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ジョブズに対する天才プログラマーの感覚

清水亮さんといえば、5年くらい前にYouTubeで見たけど、ムズカシイこといってて見るの途中でやめたな、という思い出しかなく、それ以来「必死こいてググったけど、何してるのかよくわからない天才プログラマー」として、私の記憶の奥底に仕舞い込んでいたのだが、ここへきて気合入れて調べたら「ムズカシイこと言うけど、その内容はすごくシンプル」ということがようやく理解できました。

「iPhoneを超えるプロダクトを創りたい。でも日本だとムズカシイ」

大雑把にいうとこんな感じ。たったこれだけ。しかし、それに対する思考が超ヘビーなのである。

日本の大企業だと、どんなカッコいいデザインが現場から上がってきても、エスカレーションしていくうちにドンドンとオッサンが入ってきて「それはダメだね」とか「そんなツルンとしてボタンがない物は売れないよ」とか「電話なら発話ボタンと切るボタンは必要だよ」とかなって、結局ガラケーみたいな形になり、絶対にiPhoneみたいなぶっとんだプロダクトは作れない。投資家は投資家で、エグジットのことしか考えてないし、暇さえあれば現場にやってきてミーティングに参加したがるし、売り上げはいつ立つんだと詰めてくる。若者は若者で、公務員か大企業に就職することしか考えてないつまらんヤツばかり。

根回しがどうとか、調整がなんちゃらとか、それは管轄外ですとか、コンセンサスがほにゃららとか、就活のためにボランティアするとか、そんなんばっか。

まあ、そんな人たちに対し全方位的にどいつもこいつもクソだと彼は思うのである。いやあ、どいつもこいつもアホばっかりで、なんかもうイノベーションとかどうでもよくなってきたなあ...センスないヤツばっかだし...ほんと日本のIT業界ってツマらんなあ...みんな死んじゃえばいいのに...みたいな。世間の常識にからめとられた人々をやたらと嫌いたがる、シリコンバレー系半グレこじらせプログラマーなのである。

しかし、ここがミソなのだが、彼が何より憎悪してるのは「データだけで見比べると、自分たちのプロダクトとiPhoneはほぼ互角。でも、実際に手に取って見比べてみるとまったくの別物」という、工学的アプローチ1本足打法という凡庸な事をしてる自分自身である。己の中の美意識をうまくプロダクト化できない自分に苛立ってる感じ。

世界に衝撃を与えるようなぶっとんだ物を作ろうとした場合、理屈や技術などの理系的なアプローチでは限界がある。なぜならiPhoneを実際に触って操作した時の心地よさを理屈で表現するのは不可能だから。それよりもっと人間について勉強する必要がある。そういう事にハッと気づいた彼は、哲学や宗教やデザインの本や、スティーブ・ジョブズの自伝を読み漁る。

そして、ジョブズについて知る過程でたくさんの知見やヒントを得る一方、違和感みたいなものを覚えるのだが、ジョブズってなんか経営者として微妙な感じがする、ということを彼は、何かが「よぎる」と表現する。あくまでも「よぎる」というだけで、そのよぎった何かについては明言しない。しようと思えばできるが、あえて言わないのである。

そのおかげで、私はあらゆるメディアでスティーブ・ジョブズを見るたびに、何かが「よぎる」のだ。よぎらせてくれてありがとう、清水さん。

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