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元プロ野球選手ではない私が、NPBで二軍マネージャーをする話 【vol.3】

湊谷です。

ありがたいことに、先日私が書いた記事が、「#スポーツ 記事まとめ」「今日の注目記事」に追加されました。これもひとえに、皆さまの様々なリアクションのおかげです。ありがとうございます。⬇️


気づけばこの話題も3本目。前回は、私が立教大学野球部のマネージャーになるまでを振り返りました。⬇️


本日は、正式にマネージャーとなった私が業務にどんどんのめり込んでいき、「これは自分の天職だ」と感じるまでになる部分を書いていきます。

このシリーズは、競技者(プレーヤー)として伸び悩んでいる学生にもぜひ読んでいただきたいです。(その為にも無料で書き続けています。)

裏方の世界はとても奥が深く、面白いです。

思い切って転向すれば、私のように世界が広がる場合もあります。地味な仕事も多いですが、見えないところで努力するのはプレーヤーと同じです。

そして目標に向けて、プレーヤーとは別の角度からコミットしていく。

頭はフルで使いますし、身体も意外と使う。

だから、「なんだ、お前マネージャーかよ!」と馬鹿にされるようなポジションでは、絶対にありません。誇りを持って、取り組んで欲しいです。

ただし、最初に言っておきますが、マネージャーの仕事は決して1人ではできません。周りの協力があってこそ、自分の成し遂げたいことが形にできます。ある程度の権限を持つ時もあるとは思いますが、その分責任も伴います。強くなったような気持ちになったり、驕ってはいけません。

それも、このシリーズを通して伝えたいことの一つです。

それでは、今日も始めます。



■マネージャーって、めちゃくちゃ面白い!


学年ミーティングを経て、無事にチーム側の承認も得られて正式に「1年生マネージャー」となった私。

それからは、仕事を覚える日々が始まりました。

同学年には、私より先にマネージャーに就任していた女性のマネージャーがいました。彼女と一緒に、2人で業務を覚えていきます。

最初はチームの構造に関わるような仕事はさせてもらえませんので、地道に信頼を獲得していく作業を繰り返しました。

倉庫の整理をしたり、備品管理をして足りないものがあれば発注したり、外部からの代表電話に出たり。

いわゆる、「名もなき仕事」も多いです。

これはプロ野球・アマチュア問わずとてもあるあるですが、マネージャー室で仕事をしていると、必ずと言っていいほど、「何かしらを頼みに来る人」が頻繁に現れます。

トラブルが起きて困っている人、紙をコピーして欲しい人、聞きたいことがあるから○○という部員に電話してくれと頼んでくる人、○○室の電球が切れたと教えてくれる人、ペンを借りにくる人、特に何も用事はないけど世間話をしに来た人。大学の場合は200人弱の部員数でしたので、要求は毎日突発的に発生します。

何となくお分かりの方もいらっしゃると思いますが、中には、全然野球とは関係ないお願いもあります。(むしろプロアマ共通でその比率のほうが多いかもしれないのは、ここだけの話です。)

そこで私はこう考えました。

マネージャー室にいれば、色々な情報を持ってくる人間がいて、今この部で何が起きているのかが分かる。先輩も、グラウンドとは違うテンションで部屋を訪れる為、コミュニケーションもとりやすいな。」

ある意味、これは自分を認めてもらえるチャンスだと感じました。同級生からは一目置かれる存在でも、上級生からはまだまだ、ただの新人マネージャーです。

「自分の仕事もあって大変だけど、多少面倒でも断らず全部一旦受けてみよう。それもただやるのではなく、相手の期待を少し超えるクオリティで返す。質だけではなく、時にはスピードで、時には言葉で、相手を観察して求められるレベルの少し上を行く。それを積み重ねて、少しずつ信頼してもらえる存在になろう。今は、自分で仕事を選ぶ時期ではない。」

(19歳の湊谷の心の声)


これを実践したところ、周囲の私を見る目は変化し始めます。

言葉は悪いですが、一見どうでもいいような仕事で一件ずつ成果を出すことで、結果的に重要な仕事を任され始めることになりました。

これはあくまで体感ですが、プレーヤーよりも「練習は嘘をつかない」という理論が当てはまるポジションだな、と当時は感じていました。

野球は打者であれば3割ヒットを打てば良い打者と言われています。つまり、10回中の7回は失敗。正しい努力をしないと、練習も平気で嘘をつきます。

一方マネージャーは、出来て当たり前。

求められる基準が高いので辛い面もありますが、やればやった分だけ、ゲーム感覚で一つずつレベルが上がっていくことが実感出来ました。それが、私には楽しかったのです。

「誰かの為に仕事をすることって、こんなに楽しいんだ。プレーヤーのままでは、気付けなかった。」

(1年生マネージャーとして感じたこと)
下級生の頃の私 @神宮球場にて


1年生の頃の具体的な業務で、私が忘れられないものを1つご紹介します。

マネージャーとして迎える初めての秋季リーグ戦に向けて、私は試合用ヘルメットのシール貼りユニホーム準備※を担当しました。

※選手が試合で着るユニホームは、大学の場合「貸与品」であることが多いです。上下S・M・L・XLサイズがあり、背番号は既に刺繍されているユニホームを、野球部の持ち物として管理しています。そのユニホームを、発表されたメンバーの背番号に合わせて寮内の決まった場所に並べます。これは、下級生マネージャーの仕事です。

「明日、自分が準備したこのヘルメットとユニホームを見に纏い、先輩たちが神宮球場でプレーするんだな。明日は、勝てますように!

そんな気持ちで準備したことを覚えています。

すると迎えた初戦、立教は慶応相手に、9-1で快勝します。この試合を見ながら、私は深い感動を覚えました。

自分がプレーしなくても、こんなに試合に入り込めて、喜ぶことができるんだ。

【マネージャーって、めちゃくちゃ面白い!!】


ちなみにこの初戦、同級生の澤田圭佑 選手(現・千葉ロッテ)が1年生ながら先発を任され、6回を1失点に抑えています。




これが1年生の頃の、私の「マネージャー」としての原体験です。


〜補足〜

今考えると、この頃の私はまだまだ自校のことしか頭に無かった未熟者でした。本来、東京六大学野球連盟のマネージャーは、「リーグ戦の運営をする」という超重要ミッションがあります。

そもそも、【東京六大学】という存在は、日本野球界にとって特別です。日本野球が発展する礎を築いたのは、高校野球でも無ければプロ野球でもありません。(もちろん、プロ野球界へのリスペクトや感謝の気持ち、色々な想いは私の中にあります。)

日本において、様々な競技で優勝した者に授与されるトロフィー、中でも最高の名誉となる「天皇杯」の存在はご存知の方も多いと思います。その天皇杯は、各スポーツ団体につき1つ与えられます。野球の場合、どの大会の優勝チームに、天皇杯が下賜されるのでしょうか。夏の高校野球(甲子園)、はたまた日本シリーズの勝者でしょうか?

答えはいずれもNOで、実は正解は「東京六大学野球のリーグ戦優勝校」なのです。つまり、このリーグを運営するマネージャーたちには、相当な責任感と覚悟が必要となります。

上記の背景を踏まえると、自校の成績だけに一喜一憂しているようでは、半人前と言えます。4年生の主務が中心となり、学生が主体となってリーグ運営するのが東京六大学の伝統です。

だからこそ、六校の絆は強いのです。決して崩れることはありません。敵ながら、他5大学のマネージャーとは一心同体という感覚で、大人になった今でもその関係性は続いています。

これらの意識は、私の場合、2年生以降で芽生えることになります。

こうした横の繋がりが強まることも、マネージャーをやる醍醐味かと思います。

六大学同期のマネージャー陣
(左から明治・早稲田・法政・東京・慶応・立教)
野球部引退後は、車1台で広島まで旅行に行くほど仲良しです。



■最上級生となり、「主務」になった私がしたこと


こうして、どんどんマネージャーという仕事の面白さにハマり、のめり込んでいった私。

時は過ぎ、自分が最上級生になる時が訪れます。

私が、かつて高校時代に憧れていた先輩たちのように、「主務」としてチームの重要な仕事をすることになる1年間です。

それ故に1番密度の濃い1年間となるのですが、ここで得た経験値は、後のプロ野球での二軍マネージャーを務める上で、ダイレクトに生きてくることになります。

主務の業務は幅が広いです。会社で言うと、総務(労務管理、採用、経理)、広報、営業、企画、この辺の基礎的な仕事を全て行っているイメージです。

(大学時代のマネージャー話も掘り下げるとキリがないので、詳しい話は大学マネージャー編のみに絞って、そのうち記事を書きたいと思っています。)

野球部広報誌より抜粋


今回は、その中でも私が印象に残っている仕事を2つご紹介します。

①キャプテン決め
4年生の中から、主将を決めるというビックイベントです。これは、かつて私がマネージャーに決まったミーティングのように「立候補制」ではなく、「投票制」で行われます。

②チームの方針決め
何をゴールに設定するか?どんなチームにしていこうか?その設定したゴールやあるべき姿と現状とのギャップ(=課題)は何があって、それを克服するためにどんな行動を取っていくべきか?を考える作業のことです。




1.キャプテン決め

前述した通り、これは4年生の間で「投票」を行い、決定します。

学生野球において、主将の存在はとてつもなく大きいです。プロ野球とは違って自らの生活を懸けているわけではなく、部員1人1人に、「今自分が野球部にいる理由」が存在します。それらを把握した上で、策定したチーム方針に向けて全員をまとめ上げて引っ張っていく。もちろん主将以外も大切ですが、まずはトップが固まらないとチーム全体がグラグラします。

vol.2の記事でも書いたように、私の代は下級生の頃からリーグ戦で主力として活躍していた選手が複数名いました。

その中でも筆頭候補は、佐藤拓也 選手(現・JR東日本)澤田圭佑 選手(現・千葉ロッテ)の2名。

拓也は浦和学院時代に甲子園で名を馳せ、立教では1年生の頃からリーグ屈指のヒットメーカーとして活躍していました。辛い時も弱音も吐かず、長く立教の不動のスタメンとして君臨していた選手です。

立教大学野球部時代の 佐藤拓也 選手(現・JR東日本)


高校3年時には、大谷翔平 選手(現・エンゼルス)らと共にU-18日本代表として戦った経験もあります。

※この当時の大谷翔平 選手を振り返る記事(Number 1069号)の中で、佐藤拓也 選手が登場しています。ぜひチェックしてみてください。⬇️


一方の澤田は、藤浪晋太郎 選手(現・アスレチックス)、森友哉 選手(現・オリックス)らと共に大阪桐蔭高時代、甲子園で春夏連覇をした実績を持ちます。立教でも1年生からエースとして活躍し、間違いなく、この時代の「強い立教」を作り上げた立役者です。

立教大学野球部時代の 澤田圭佑 選手(現・千葉ロッテ)


2人とも、実績に申し分はありません。


「さぁ、どちらに票が入るのか?」


同期全体の空気感を、色々な場所で私なりにリサーチしていました。

どうやら、今のところ拓也に票が集まりそう。澤ちゃん(澤田)は、俺はいいよと一歩引いていて、同級生もそれを分かっているから恐らく票が入らない。下級生からずっと柱として頑張ってきた彼は、気持ちも少し切れかかっている部分もある。そして澤ちゃんはピッチャー。ピッチャーで主将をやるのは、相当難しい。ピッチャーと野手は、ウォーミングアップ以外ほぼ別メニューで練習を行う。その上、練習時間は、どうしても野手のほうが長いことが多い。そんな中、野手含めチーム全体を統率しながら、自らの競技レベルも上げていくという作業はとても難易度が高いこと。無難にいくなら、拓也なのは間違いない。チームもうまく回るだろう。」

(投票前の、私の心情①)


ただ、私の本心は違いました。

立教は、1999年秋から優勝を経験していない。大学全体で、負け癖がついているように思える。この野球部が変わるためには?何か大きなきっかけがないと、結果は今までと同じだろう。澤田は、高校時代に日本一を経験している。勝つのはどういうことか、勝つためにはどうするのか、これが身体に染み付いている。そして、彼の選手としての特徴は、気迫を全面に押し出して相手に向かっていく、辛いところでも粘り大事な場面で三振が取れる勝負強い投球スタイル。今の立教に足りないものを、彼は持ち合わせている。

(投票前の、私の心情②)


そこで私は、彼に語りかけました。

場所は、彼の部屋か、寮の屋上だったと思います。

これまで1年生から3年生までの間、何度も真面目な話からくだらない話までしてきたお決まりの場所です。

「澤ちゃん。やっぱキャプテンは、澤ちゃんだよ。拓也が悪いとかじゃない、拓也がやっても良いチームが出来ると思うし、ここで俺がこうやって動くのも正解かどうか分からない。でも、今この部に足りないのは圧倒的な変化だと思う。俺は絶対勝ちたい。仮に手を挙げたのに、投票で負けることは確かに怖いけど、周りは澤ちゃんの出方を伺ってるだけだよ。やるって意思表示したら、今の形勢は変わる。ピッチャーでキャプテンはしんどい、でも、それをカバーする為に副キャプテンや俺たちスタッフがいる。みんなでバックアップするよ。」


その後も色々な話し合いを重ねて、彼の気持ちは固まりました。

そして迎えた学年ミーティングでの投票で、澤田主将が誕生することになります。

立教大学においてピッチャーが主将を務めるのは、2002年の上重聡さん以来14年振りのことでした。

副将には拓也と、田村伊知郎 選手(現・埼玉西武)が選出されました。タム(田村)も本当に熱くストイックな男で、全部員の模範的な存在でした。タムに関するエピソードは、またどこかで書きたいと思います。

立教大学野球部時代の 田村伊知郎 選手(現・埼玉西武)


完全に心に火がついた澤田主将は、新チーム発足前に、自らの経験を全て言葉に変換した「秘密の冊子」を持参してきます。そこには、練習への入り方から、ストライクボールカウントの考え方、持ち球の活かし方、野手編投手編に分かれて色々な項目が事細かく記されていました。

「とぅーや、この紙を全員分印刷してくれ!」

「今年はこれでいく!」

(澤田主将が私にかけた言葉)


よし、これで戦う準備は整ったなと感じた瞬間でした。

全体を俯瞰しながら、各自の強みを活かすことが出来る方向へ誘導する。そのために、個人個人に徹底的に寄り添い、本音をぶつけ合う。結果的に、チームの力を最大化していくという、私が考える「マネージャーの仕事」でした。

新チーム発足時の集合写真



2.チームの方針決め


さて、新チームの幹部も決まりました。

次は、このチームのゴールをどこに設定するか?そのためのギャップ(=課題)は?それを解決するためにどうする?という作業です。

澤田主将を含め、ほぼ全員の気持ちは一致していました。

「目標は春秋リーグ連覇、そして日本一。ただし、1999年秋以来、優勝していないチームが今まで通りやっても勝てない。基本的に、考え方と取り組みを全て変えよう。テーマはパワーとスピード。小さくまとまらず、圧倒的に個の力を上げよう。極端に言えば、ピッチャーは150kmを越えて、全員三振に打ち取ればいい。バッターは全員ホームランを打てれば、負けることはない。戦術、奇襲、相手が仕掛けてくる全ての作戦をパワー&スピードで破壊すればいい。個の力を結集させよう。俺たちが現状で勝つには、これしかない。練習方法も、連携プレーよりも個の力を上げる練習に重きを置く。トレーニング方法も変える。キャンプも、場所含め全て見直す。負けたら、4年生の責任にすればいい。下級生が伸び伸びできる環境を作って、チームの底上げをしよう。

(新幹部たちで定めたチーム方針)


この方針に合わせて、毎年決めているチームスローガンも決めることになりました。

4年生で投票した結果、決まったのは

「革命」

挑戦的な言葉でしたが、なんとか現状を変えたい、いや、絶対変えよう。その気持ちの表れでした。

⬆️新幹部とスローガン発表のブログ


学生野球では、自分たち(特に最上級生)がどうしたいか?どうなりたいか?を考えることが非常に重要です。それをマネージャーがとりまとめ役となり、作り上げるという仕事でした。実際には、ここからいかに全員にチーム方針を浸透させていくか、という業務もあります。

結果的に私の代は、春のリーグ戦で「この試合に勝ったほうが優勝」という明治との優勝決定戦に敗れ、惜しくも2位に。目の前で明治の胴上げを見る悔しい経験をしました。

試合毎に変わるヒーロー、下級生と上級生の力がマッチした打線、澤田・田村の2大エースの好投。ほぼ全て理想通りのチーム作りと試合運びが出来ましたが、最後は明治の打者がバットを折りながらタイムリーを放ち、これが決勝点に。打たれた瞬間は、ベンチから見ていて本当に時間が止まったような感覚でした。

ちなみに、それだけ手応えがあったのに負けたのは理由があります。相手の明治が、手強かったことです。

明治の4年生には、柳裕也 選手(現・中日)星知弥 選手(現・東京ヤクルト)佐野恵太 選手(現・横浜DeNA)吉田大成 選手(元・東京ヤクルト→現・ヤクルト球団スカウト)らがいました。


正直、この時の明治はめちゃくちゃ強かったです。

(そんな明治出身の星くん、大成と最終的に同じチームの選手とマネージャーという関係になれたのは、本当に面白いなと思います。)

こうして強敵の明治に阻まれ、ゴールに設定していた春秋リーグ戦連覇、日本一は叶いませんでした。しかしながら、秋季リーグ戦後に行われたドラフト会議にて、立教からは3名が指名を受けました。


立教から同時に3名のプロ野球選手が誕生したのは、1958年にプロ入りされた長嶋茂雄さん(巨人)、杉浦忠さん(南海)、本屋敷錦吾さん(阪急)以来の快挙でした。

リーグ戦優勝は達成できなかったけど、「個の力」を圧倒的に高めたチームを作るという目標は達成することができたな、と思えたドラフト会議でした。

1年間みんなで作り上げてきたチームの方向性は、そういった意味では間違っていなかった、という証明になったと思っています。


私の同級生はプロ入りしたこの3名に留まらず、副将の佐藤拓也 選手は六大学通算102安打を達成して強豪JR東日本へ。4番の佐藤竜彦 選手はHONDAへ進みます。

(ここまであまり紹介できていませんでしたが、、竜彦は都市対抗野球大会で首位打者賞を獲得し、チームの優勝に貢献。侍ジャパン社会人代表にも選出されます。彼の父でスワローズOBである佐藤真一さんは、言ってみれば私からすれば同級生のお父さん。そんな佐藤さんとも、いずれ二軍マネージャーと二軍コーチという形で一緒に仕事をすることになります。この時は知る由もありません。)

※「明治神宮外苑 創建90年記念奉納試合」にて
前列左から佐藤竜彦(HONDA)、佐藤拓也(JR東)、田中和基(東北楽天)
後列左から私、田村伊知郎(埼玉西武)、つば九郎先生、澤田圭佑(千葉ロッテ)
試合後に配られた「大入袋」は、今も大切に保管しています。


※今思えばこの試合で、私は後にお世話になる皆さんと対戦していることになります。そんなことになるとは、この時は予想もしていません。

余談ですが、この試合前のステージイベントにて、私はつば九郎の横にポジション取り(たまたまです)。見事標的になり、記念写真を撮る際メガネをズラされ続けるというイタズラを受けています。笑

⬆️その時のつば九郎先生のブログはこちら


まさか、その後に再会してぱとろーるに連れて行っていただいたり、お仕事をすることになるとは、、、人生は一期一会と言いますが、本当にそう感じます。


〜補足〜

自分たちの代の想いを引き継ぎ、翌年後輩たちが東京六大学リーグ戦優勝、そして日本一を達成してくれました。中心となったのは主将の熊谷敬宥 選手(現・阪神)。私は優勝を経験できませんでしたが、これはとても嬉しい出来事でした。



■どうする、就職活動。「俺はマネージャーを仕事にしたい」


マネージャーが面白いと思ったきっかけと、主務での仕事を、ざっと振り返ってきました。正直、まったくもって全てを振り返ることができたとは思っていません。主務での仕事だけではなく、

・1年生〜3年生で何をしたか
→うまくいくことばかりではありませんでした。

・新しいキャンプ地での挑戦
→主務での1年間、春と夏どちらも、新たなキャンプ地を選定してキャンプを行いました。本当にゼロの状態から、相手の自治体や関係各所と私でやり取りを行いキャンプを作り上げました。

・全日本大学野球選手権での仕事
→全国の大学からマネージャーが集い、全国大会の運営を行います。

・プロ野球チームのスカウトに対して私がしたこと
→どうしたら自チームの選手をアピールすることができるのか?注目してもらうにはどうする?マネージャーにやれることを細部まで考えて、行動に移していました。

この辺りはまだ、触れられていません。

途中記載しましたが、学生スポーツでマネージャーを頑張っている方のためにも、いずれ大学野球部でのマネージャー編だけに絞って、記事を書きたいなと思っています。

さて、そんなこんなで、

「自分にとってマネージャーとは、天職だ。これを仕事にしたい。」という気持ちが強くなります。

具体的に私が目指したのは、社会人野球のマネージャーでした。

企業が保有している硬式野球部にも、マネージャーは存在しています。

名前は伏せますが、その中でも関東の強豪チームのマネージャーになりたい、そのために動いてみようと決心しました。

しかしながら、それは簡単な道ではなく、ここで私は挫折を経験することになります。。。



■次回予告

いかがでしたでしょうか。これまで書いた2本の記事よりも、1本あたり2.5倍ぐらいの文量だと思います。

これでも大学編は網羅できていないなぁと思いつつ、キリがないのでポイントだけ書かせてもらいました。

私のペースで続けつつ、こうして形にしていければなぁと考えております。

さて、次回書きたいことは、こちらです。

・思った通りにいかない就職活動、悩んだ末に出した答えとは

・メガバンクで学んだこと、そして転機は訪れる


本日もご覧いただき、ありがとうございました。


それでは。

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