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本当の「モテる」とは?

割引あり

人間にモテる。人として魅力的になる


この道こそが最強の人生攻略法
と信じて疑わない港区王子です。

この記事では「人として魅力的になる」という本当の意味での「モテ」について、その全体像を明らかにする。この記事はいわば「モテ」という概念の世界地図である。

地図を知れば目指すべき方向性がわかるようになる。もし今あなたが純粋な気持ちで「とにかくモテたい」「自分の理想とする美女を落とせるようなイケてる男になりたい」「今より人間レベルを上げたい」と感じているようなら今回の情報は劇薬級に効くだろう。

しかし、もし今あなたが自分の現在位置も知らないほど無知で、利己的な欲望に塗れ遠回りばかりしていたかつての私と同じような状態であれば、今回の記事は偉そうな話ばかりで面白くないと感じるか、自分の現状への苛立ちやフラストレーションを感じるかもしれない。ただ、どちらにせよ良い方向に向かうので安心してほしい。真のコーチングとは人を不安にさせるものなのだ。

先に、はじめて私の発信を目にする方に向けて私の実績を紹介する。

・ナンパ・クラブ・キャバラウンジ・飲み会・集客販売などすべての人間関係で再現性高く有効なコミュニケーション技術について指導して現在4年目

・地上波デビュー女優に告白される

・狂気的ルッキズム時代に「新規の女性は前に抱いた子より可愛い子しか狙わない」縛りプレイで一年で50人以上をヤリ捨てる

・港区の高ランク夜職美女のセフレが常に4人以上はいる状態になる

・顔/性格/セックスの全てが理想の彼女と2年間本気で付き合う

・最終的に女性のルックスや性的価値に対する執着と欲望が霧散

・それでもこの前の日曜に指名無しで20分だけ話したレ◯◯◯ド(西麻布の某会員制ラウンジ)の子と美術館デートに行ってしまう矛盾

・出会う経営者の方々から「こんなに人として魅力的な人間にあったの初めて」と言われる

・長期講習の受講生は開始2ヶ月で歌舞伎町のNo.1キャバ嬢をお持ち帰り

・パーソナトレーナーをしていた受講生は卒業して1年後に年収が3倍に

・極度の人見知りだった受講生は対人恐怖とパニック障害を克服

・不動産営業をしていた受講生は勤続2年目で社内トップの成績を樹立

・とある受講生は恋愛系のコンサルタントとして独立 e.t.c…

「本当かよ?」と疑わしく感じる方もいるかもしれないが、実際に話したらすぐわかるだろう。これらは私の過去のごく一部だが、自己アピールが過大なヤツほどフェイクであることが多いこの世の中ゆえ、上記はすべて事実ベースで実際に起こったことを書かせてもらった。


どうやったら人として魅力的になれるか?

これまでもう4年以上という長きに渡り、男性向けのモテ講習を実施してきた私は「人を魅力的にする」というテーマに真正面から取り組んできた。

「人を魅力的にする」と一言に言ってもこれは全く簡単なことではない。恋愛/モテという領域において、しばしばこのテーマは「沢山セックスができる」だの「彼女ができる」だの「美女を抱く」だの他のテーマとすり換えられて、まるで簡単なことのように語られている。

『経験人数を増やせばモテるようになる』
『美女を抱けばイケてる男になれる』
『根拠のない自信があればモテる』

このような馬鹿らしい言説が大真面目に語られているのが市場の現状だ。しかし、これこそが「なぜ多くの人が恋愛やモテにおいてなかなか成果が出ないのか」という問題の原因なのである。

以前、私は上記のような世界観にどっぷり浸かっており、少なからぬ人を巻き込んできた。それに対する罪悪感と責任感があった。だからこそ、いま私が真実を語ろうと思いこの記事を作成した。

この領域に携わる発信者や指導者の方に目を覚ましててほしい」「より多くの人が本質的な方向性に向かってほしい」という思いから、この記事は無料で最後まで読めるようになっている。

残酷な真実

最初に残酷な現実をお伝えしておく。世の中には「モテ」というものに縁がない人が一定数いる。

これまで数百名以上の人に指導し色々な人を見てきたが「モテ」に縁遠い人にはある共通した特徴があった。

実感として、人口の50%程度であろうか。先天的な素養なのか後天的な習慣なのかは定かではないが、世の中には「モテ」とまったく縁が無いタイプの人がおり、この特徴を持つ人はこの先の内容を読んだところで意味がない。※ もしあなたがその特徴に当てはまってしまうようなら、タイパを上げるためにも黙ってこのページから立ち去ることをオススメする。

では、その
モテに縁がない人の特徴とはなにか。


それは、

『実践を通じてリアルな
「感覚」を磨くことに興味がない』

という特徴である。

「わかる」と「できる」は違う。実践に勝るものはないということは言うまでもないことだろうがモテにおいては「感覚」を知るということが何よりも重要だ。モテだけでなく芸事や技術にも共通する話だが、実際に自分が動く・話す・書く等のアウトプットをすることを通じて、リアルな「感覚」をインプットしていくということに興味が持てない人は、どれだけ質の高い理論を知ったとしてもモテるようになることはない。

この事実を裏返しにして言うと、

『実践を通じて自らの「感覚」を高めていくことに興味がある』

というこの一点こそが、モテにおいて高いポテンシャルを持つ人に共通する特徴となる。

今どれだけ実力や知識がなくても関係ない。実際に自分でやってみようという心意気さえあれば、どんな人でもモテるように変わることは可能であると私は断言する。

情報が加速度的に氾濫する今、正しい知識を手にいれることは益々難しくなっている。恋愛やモテの「答え」を求めて情報の海を彷徨っている人々には、自分の「感覚」を信じて道を拓けるようになるためにも、最後まで喰らいついてこの記事を読んでみてほしい。


セックスできる ≠ モテる

1.
「セックスできること」と「モテること」は違う


この領域における有象無象のコンテンツの弊害で「セックスできる」=「モテる」という勘違いを多くの恋愛初心者が抱えてしまっている。現場のリアルな情報を知らない人なら仕方ないが、「オレは強者だ!」と自負する講師や発信者までこの誤解をもったまま被害者を量産している現状である。

「セックスできる」=「モテる」という認識が誤りであるのは、よくよく考えてみればすぐにわかることだ。

セックスできるからモテるのではない。
モテるからセックスもできるのである。

セックスなんて男女のコミュニケーションの一つに過ぎない。これは本当にイケてる男からすれば当たり前の認識だろう。しかし他人の言葉に流されやすい人ほどまるで恋愛のゴールがセックスにあるかのように錯覚してしまう。美女を抱くだの、経験人数だのはあくまで些末な指標でしかないというのを忘れてしまっている。

この勘違いの原因はSNSやメディアの影響も大きいが、もっと根深い部分を見るならば古くはGHQの日本占領下における3S政策に端を発している。3S政策とは、 Screen (スクリーン=映像鑑賞)、Sport (スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex (セックス=性欲)を振興することにより国民の関心を本質へ向かわせないようにする愚民化施策のことだ。事実としてプロ野球が発足したのも戦後の1946年からだし、ハリウッド映画はいつも悪戯に美女とのロマンスを神秘的なもののように描いてきた。

しかし現実の恋愛はそんな浮き足だった幻想的な話では決してない。恋愛は人間同士の生々しいリアルであり、苦しみと悦びに満ちた文化だ。だからこそ人に人間的成長をもたらす。

また「セックスできる」=「モテる」という愚かな勘違いが生まれる原因はもう一つある。それは「女性はセックスした相手を好きになりやすい」という傾向が存在するからだ。

これは社会心理学における認知的不協和の原理で説明できる。人は自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた時にそれを解決するために新しい認知を作り出す。

一般的に女性は「自分との性行為には大きな価値がある」と思っている。なので、女性は自身の“性”という大きな価値をそこらの男性に提供すると「しちゃったってことはこの人は私にとって価値がある人なのかも?」と新しい認識を持つようになる。結果として、「女性はセックスした相手を好きになりやすい」傾向が生まれる。

確かに、この傾向を知ることは非モテ男性にとって強力な処方箋になる。経験人数が少ない男性は、女性側からの洗脳を間に受けてセックスを過度に重要なステップだと捉え、女性をセックスに誘うことに慎重になりすぎるからだ。この文脈で言うと、マンさんを落としたければとりあえずおまんちょ参拝しろ!という考え方は真理ではある。

セックスさえすれば自分のことを好きになる可能性が高いのだから、どれだけ美人で理想的な女性が相手であったとしてもセックスという強力な手段は大胆に活用するべきだ。

※ ちなみに我々は愛を込めて一般的な未婚女性を「マンさん」と呼称し、恩を感じる心から彼女達との性行為を「おまんちょ参拝」と言っている。


しかし手段を目的化すると罠に陥る。あなたが真に魅力的な男になりたければ、自己向上の目的をマンさんとのセックスにしてはいけない。

それを目的にした瞬間、あなたはマンさんのヴァギナに価値を感じている下心満載の非モテ男性と同じレベルに陥ってしまう。仮に意中の女性がいたとしてその子とおまんちょ参拝したくてしたくて堪らなかったとしても、参拝を目的にしてしまってはその子との理想の未来への道は拓けない。(実際ヤリたいと思った時ほどヤレないあの不可思議な現象は誰もが活動初期によく体験するはずだ)

デビューしたてで浮ついているダサ坊やナンパ師くずれのイキッた元インキャが、女性との関係を“長期化”する、“関係構築”するなどの言葉を用いたりするが、これにはおそらく読者のあなたも違和感を感じていたのではないかと思う。これも手段の目的化が前提となってしまっているいい例である。彼らにとっては耳が痛い話かもしれないが、このような言葉を使う輩はセックスに価値を感じて『あわよくばヴァギナを掠め取りたい』というハイエナ根性を前提として日常を生きているから、人との真っ当な心の繋がりができないのである。

本当の恋愛を知るものからすれば「パートナーと長期的な関係を構築する」ことなんてそもそも当たり前のことだ。セックスをモノとして消費する物質的価値観に捉われているから人が離れていくのだ。そしてまた寂しくなり、寂しさを埋めるために疑似恋愛のゲームを繰り返す。人間的魅力や精神的な豊かさとは縁遠い生活が続く。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことである。

セックスできるからモテるのではなく、モテるからセックスもできるのである。超絶美女とヤリまくっているから人間として魅力的になれるわけではない。人間として魅力的であるから超絶美女ともセックスできるのである。これがモテにおいて著しい成果を出すための健全かつ効果的なマインドセットだ。

あくまでセックスは女性を落とすための手段で、恋愛における一つの通過点にすぎないということを理解すると良い。セックスはゴールではない。セックスしてから本当の恋愛がスタートするのである。おまんちょ参拝から愛が始まるのだ。それがわからない男はどれだけ恋をしたとしても愛を知らないただのメンヘラだ。


「言外」に意味がある

2.
言葉の裏にある“サイン”を感じ取る


言葉には表と裏がある。

言葉の裏には他の本音や欲求、意図、背景、エネルギーがある。これらの“サイン”を肌感覚で受け取り、どれだけ仮説的に解釈しイメージできるか。これこそが男女問わず人間にモテる上で最重要の能力の一つとなる。単なる傾聴や共感を超えたインプット能力、これを我々は「受け取り力」と言っている。

例えば「あれ今日飲まないの?」という言葉を聞いて何を感じるか。

この前、受講生が相席ラウンジに行った時の音声を本人と一緒に振り返った。

その彼は友人と二人で相席に行き、20代のマンさん二人組の席に案内されてすぐのシチュエーションだった。挨拶もそこそこに受講生の隣に座るAちゃんが、向かい側に座るBちゃんから「あれ今日飲まないの?」と聞かれていた。

「あれ今日飲まないの?」という言葉をそのまま受け取れば、ただBちゃんの「Aちゃんが飲むかどうか」の質問だ。もちろん何の気なしにそう聞いただけの可能性は大いにある。しかし受け取り力が高ければ「これは何かしらのサインなのではないか?」と感じ取ることもできる。

例えば、
「カルピス飲んでるのは違くない?」という酒強要ムーブなのか?

「私たちもそろそろ飲む?どうする?」というシンプルな意志の確認なのか?

「私は隣の男ナシだけど、そっちはどう?」もしくは、「私は隣の男アリだけど、そっちはナシ?」という男のアリ/ナシの確認か?

「酒を注文するフリして席替え希望してほしい」というチェンジ希望なのか?

なんとなくでもいい、理屈ではなく感覚的にこれらの仮説が見えるかどうか。コミュニケーションはこういった言葉の裏を読む作業、言外を察する作業の連続だ。正解なんてその瞬間にはわからない。その後の相手の言動を見ながら答え合わせをしていく。

上記の例に限らず、私はこれくらいは常に瞬間的に仮説を脳内に準備してしまう。「あれこれネガティブに気を遣いすぎてるだけだろ?」と思われるかもしれないが、まさに気を遣える人(=エネルギーを感じとり上手く運用できる人)ほど、いちいちネガティブに考えてあらゆる可能性に準備するものだ。だから相手のいかなるアウトプットに対しても動じずに切り返せるようになっていくのである。

極論、コミュニケーションが上手い人はそれだけ様々なパターンの失敗をして、内省的に日々を振り返りながら生きてきたからコミュニケーションが上手いのである。

実践では、自分がこれまで自分で感じたことや解釈したことのストックを信じ、無意識に任せて会話を続けていく必要がある。リアルタイムで理屈であれこれ考えていてもよっぽど頭が良くなければフリーズしてしまう。だから日頃から習慣的にあらゆるコミュニケーションを仮説で振り返って準備しておき、無意識に行動できる「感覚」レベルに落とし込むのである。


「モテ」とは何か?


一つの言語化だけを選べと言われたら、

私は「モテとはセンスである」と断言する。

senseという英単語の邦訳は「感覚」だ。モテは理屈ではない。マンさんが好む感覚を表現できることが女性にモテるということだし、客が好む感覚を理解してアウトプットできることがビジネス、つまり“価値を提供するということ”の本質である。

「感覚」がなぜそこまで重要なのか?についてはこの先の内容でも触れていくが、人間というものはどこまでいっても他者の考えていることを理解することなどできない。

理解できた気がしても、それは「自分ならどう考えるか?」を相手に当て嵌めて考え推測しているに過ぎない。会話はポーカー(テキサスホールデム)と同じく、不完全情報ゲームだ。だからこそ、この推測を高精度にするためのセンサーである「感覚」はどこまで高めてもいい、天井知らずに人間を魅力的にする最強スキルだ。


言語や情報、言葉の裏にある感覚をどれだけ受け取れるかどうか。これは恋愛に限らず、コミュニケーション全般やビジネスにおいて成果を上げるためにも必ず必要になってくる。

例えばそれがビジネスであれば、消費者は今どのような感覚で、これからの時代はどこにお金が流れそうなのか?を推測することは何より重要になってくる。俗に弱者と言われてしまう人はことごとくこの感覚に対する意識が弱い。

ほとんどの場合、それは身を置く環境のせいだ。他者が作り出した「正解」がある世界で、思考停止で自らの感覚を麻痺させながら感情を殺し、昨日と同じ今日を繰り返す環境にいると人間は皆そうなってしまうものだ。しかし、元弱者男性の代表として断言する。この「感覚」とは、後天的に高められるものである。

何故なら、それは誰でも元々は出来ていたことだからだ。自分が小さな子供の時を思い出してみてほしい。歳をとった今よりも色々なことを直感的に感じていただろう。サッポロポテトバーベQあじを初めて食べた時ですら「これ美味しい!」と感激していたはずだ。五感をフル活用して物事を受け取り、エネルギーを自由に迸らせて感情表現をしていたはずだ。

そして、ありのままで反応をする子供と話していて嫌な気持ちになる大人がいないように、ナチュラルな在り方は本能的に人を惹きつけるものだ。

頭でっかちで、24歳まで童貞のオタク野郎であった私が変わることができたのだ。何をやっても途中で投げ出してしまうような自分が師との出会いのおかげでイケてる男の感覚になることができた。女性へのコンプレックスは霧散し港区で桁違いの超絶美女と道ですれ違ったとしても何も思わなくなった。執着が消えてどんな美女相手にも価値を感じていないからこそ、マンさんにはまあモテてモテて仕方がない。結果、今は刺激や快楽にも流されずに、本当に成し遂げたいことに向けて集中できるようになった。どんな男でもモテるように変わる・人として魅力的になることは可能だ。

  

3.
あなたはなぜモテたいと思うのか?

あなたはなぜモテたいと思うのか?

「イケてるよね」と周囲から認められたいから?
インスタで見るおっぱい美女とヤりたいから?
ぴちぴちの若マンと青春を謳歌したいから?
 自分のコミュ力に自信を持ちたいから?

どれも男として正しい動機だと思う。「モテたいと思うことなんて男の本能でしょ?」と思う気持ちもよく理解できる。男性は女性より集注欲求(=他人からの関心を引き寄せようとする欲求) が強いと言われるが、ただマンさんからモテるという事以上に、他人から注目されて承認される快感は凄まじいものだ。

偉そうにこの記事を書いている筆者も、その“港区王子”の肩書きよろしくモテているときの感覚が大好きな愚かな遊び人であった。自分の何気ない発言がその場の全員の爆笑をさらったとき。クラブVIPで席の上に立ってギャルといちゃついているとき。飲み会で「歌うま〜!」とお馬鹿そうなマンさん2人から身体を擦り寄せられているとき。バーで初めてあったモデルの子に「今日女連れじゃなかったら…あったのにね」と誘われているとき。

どれも最高に脳内の神経伝達物質がドバドバになる刺激的な瞬間であった。

しかしそれらのインスタントな快楽は長く残るものではない。瞬間的には強い満足感を得られるが、ブチアガった後には必ず虚しさが残る。結局、最終的には自分にとってはいかなる享楽も二義的なものにすぎないと気づけた。

欲望を否定したいわけではない。むしろ欲望を最大化し続けたからこそ腑に落ちたのがこの気づきだ。私が言いたいのは、あなたが「モテたい」と思う気持ちは本当に欲望や本能だけの話なのか?ということだ。

ただ物質的に自己満足的に欲望を追求したいという感情の奥には、その根底にはもっと違った本音があるのではないか。

「自分はまだまだこんなもんじゃない
 もっともっと人間として魅力的でありたい」

という言いようのない感覚があるのではないか。

「自分は本当は何を求めているのか」
「自分は本当はどうなりたいか」

その答えを知りたいという
魂の叫びがあるのではないか。

だからこそ、そのために

・もっと自分自身を高めよう
・大金と美女を手に入れよう
・もっと人として魅力的になろう

と考えているのではないだろうか。

これについてはまた詳しく話そうと思うが、私は
人が本気で遊び「モテ」を学ぶ意味、その第一義は、

「自分の人生の真のゴールに気づくこと」

にあるのではないかと考えている。

人生の人生の真のゴールとは、他人から与えられた欲望や動物的な本能に根ざすものではない。
あなたの人生の真のゴールとは「どう生きてどう死ぬか」というあなただけの人生のテーマだ。

際限なく欲望を掻き立てる物質主義社会の洗脳から逃れて、人が自己の人生の軸となるものに気づき、涙して、肚を括る。

その人間的な成長の過程として、現代の日本では己の欲望を最大化して本気で遊び倒す時期が必要なだけなのではないかと思うのだ。

『可愛い女の子と遊ぶより、欲望のままに物質的豊かさを追求するよりも、あなたにはやるべきことがある』このように四角四面に言われても「そんなん言われなくてもわかっとるわ!」と思ってしまうかもしれない。

それも仕方のないことで、拝金主義的な価値観への洗脳が大々的に行われているこの日本においても多くの人は潜在意識レベルで「これで本当に幸せになれるのか?」と違和感を感じているはずなのだ。とはいえ現状においてはこの物質的欲求を掻き立てる価値観が支配的なわけで、頭ではわかっていてもどうにもならないのが多数派の悩みなのではないか。

頭でわかっている・理解しているだけの中途半端な状態では、腑に落ちている・肚を括っているとはいえない。人生というのは不思議なことに、あるテーマに執着や未練がこびりついた状態では、ずっと同じテーマが繰り返し表出してきてしまうのだ。スピリチュアル領域ではそれを「カルマ」と呼び、脳科学においてはそれを「ブリーフシステム」と言ったりするが、肚の底からそれを解消することがない限り、決まったパターンに基づく反応を繰り返してしまうのが人間というものなのである。

そして何より、中途半端な状態ではエネルギーが上がってこない。

自分が運用できるエネルギーの総量が上がってこない。とろとろとした弱火のまま、いつか風に吹かれて消える時を待つばかりだ。

だからこその劇薬。逆転の発想である。
どうせ燻っているくらいなら本気で遊び倒してみたら良いのだ。

欲望も立派なエネルギーである。

エネルギーを出し惜しみして無気力に現状を維持しているくらいなら、内なる欲望を際限なく解き放ち、燃え盛る大炎のように現状の外側に向かって一歩を踏み出してみたらいいのである。すると面白いことに必ず見える世界が変わってくる。

自分の想像を超えたレベルで遊び倒し、あらゆる快楽を享受し、「もう遊びはいいですわ。俺にはやることがあるんで」と何の執着や未練もなく言い切れる状態になることで、

「俺はこれがやりたかったんだ…これこそ俺がやるべきことだ!」

と、自分の「人生の真のゴール」に気づける瞬間がやってくる。

その瞬間には必ず涙が伴う。言葉にできないような感動と山あり谷ありの経験をもたらしてくれたこれまでの環境全てへの感謝。

人に止められてでもこれを成し遂げずにはいられない、本当にやりたいこと。人生の真のゴール。これを見つけるために主体的に「人生」というゲームを遊ぶのだ。

LJKとヤるだの美女攻略だのは些細なことに過ぎない。

「クライアントが人として魅力的になる」という目的にフォーカスし、本人を人生の真のゴールに気づける状態まで導くことによってはじめて、遊びやモテに関するコンサルの介在価値があるように私は思う。閑話休題。


 「モテ」の3大要素

4.
「モテ」の三大スキルを理解できていない


「モテ」には三大要素がある。

人がモテるように変わる・人が魅力的になるという過程において最重要なエッセンス(不可欠要素)は大きく3つに分けられる。古今東西、如何なる方法論も抽象度を上げていけばこの3つの本質に包含される。

この三大要素は人間にとって根本的な資質のように見えるが、実はどこまでいっても後天的に習得することができる技術であり How to do の“やり方”である。

モテるように変わる為のセオリーが大きく分けて3種類存在するということを理解しておけば、マーケティングに踊らされずにバランス良く効率的に自身を高めていくことが可能になる。

その三大要素とは、

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