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穀雨のシナモンロール

今週から忙しくなる。先週会ったときに、彼はそう呟いていた。昨日だって、いつもの夜を企む時間に、遠回しに会えないことを伝えてくれた。忙しくなれば必然的に会えなくなるということはわかっていても、毎週会っていたら会えないことがもどかしくなる。会えなくてもいい、自立した大人だもん。と言い聞かせてはみるものの、彼のいないお昼に何を食べようか悩んでしまう私がいる。今日の彼は、お昼に何を食べるのだろう。ふとカレンダーを見ると『穀雨』の文字が目に入った。

穀雨とは、春に田畑に降り注ぎ穀物の成長を助ける雨のことで、二十四節気の一つである。いつか、ホットサンドを頬張る彼を思い出して、ぼんやりとパンが食べたくなった。食べたいものとそれに適したお店を上手に探し出してくれる彼は、こんな風にその日のご飯を見つけているのだろうかと、会えないときも脳髄まで占領されていることに気づく。彼の選ぶご飯はどれも美味しく、特別な嗅覚を持っているのではないかと思うほど。その才能が羨ましくなった。彼に会えないけれども、ちゃんと可愛いワンピースを纏って、丁寧にアイシャドウをのせた。

ひとりきりのお散歩を経て、とても空いているようには見えない建物に吸い込まれる。おそるおそる階段を上り、アンティーク調の扉を押す。柔らかな空気の流れるカフェにたどり着いた。小麦の匂いが立ち込める空間に、言葉になりきれていない感情が戸惑う。この世界の誰もを包んでしまうようなゆるい幸せが、すっと心に入ってきて、もやもやとして解れていた感情も解かれていった。ショーケースで輝くシナモンロールが目に入った。最小限の商品だけを並べたような丁寧な配列で、ひとしお存在感のあるシナモンロール。そうだ、今日は穀雨。季節を感じる行動をしなければ、私の中の季節は死んでしまう。少し幸せを感じることを大切に、私の感性を守れるだけの余裕を持たなければ。凛としたシナモンロールに、私の感性を預けたくなった。猫舌でも飲めるくらいに温くなったホットミルクとそれを、丁寧に口に運んだ。

このシナモンロールは、穀雨に降り注ぐ雨で育った穀物からつくられたのだ。そうだ、このもやもやした「好き」は、涙から生まれたのか。十分に恋愛できるだけの関係を固めたものの、そこに涙だけが降って、恋は育ちそうにない。少しスパイシーな欠片を舌で転がし、丁寧にシナモンを溶かしていった。好きも、口にする前に溶けてしまえばいいのに。

シナモンロールが舌先に残す甘さは、会えないときに考えてしまう恋みたいなものだ。最後に会ったときの言葉や仕草を反芻し、彼に恋した瞬間を継ぎ接ぎして、好きを重ねていく。そこに居るだけで満足できたのに、いつのまにか手を繋げないことがもどかしくて、繋いでしまったらその先の甘さを永遠に求めてしまう。だけれども、彼にとって、私はどうでもいい存在だったんだ。そのことに気づいてしまったから、こんなにも苦しくて悲しい。ああ、好かれたかった。好きになってほしかったんだ。気づいてしまったよ、いまこの気持ちに。

また会えるとしたら、舌の上で溶けた恋を口移しで注ぎ合いたい。伝えどころのない言葉は、それまで丁寧に温めておこう。

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