドライバーは去って行った。

「私、間違ってないよね !?」

はい、正しいです。
正子ちゃん、あなたは正しいです。
でもなぁと私は思いますが、あなたは正しいです。

ある日、青信号の横断歩道を渡ろうとした時、左側からバリバリバリと物凄い音がしてバイクが暴走してくるのが見えた。

「危ない!」

とっさに立ち止まった私に正子ちゃんは

「信号は青よ! むこうが止まるべき !!」

と言い、横断歩道を進んで行く。
ドーンともバーンとも言い難い鈍い音がして正子ちゃんは宙を舞った。

「私、間違ってないよね !?」

と、叫びながら。

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